みにくい男の人魚のはなし 谷 亜里砂さま

https://kakuyomu.jp/works/16818093073139258044


今回は「みにくい男の人魚のはなし」を執筆されていらっしゃる谷 亜里砂さんのご依頼の許お話しさせていただきます。


物語の構成や視点、編集者としての意見を伝えることが目的であり、登場人物の背景や台詞などを引用させていただきますので、未読の方は閲覧をお控えください。

亦、「面白い」「面白くない」。などの感想はいたしません。

そして全ての話を解説評価する時間もありませんので、作品によっては記事の内容が薄かったりすると思います。ご了承ください。あくまで編集者視点としての意見ということです。


“背中に海藻が生えてしまった人魚が、慰藉のもとへと旅をする話”とのことで、さっそく拝読いたしました。


一話目の冒頭となります。

「グリンという名の男の人魚は、砂に穴を掘って、そこを住みかにしているのだった。」

このワンセンテンスには極めて重要なことをはじめに表すという手法が遣われています。

三人称、グリンという人魚の名前、穴を掘って住みかにしている、というみっつの情報を得られる一文ですね。


小説は書き出しが全てと文豪の方々も仰いまして、私自身同様の意見ではありますが、書き出しに力を籠めすぎると、文章の完成度が前半と後半で明確に違ってくることがあります。

ライトノベルや文学といったジャンルに通ずることですが、書き出しは「重要」で慎重に言葉の取捨選択を行わなくてはなりませんが、身の丈以上の文章というものは、息切れを起こし、後々自分を苦しめることとなります。難しい言葉を遣わず、あえて万人が理解しやすく入り込みやすいというメリットがある反面、書き出しとしては弱い部類に入ります。


「そこへ住み始めてから、人間の感覚でいうと長居年月が経つ。しかし、グリンは永久に近い寿命を持つ人魚という種族に生まれた。だから住みかの新旧など、気にしたことはなかった。」

すごく勿体ないと個人的に感じました。確かに「人間の感覚」は大事です、読者は人間ではありますが、あえて人間の感覚を強く主張する必要はないかと思います。この作品のタイトルが「みにくい男と人魚のはなし」であったなら、人魚の視点と対比するように「人間の感覚」を書く意味がありますが、現状書き出しのタイミングで、人間が出ない可能性がある以上、書いてしまえば読者に対して余計な気心を与えてしまいます。

不確定情報は不確定情報として処理していくことで、後々人間が現れた際に強調することができます。


そして最も一話目で惜しいのが以下の文。

「グリンは両手で、顔に張り付いた砂を払った」

「谷は深く、奥は見通せないほど深い。細かい砂が水流に乗って、音もなく落ちていく。谷が全てを呑み込んで底などないかのように振るまうのを時々見やりながら、海面から注ぐやわらかい日を浴びて寝転がる。それが、グリンのお気に入りの過ごし方だった。」

ファンタジーを書く方に最も多いのが二文中にあります。

人魚という幻想的な種族、魚たちは人語を話します。

幻想とは現実との乖離です。幾人の理想です。

そして理想を現実的に書き起こすのが作家としての役割だと私は思います。

つまりは圧倒的なリアリティ。

砂が水中で「張り付いた」りはしません。

海のなかで音もなく落ちていく砂はありません。

上げ足取りになってしまいますが、小説とは言葉であり、言葉というものは状態や風景を読者へ伝える手段となります。当たり前ですね。

従って「やむをえない」亦は「意図があった」以外の表現では私は好みません。

目の前で作品を拝読したとすれば、間違いなく「何故この文章にしたのか」と問うているでしょう。


そして視点というものを見ると、主な視点の移動はグリンという男の人魚ですね。三人称として描写されている物語ですが、同時に簡素な文体ではなく、絵本の語りを彷彿とさせる柔らかい寄り添った文章になっています。文学的な文章構成ですが、一見すると入り込みやすく、亦語り口調に似た文体によるもので、登場人物の内面に迫りつつある表現を「読ませる」のではなく「聴かせる」といった形で落とし込めています。

