夏蜜柑

田中ソラ

本編

「おばあちゃーん! 来たよ!」

「おやおや蜜柑ちゃん。今年もありがとうねえ」

「いいのよ! 父さんと母さんは今年も仕事忙しいらしくてお盆しか来られないって」

「そうかいそうかい。帰ってきてくれるだけで十分さ」


 天井蜜柑あまいみかん。16歳。今年高校1年生になったばかりの女子高生。あまいみかん、そうからかわれるのにも慣れたそんな夏。

 祖母の天井美智子あまいみちこが経営する駄菓子屋の手伝いのため、東京からはるばるここまでやってきた。美智子は蜜柑を出迎えるための準備はすでに終えていて、到着が昼頃になり、暑さでくたくたな蜜柑に素麺を出した。


 つるつるとそれを食べる蜜柑を満足げに見て、無人になっていた店へ戻った。

 田舎、それだけでは片付けられないほどののどかなこの場所は人口千人ほどの小さな村に近くて、周りの住人はほとんど知り合いの過疎地域。近くのスーパーまでは車で30分。移動手段はバスか徒歩のみ。でもその代わり空気は澄んでいて、淀んだ空気の都会とは居心地がまるで違う。

 蜜柑はここが嫌いじゃない。何でもある都会も好きだが何もないここも好きだ。川を眺めたりすっかり仲良くなった近所の人と交流したり。


 東京にはないものが、東京ではできないものがここにはあった。


「あら蜜柑ちゃん! 久しぶりねえ」

久石ひさいしのおばちゃん! ちょっと痩せた?」

「やだもう! 今年は暑さで少し瘦せちゃっただけよ。旦那が亡くなって今年からは息子と二人なの」

「そうなの……」

「今年も偉いわねえ。天井ちゃんは店番?」

「うん。お昼食べ終わったから少しの間散策してたの」

「今川の方で鹿雄しかおさん達が川釣りしてるわよ! もしかしたら新鮮な魚貰えるかも!」

「嘘⁉ 行ってみる!」

「気を付けるのよ~」


 ここの人はほとんどの人が自給自足してる。と言っても高齢の人ばかりなので移動販売してる人から野菜を買ったり、周りと物々交換したり。川で魚を釣ったり、山菜を採ったり。どれもこれも蜜柑にとっては新鮮そのもので。色々興味のある多感な時期も相まって昔はよく山に入り迷子になったものだ。そうしている内に蜜柑捜索隊なんてものが立ち上がって祖母が爆笑したのも、記憶に新しい。


 川の近くには沢山の人がおり、川釣りを楽しんでいるようだ。


「鹿おじさん!」

「蜜柑! 帰ってたのか!」

「今帰って来たの! 魚釣れてる?」

「お、たかりにきたのか」

「……バレた?」


 近くにあるバケツを覗き込むと小魚が沢山いて。まだまだこれからのようだ。

 蜜柑が魚を強請れば顔を緩ませ1番大きな魚を家に届けることを約束してくれて。周りは蜜柑に甘い鹿雄に相変わらずだと笑っていた。

 川の水は底が見えるほど透明で、曇りがない。靴と靴下を脱いで足を入れると冷たくて気持ちがいい。スカートが濡れないよう石を集めてその上に座る。少しお尻が痛いけど仕方ない。鳥の鳴き声と、川の流れる音に懐かしさを感じる。ここじゃ等身大の自分でいられる。

 髪も、メイクもなにもしてない素のままで。日焼け止めだけは欠かせないけどそれ以外に必要な要素はない。


「蜜柑。あんまり足入れてると冷えるぞ」

「うん」

「今年もここに来たってことは、彼氏なしか?」

「もう! 東京は、出会いが多いけどその分変な人が多いの」

「言い訳してんじゃねえか! ここの方が出会いねえってのに」


 鹿雄は毎年のように蜜柑に彼氏の有無を尋ねる。小学生の時は好きな人がどうだ、中学にあがれば彼氏。高校になった今でもそれは変わらないようで。みんなから孫のように愛された蜜柑の将来が心配なんだろうけど、まだ早すぎる。

 ここに出会いはない。誰かに出会うためにここには来ない。でもどこか、等身大の自分でいられる私を、ここで見つけてほしかった。そんな願いを諦めきれなくて、言い訳をしてまたここに来る。

