第4話。伊織と寝室

「これは……」


 自宅に帰ってきた時、家の中に足を踏みれると驚くべき光景が目に入った。昨日までろくに足元が見えなかった廊下が今は綺麗に片付いていた。


「昼間のうちに片付けておきました」


「大変じゃなかったか?」


「ええ、まあ……」


 瑠夏るかが察してほしいという顔をした。


 片付けはよほど大変だったのだろう。


「部屋にあったゴミは分別し直しました。今はベランダに置いてますけど、捨てる日になったらボクが捨てておきます」


「全部任せっきりで悪いな」


「いえ。ボクも一緒に暮らすわけですから」


 瑠夏が冷蔵庫に食材を入れている間にリビングの方も確認することにした。リビングも綺麗に片付いており、存在を忘れていたカーペットが姿を現していた。


「この部屋……こんなに広かったんだな」


 一人暮らしを初めて何年経ったのか。誰を家に呼ぶわけでもなく、両親とも連絡を取るだけで顔を合わせることもなかった。


 そんな生活がずっと続くと思ってというのに。どういうわけか、今は瑠夏と一緒に暮らすことになった。


 本当に人生、何があるかわからない。


「おじさん」


 瑠夏がリビングに来た。


「洗濯した衣類が寝室の方に置いてあります。とりあえず全部洗ってみましたけど、要らないものは捨てた方がいいと思います」


「ああ、そうだな」


 寝室の方を覗いて見ると、綺麗に服が積まれていた。そのほとんどが部屋に散乱していた衣服だと思えば、瑠夏は本当によくやってくれている。


「なあ、瑠夏。俺は別にお前に働いてほしいわけじゃないんだ。もし、面倒ならやらなくてもいんだぞ?」


「そうすると、部屋が片付きませんよね?」


「うっ……それは、ほら……クリーニングを頼めば……」


「おじさんの部屋を見たら、業者の人がびっくりしますよ。それにお金もかかりますし」


 手間を考えた時、金で解決することなら自分は迷わず金を使うことを選択してしまう。瑠夏は逆のようで、無駄に金がかかることは嫌なようだ。


「わかった。それじゃあ、働いてくれる代わりに瑠夏には小遣いをやろう」


「あ、それは大丈夫です」


 瑠夏には欲がないのか。それとも稀に見る善人なのか。どちらにしても、自分には余計なことしか出来ないようだ。


 ソファーに座り、考え込む。瑠夏と向き合うことの難しさ。自分の正しいと思った行動が空回りしていることや、その対策を考えたりもする。


 そもそも人付き合いが上手くやれていると思ったことは一度もない。自分の対応は瑠夏でなければ相手を泣かせていても不思議ではないと思えるほどだ。


「おじさん」


 瑠夏に声をかけられて我に返った。


「どうした?」


「ボク、昨日はおじさんのベッドで寝ましたよね」


「ああ、そうだな。来客用の布団でもあれば用意したんだが、これまでに買う機会もなかったからな」


 昨日は何も考えずに瑠夏をベッドに寝せたが、他人の布団が嫌だったか。そんな嫌味を瑠夏が言うとは思えないが、もっと気を使うべきだった。


「瑠夏が嫌じゃないなら、そのままベッドを使っていいからな」


「ボクは床でも寝れますよ」


 瑠夏が隣に座ってきた。


「何を言ってるんだ。瑠夏を床で寝せたり出来るわけないだろ」


 それなら、自分が床で寝る。と言いたいところだがベッドが使えなければソファーで寝るだけだ。睡眠が出来るなら、何処で寝ても変わりはしない。


「でも……」


 瑠夏は戸惑っているようだ。


「瑠夏。俺はソファーでも十分に眠れる」


「だったら……!」


 瑠夏が服の袖を掴んできた。


「……ボクと一緒に寝るのは嫌ですか?」


「一緒というのは、同じベッドで寝るということか?」