編集者として視点に関する意見を云うのならば、「視点の移動に特殊なものがなく、可もなく不可もなく」ですね。

決して悪くはありませんし、好みではありますが、「売れる作品」にはならない移動の仕方をしております。簡素に伝えるのならば、「読者に優しすぎる」といったところ。

小説の内容を深く、面白くするためには読者の理解よりもほんの少しだけ上を意識して描写することをおすすめします。対象にする層によって匙加減は作者によるでしょうが、現状のままだと万人受けは間違いなく難しいかと。熱狂的なファンがつきやすい独特な文章文体ではありますが、作家として根を張るのが目的だとすると、如何せん凡庸な視点移動になってしまっているので、次の展開や視点の動きが予想できてしまう点が惜しいですね。

視点とは物語の進行を促す役割を多く持ちます。

過去、未来、現在、喜怒哀楽、自然、反自然、人種、差別、抑圧、弾圧、宗教、etc.

これら全てがひとつの視点によって動かされる事実であり、事実を許に視点を動かしていては只の感想文となります。

小説の登場人物にはそれぞれ人生があり、産まれてから死ぬまでの間の、ほんの一瞬を描写しているに過ぎません。一瞬だからこそ伝えたい主題があると私は感じます。


世界観に関しては素晴らしいのひと言。

よくある話の構成ではありますが、文体の独特感もあり、ものすごく興味を惹かれる作品になっていますね。元々が沖縄出身の作者さんと云うこともあり、その点が活きたのでしょうか。

特に谷 亜里砂さんの物語は文学に寄っている作品と存じ上げますので、作者自身の過去や恥部を曝け出すことは大事だと思います。作者の人間的暗黒面を、ポジティヴにネガティヴに表現することによって、前述のリアリティが格段に増します。続けてくださいね。


問題はここからで、私はこの作品を読んで「主題」がブレてしまっているのではないかと認識しました。前、中、後(未完)、のなかで読者になにを感じ取ってほしいのか、一瞬一瞬の描写がちぐはぐで、うまく伝わっておりませんでした。精読の深さが足りないという技術的なものもありますが、それ以前にきちんと主題が定まっているのか、その主題がブレていないか、意図して文章を書いているのか、会話劇の意味や言葉の取捨選択を考えているのか、単語の前後の文章のつなぎ合わせが噛み合っていないように感じる処も要所々々あります。

趣味の世界で作品を生み出しているのならば問題ありませんが、将来作家として身を立てていきたいとコメントにあったことを覚えています。であるならば、単語のひとつひとつ、会話劇の間、物理的にあり得ないかもしれない描写の信憑性、「何故」の追求、これらは意識しても悪くないと思います。

あと作家志望の方に多い傾向にありますが、一日に書ける文章の多さには特段意味がありません。私程度でも一日あれば五千文字前後は書けます、ただし重要なのは「書く文章の質」であり、「文の量」ではないのでご注意ください。意味薄弱な文章を書けば書くほどご自身の貴重な時間を失っていると自覚しましょう。

私は他人と仲良くしたいし、他の作者との交流を大事にしたいですが、ポジティヴなコメントを残す読者とは違って、辛口な処があります。苦手なひとはご了承くださいね。


谷 亜里砂さんへのアドバイスといたしましては月並みなものとなってしまうかもしれませんが「見ているものと見えているもの、見ているものと見えないもの」の差異を判然と書きましょう。最新話まできっちり拝読いたしましたが、上記のものがあやふやになっています。もう一度云いますが、視点の動きは小説の動きです。


この小説を私が本職の際に取り扱っていたとするならば、全文字数の三分の一以上の文章が消えてしまいます。余分な表現を控え、どうしても表現をしたいのならば理由を自分のなかだけにでもきっちり持ちましょう。もし読者から訊かれた際には瞬時に答えられるようにしておく意識が重要ですね。





以上が「みにくい男の人魚の話」著者は谷 亜里砂さんでした。

谷 亜里砂さんには不快に思う処もあるかもしれませんが、忌憚のない意見として、はっきりと申し上げました。これが私の最大限の誠意であり、愛情表現となります。


この記事に関してご不明点がございましたら、気軽にご相談受け付けております。


長々とお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。

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