 〝おばあちゃんが生きている間は、手伝いの有無関係なしに、ここへ帰る〟

 それが親に言った最初の我儘。美智子と蜜柑の、大切な約束。鹿雄を含めた住人も知っていて、毎年帰って来る蜜柑に意地悪を言いながらも、受け入れていた。


「そういや蜜柑。ひいらぎに会ったことあるか?」

「誰? 知らない」

「さっちゃんとこのお孫さんだとよ。去年から近くの高校に通うために越してきたらしいぞ」

「去年ってことは、1つ上だね。会ったことないや」

「天井のとこを休憩としてよく寄ってるらしいから今年は会うかもな。美男だぞ」

「……鹿おじさんの美意識信頼できないんだけど」

「それけったいなことだな!」


 柊。蜜柑の心の中はどこかぞわぞわとした。同世代にここで会うなんて思ってもなかった。わくわくと、不安が入り混じる、そんな初日を過ごした。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「変わるよー!」

「お昼食べたのかい?」

「食べたよ! おばあちゃんの分も用意してあるからゆっくりしてて」

「ありがとうねえ」


 毎年変わらない。お昼を作って、朝から店番してる美智子と交代して。駄菓子屋、と言ってもほとんど子供のいないここは人が入らない。近所の人の交流の場として、よく利用される。

 それでもお菓子を買う人はいるので、目の悪い美智子の代わりに在庫の確認や賞味期限切れを探したり、店内を掃除したりと忙しい。もう東京ではあまり見ることのないお菓子が沢山あって、りんご餅好きだったなーとか蒲焼さん嚙み切れなくてよくおばあちゃんに切って貰ってたな、とか思い出すことばかり。

 冷えたチューペットを祖母と半分こして食べたのも今では懐かしい。


 駄菓子、という文化が少しずつ消えていく。10円で変えたものは20円にあがって。駄菓子屋はいつしか少なくなって、一回りも年下の子はきなこ棒を知らないかもしれないと思うと時代というのは進ばかりで、置いていかれるものが多いのだと認識する。


 美智子も、この場所も。いつしかなくなるのだろうか。そう思うと、蜜柑は寂しくなった。


「おばちゃん。いつもの……」

「えっと」

「誰? おばちゃん、天井さんは?」

「おばあちゃんは今裏にいます……祖母の知り合いですか?」

「んー常連? 祖母……そうか君が天井さんのお孫さん」

「天井蜜柑です。いつも祖母がお世話になってます」

「こちらこそ。甘夏柊あまなつひいらぎです」

「柊……もしかして、さっちゃんおばちゃんの」

「ばあちゃん知ってんだ。そりゃそうか。俺よりもこの村歴長いもんな」


 鹿雄の言っていた柊、とは数日の間で出会った。野球部のユニフォームにエナメルの大きな鞄。焼けた肌はよく練習していることを物語っていた。

 額に滲む汗。蜜柑は奥からアイスを持ってきて半分に割り柊に渡す。


「これは?」

「私からのおすそ分けです。いつも、お世話になってるって鹿おじさんに聞いてたから」

「鹿おじさん?」

「近くに住んでる鹿雄さん。大柄の、いつも魚釣りしてる」

「ああ……あのおっかないおじさんか」

「そうなの? 優しい人なんだけど……」

「それ多分蜜柑さんだけ。あの人、若い男には厳しいからな」

「そう、なんだ」


 柊のことを語る鹿雄からはそんなことを感じなかった。孫、とはまではいかないが甥っ子のような、そんな親しさを隠す気もない鹿雄の言葉を知っている蜜柑からすれば疑問に思うことばかり。だけど鹿雄は素直じゃない性格だ。恥ずかしがっているだけだと思い、深く追求することはしなかった。


 柊はいつもここでチューペットを買って帰るらしい。キンキンに冷えたそれは下校の間に少し解け、ほどよく食べやすくなる。美智子はそれを知っているのでいつものこの時間あたりに冷えたチューペットを1つ用意していた。それを聞いてから冷蔵庫を開くとそこには青色のチューペットがたしかにあった。でも今日は蜜柑から貰ったアイスを片手に帰るらしい。

 帽子を下げてまた明日来ます。それだけを言い店から出て行った。


 思わず座っていた座布団から腰をあげ、スリッパを履いて柊を追いかける蜜柑。理由は分からないけど、どうしても彼を見送りたくなった。


「また、明日!」


 大声で言ったそれに何だ何だと近所の人が出てきて恥ずかしい思いをしたのは、ちょっとした失敗だったけど柊も負けない大声で言った。


「はい!」


 それからは毎日のようにやってくる柊と少しの間だけど話すことができた。蜜柑は美智子に頼み込んで柊の来る時間を教えてもらい、毎日チューペットを用意した。毎年美智子から貰っていたお駄賃をアイスにつぎ込んで、柊との時間を作る蜜柑。

