編集者目線での作品評価、この言葉を読み、胸躍る筆者様達が多いのではないかと推察致します。僕もその一人です(笑)。
さて、そういう願望は一旦置き、エッセイとしての魅力について皆様にお伝えしたいと思います。
作品を評価するという事は非常に難しい事です。僕が個人で行う場合であっても、感想は言えても、「評価」というエリアに引き上げられると思わず唸ってしまいます。感想ならいくらでも言えるんです。個人の主観的な視点で好みのままに語ればいい。
ですが「評価」って何でしょうか?
個人が行う評価はいくら客観性を訴えようが、不確かな漠然さを含みどこまで行っても「感想」となりがちです。ただし、その個人が「特定の指針」を有する場合、「感想」が「評価」に転じます。ですから「編集者目線の」という軸が生まれる事で、評価のベクトルが明確になる訳です。
では改めまして「編集者目線の作品評価」とは何でしょう?
僕はレーベルにいた経験はないので、あくまで推測ですので皆様鵜呑みにされない事を前置きしてお伝えします。
そこには大雑把に二つの「軸」が存在すると思います。ひとつは「作品をレーベル名を冠した出版に耐え得るものとして叩き上げる事」。もうひとつは「売れるものにする事」です。とても大雑把ですが、極論で言えばこの二つに帰結します。他の軸と言うのも、勿論多数存在します。編集者とてサラリーマンとして組織に属する者であり、様々なベクトルに引っ張られるのですが、まぁ、そういう事は割愛します。
ではこちらのエッセイはどういったベクトルを有するかと言えば、僕は「作品をレーベル名を冠した出版に耐え得るものとして叩き上げる事」を前提とし、「そもそも小説として成立しているか」という軸で評価されていると思います。
それはとても優しくて誠実な視点です。善意がなければやりたくない作業です。
なぜなら、長い物語で筆者が「何をどこにどんな意図でどう表現しどう書いたか」という事を、下手をすれば筆者以上に考える作業になるからです。
例えば、明確な意識を持たずテーマすら曖昧で、その上勢いで売れ筋と似たような物語をぽんぽん書いていたりすると、余程ナチュラルな文才(これは才能という意味でなく、読書量の膨大さとその思考から身についている文章が、すで出版物と同様という恐ろしい人。初応募で十代にしてデビューする人はこのタイプが多い)がないと酷い事になります。
ですが、筆者様は非常にお気遣いされて、ポイントで示唆しつつ評価しています。
僕は作品評価をご依頼させて頂いたのですが、随分とお気遣いされてると感じました。ですのでこの辺りの感覚を理解した上でお読みになられると幸いです。そして評価作品を読んでいようと読んでなかろうと、どういう視点を有し評価されているのかを理解されて読まれると、確実に得るモノがございます。
お勧め致します。
編集者目線での作品評価、抑えた表現と示唆の向こう側に存在する決して甘くないプロの目線、実際に触れてみて読み解くのは如何でしょうか? やっぱりリアルを知りたいですよね。
皆様宜しくお願い致します( ;∀;)