 駄菓子を奢ったり、アイスを一緒に食べたり。部活帰りで疲れている柊を引き留められる時間はほんの10分。でも蜜柑にとってその10分は貴重で、幸せなものだった。


 いつかの昼間に、さっちゃんこと甘夏幸代あまなつさちよがやってきて孫をお願い、と頼まれた時は驚いたけど嬉しかった。


「あの子ね、女の子の話なんてひとつもしないから心配だったのよ」

「……わたしは」

「いいのよ。ひと夏の恋でも……いいじゃない。あの子にとっては貴重なことよ」


 蜜柑と柊は住む場所が違う。ひと夏の恋。

 蜜柑は柊が好きだ。自分からこれだけ行動するのも、どれだけ周りに恋心がバレても冷やかされないこの場所で恋をすることが、特別だ。柊は東京の男とは違う。野球に一途で、芯がある。顔や、ヤルことだけを優先する男とは違う。


 でも、柊は蜜柑のことをどう思っているのだろうか。それだけが蜜柑にとっての不安だった。


「蜜柑どうした?」

「……柊くんは、東京の女のことどう思う?」

「え?」

「私、東京に住んでるから……聞いてみたいなって」


 突拍子もないことを言う蜜柑に柊は目を丸くする。髪で顔が隠れているため蜜柑の表情は読み取れない。アイスを食べる手が止まる。


 柊は今まで考えたことのないことをよく考えてみる。テレビの中に映る東京の女の人は派手で、あまり知性を感じない人が多い。だけど実際はそうじゃないだろう。自分の目で見たことはないけど蜜柑のような子はあまりいないだろう。だけど。


「……あんま、好みではないな」


 絞りだすように出されたその言葉に、蜜柑は唇を噛んだ。せりあがってくる涙を、見せる気はない。だけど、ここで泣かないほど柊に気持ちがないわけじゃない。


 ぽとりと、食べかけのアイスが落ちた。






「あれ?」

「柊ちゃん。久しぶりだねえ」

「蜜柑は?」

「蜜柑ちゃんは、今鹿雄さんのところに行っているよ。用事があるらしくてね」

「そう、か」


 表情を暗くして、蜜柑がいなかった時のようにチューペットを1本貰う。そしてお金を今までの時のよう美智子の手に置く。

 いつものように店で蜜柑と話すことはない。だが、10分だけどここにいた習慣は抜けなくて。美智子はそれに気づき座る自分の隣を開けた。蜜柑のように。


 柊はそれに気づき、鞄を地面に置き隣へ座った。


「蜜柑ちゃんとはどうだい?」

「……俺は、貴方のお孫さんを傷つけてしまったかもしれない」

「そうかい。それで?」

「それでって。俺を責めないのか?」

「柊ちゃんはいい子だって、この1年でよく知ってるからね。それにあの子は強いよ。その辺にいる女とは違うからね。なんてたって私の孫だからね」


 蜜柑のことを誇るように話す美智子。その横顔はいつも見る蜜柑と同じだった。


「……俺、蜜柑のこと傷つけるかも。泣かせるかも」

「うん」

「それでも、預けてくれますか」

「柊ちゃんは、この恋をひと夏の恋にする気かい?」

「……ない。絶対にない」

「そうかい。なら好きにしなさい」


 柊は美智子に頭を下げる。その顔にもう迷いはない。

 いい、男の顔をしていた。


 美智子はもう心配することはない。それはすぐ傍で聞いていた蜜柑にも伝わっただろう。咄嗟についた嘘は蜜柑が傍まで来ていると気づいていたから。柊に会いたくない蜜柑の気持ちに気づいていたから。蜜柑は表情に全て出るから分かりやすくて、昨晩なんて落ち込んだ表情を浮かべていた。

 今朝にこの時間の店番を変わってほしい、と言われれば美智子は全てを察した。最近美智子が店番をしている時間に来た鹿雄や幸代は驚いた表情をしていて。幸代に関しては柊に傷をつけられたのではないかと心配していた。蜜柑は咄嗟に嘘をついて隠したけど二人にバレバレで。

 曖昧な笑顔を浮かべたままの蜜柑に心配の色を隠すことができなかった。


 幸代は部活から帰って来た柊に事の経緯を聞こうとしたけど、孫の真剣な表情に開いた口を閉じた。

 部活馬鹿で、甲子園になんていけるぐらい強い高校でもなければ人数がいるわけでもない。所詮お遊びのような部活に誰よりも真剣で、毎日バットを振って同じ熱量を持つ友達と練習して。田舎のここで柊が恋愛なんて、できるはずないと同級生の女の子にすら興味がないと言っていた。

 なのに今は一人の女の子に夢中で。ランニングする距離は伸びて、顔は更に焼けて。蜜柑がよく見る東京の男とは比べ物にならないかもしれない。

 けど幸代には自信がある。孫は、柊はいい男だ。親もとを離れて、何かに打ち込む姿は幸代から見てもかっこいいもので。惚れない女はいないだろう。


「柊」

「なに? ばあちゃん」

「大切にしなさいよ」

「……分かってる。諦めるのは、もう懲り懲りだ」


 幸代は満足して、ランニングしてくると言った柊を笑顔で見送った。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「蜜柑」

「……どうしたの鹿おじさん」

「もうちょっとで帰るんだろ?」

「うん。来週で夏休み終わるから3日後には帰るよ」

「……お前は、これでいいのか」


 店番をしている蜜柑にそう言う鹿雄。蜜柑の表情には迷いがあった。

 美智子から色々聞いていて、相談に乗ってあげてほしいとお願いされている手前色々口出しをするがどれも蜜柑に響くものはなかったらしく。もうすぐ夏が終わるという所まで柊と蜜柑が会うことはなかった。蜜柑はこれでいいのか、なんて思う日々だろう。東京へ帰れば柊に会うのは来年。その頃までどうなるかなんて、分かりやしない。


 鹿雄は蜜柑に後悔してほしくなかった。失敗を恐れてほしくない。老いぼれの言うことなんて説得力ないかもしれないけど、小さい頃からずっと成長を見守って来た蜜柑に、後悔だけは似合わない。何事にも全力で、明るく優しいこの村の孫のような存在。そんな女に、逃げるなんて文字は似合わない。


「天井蜜柑は、それっぽっちの女なのか?」

「……」

「俺はそうじゃないと思ってる。天井も、さっちゃんもみんなもそう思ってるぞ。ここまでお膳立てしてやってるんだ。やるだけやってみろ」

「みんな、良い人だね」

「当たり前だろ。お前はみんなの孫だからな」

「変なの」


 蜜柑の顔にもう迷いはなかった。食べかけのアイスは、もう落ちない。





「さっちゃんおばちゃん」

「あら蜜柑ちゃん。どうしたの?」

「おばちゃん。私に、柊くんください」

「え?」

「あの時、おばちゃんが私に柊くんよろしくって言いに来た時何も言えなかった。私は夏が終われば東京に帰るしここから離れる。迷いがあったの。でも今はもう、ない。だから許してほしい」


 幸代は遠い自分の家までやってきた蜜柑に驚く。

 小さな村とはいえ1軒ごとの距離は離れていて、ここから蜜柑の家まで30分ほどある。8月の猛暑、熱中症にもなりかねないこの気温の中蜜柑はここまでやってきた。幸代に話をするためだけに。


 幸代は感動で涙が出そうになった。ここまで孫を愛してくれる子はいない。そう漠然と思った。

 蜜柑のことは小さい頃から知っているしいつか孫のお嫁さんにでもなってくれたらいいな、なんて昔から思っていたのに本当にこうなるとは思っていなかった。この縁は、1年前から始まっていたのかもしれない。


「いいよ。蜜柑ちゃんにならいいよ。柊のこと、末永くよろしくね?」

「はい!」


 傷ひとつない真っ白い肌。綺麗な笑顔を浮かべるこの子に、孫は釣り合うだろうか。

 いや、そんなこと先の短い自分が考えることではないと考えを取っ払う。将来のことを決めるのはあの子たちだ。生半端な気持ちで、挨拶なんてしに来ないだろう。

 少し顔色の悪い蜜柑を家で休ませていると柊の声が聞こえて来た。いつの間にか時間は経っていて、顔に冷えたタオルを乗せていた蜜柑の顔色はあの時よりもよくなっていた。でもまだ体調が戻らないのか眠っているけれど。


「え⁉ なんで……」

「静かに。柊、貴方に用事よ」

「俺、に?」

「起きるまで待ってあげなさい。あ、汗は流しなさいよ?」

「分かってる!」


 走ってお風呂場へ向かう柊に笑う幸代。軽く蜜柑の肩を揺するが彼女はもう起きていたようで、頬を赤く染めていた。


「蜜柑ちゃん頑張りなさい。私はお隣にでも行ってくるわ」


 軽く肩を叩き幸代は隣の家へと向かった。家の中は水と扇風機の音だけが響く。隣で首を振る扇風機は蜜柑の髪を揺らす。手櫛で整えてもすぐに崩れる髪。でもクーラーもないこの家で扇風機を止める選択肢はなくて、次第に乱れる髪を諦めた。少し前に出されたお茶は温くなっていて、飲めたものじゃなくて。手持ち沙汰で、何もすることがない。縁側からは形のいいトマトが見える。


 蜜柑は落ち着くために靴を履き実っているトマトを見る。大きく真っ赤で形がいい。丁寧に育てられたのだろう努力がトマトに現れていた。そっとトマトに触れぼうっと眺めていると頭に何かを乗せられた。


「熱中症、なるぞ。さっきもそうだったんだろ?」

「柊、くん……」

「トマト、綺麗だろ。俺とばあちゃんでゆっくり育てたんだ。今年は虫食いもなく育った。食べるか?」

「いいの?」


 柊はトマトを1つ毟り、蜜柑へ渡す。口に入れたトマトは少し酸っぱいけど美味しかった。今まで食べたどのトマトよりも美味しくて、甘く感じた。

 載せられたのは麦わら帽子で太陽の光を遮ってくれた、先ほどまで直撃していた暑さは麦わら帽子により少し和らいだような気がした。しゃがんでいた蜜柑は柊により立たされ、家へと戻される。麦わら帽子を外すと顔が赤くなっていたのだろう。柊は顔を顰め濡れたタオルを持ってきた。


「また熱中症なる。横になって扇風機の前でそれ顔に当てとけ」

「……ありがとう」


 柊が帰って来る前と同じ体勢になる。寝転ぶ蜜柑の隣に腰かけた柊。駄菓子屋では隣同士に座っていて、あの時より距離は遠いはずなのに今はあの時よりも近く感じる。タオルで顔を覆っているためか柊は視界に入らない蜜柑。それが都合が良くて、蜜柑は話しを始めた。


「最近、避けてごめんね」

「……ああ」

「色々考えて、柊くんに合わせる顔がなかったの……」

「俺が、東京の女が好みじゃないって言ったからか?」


 黙り込む蜜柑。図星だと柊は察した。蜜柑の表情は分からない。だけど複雑な顔をしているだろう。


「俺は東京の女は好みじゃないな。テレビの中しか見たことないけど派手で、多分俺と相性悪いと思う。蜜柑以外は」

「え?」

「蜜柑はばあちゃんの手伝いにこんな田舎までやってくる優しい奴だし、俺と話しをするために暑い中30分かけてここまで来てくれる筋の通ってるいい女だ。俺の、好みドンピシャ」

「でも、私柊くんのことずっと避けてて……」

「でも最後は話しをしにきてくれただろ。俺にとってはそれで十分だ。なあ蜜柑」


 俺じゃダメか。そう言葉を繋げる柊。

 タオルの中に隠された蜜柑の顔は涙腺が決壊寸前で。もうろくに声も出せそうにない。震える声を、零れる涙を止めることに必死だった。

 投げ出されている蜜柑の手を握る柊。力の込められた手を解き、そっと重ねる。緊張しているから冷や汗は止まらないし返事のない蜜柑に不安を覚える。でも、でも大丈夫だろう。少し漏れている嗚咽が、それを物語っていた。


「蜜柑。好きだ」


 断りも入れずに顔を覆うタオルを取ると顔を真っ赤にして、涙を零している蜜柑がそこにいた。

 愛おしい。その感情だけが柊の心の中を埋める。好き、大好き、可愛い。離れたくない。


「わたしも、わたしも柊くんが好きよ」


 嗚咽交じりのその言葉。でもこちらを向いてしっかりと自分の気持ちを伝えた蜜柑に今度は柊が嬉しさで顔を歪める。瞳を覆う涙は、一筋の光を作った。

 ゆっくりと手を伸ばす蜜柑を抱き寄せる。密着する体は火照っていて、熱を持つ。でも今はそんなこと考えられないぐらい幸せで満ち溢れていた。


「熱中症」

「え⁉ しんどいか⁉」

「そうじゃなくて。ゆっくり言ってみて」


 言葉の意味を理解した柊は頬を赤くするけれど、覚悟を決めた。

 重なる影のその後は、二人にしか分からないものだった。

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