「そうです。あのベッドなら二人で寝れると思います」


 あれは越してきた時に買ったベッドだ。無駄に大きく自分が寝る時も半分程度しか使っておらず、瑠夏が言ったように二人で使っても問題なく寝れるだろう。


「瑠夏はそれでいいのか?」


「はい」


 瑠夏の意思は固いようだ。


「わかった」


 これ以上、瑠夏の提案を拒む理由はない。自分からしてみれば、瑠夏はまだ子供だ。少しくらい大人がわがままを聞いてやるべきだろう。


 しかし、瑠夏から感じる信頼のようなものに違和感があった。確かに瑠夏とは完全な他人というわけではなかったが、昔にちょっと構ってやった程度だ。今、向けられている信頼とは釣り合っていないように思えた。


「そうだ。風呂の用意しないとな」


「ボクがやります」


 断る間もなく、瑠夏が立ち上がりリビングから出て行った。わざわざ引き止める理由もなかったか。


「俺は……」


 瑠夏の本性が見え始めると、線引きをして踏み込まないようにする。それが瑠夏に気づかれているとは思わないが、いずれは勘づかれる可能性はあった。


 人間なんて臆病な生き物だ。


 上手く腹の探り合いをして、相手を上回なければ喰われるのは自分の方だ。だからこそ慎重になるのは仕方がない。


 そんな考え方が強くなったのは働き始めてからだったか。学生の時なら、最悪な人間関係は切ってしまえば終わり。それ以上関わらないようにすれば平穏な日々を過ごせた。


 しかし、会社に逃げ場は無い。誰と誰が繋がっているかなんて目に見えない。下手に立ち回れば全部瓦解するような、そんな恐ろしい世界だった。




「瑠夏。寝るならベッドにしてくれ」


 食事と風呂を済ませた後。一日を終えるには十分ではあったが、偶然テレビで流れていた映画を瑠夏と二人で見ることになった。


 昔はよく映画館に行っていたが、最近は趣味に没頭することも無くなった。だからか、久しぶりに映画を見ることに時間を使ってしまった。


「すみません……思ったより長かったですね」


 瑠夏が目をこすっていた。


「瑠夏は普段から映画を見たりするのか?」


「あまり見ないです。小さい頃はテレビでやってる映画は色々と見ていたんですけど、最近は本を読む方が好きなので」


 瑠夏が立ち上がった。


「それじゃあ、寝ましょうか」


 テレビを消して、色々と準備を済ませてから寝室に行く。しかし、あらためて二人で寝ることを考えると、複雑な気持ちにもなる。


「おじさんは壁際がいいですか?」


「いや、俺はどっちでもいいが……」


「なら、ボクが奥の方で寝ますね」


 瑠夏がベットに寝転がった。壁の方に体を向けることで、こちら側からは瑠夏の背中が見えている状態になる。


 おそらく、瑠夏が仰向けで寝たとしてもベットは十分な広さがある。一人暮らしをする時に適当に買ったベットだが、ちょうどよかった。


 自分もベットに腰を下ろすことにした。


 寝る前にケータイを確認するのは癖のようなものだ。明日起きる為の目覚まし機能を使い、リモコンで電気を消した。


「……」


 ベットに寝転がった時、瑠夏に背を向けた。


 静かに呼吸をして眠ろうとしたが、妙に鼻が匂いを感じる気がした。最後に布団の洗濯をしたのはいつだったか。そもそも、洗濯したことなんてあったか。


「おじさん」


 呼ばれて顔と体を動かす、すると先程背中を向けていたはずの瑠夏が今はこちらを顔を向けていた。


「……お願いがあります」


「ああ。どうした?」


 瑠夏の体が近づいてくる。わずかに瑠夏の手が体に触れたような感覚がある。しかし、それ以上瑠夏の体は近寄らなかった。


「ボクが眠るまで、このままでいてください」


「わかった」


 瑠夏はまだ子供だ。こうして甘えることは何もおかしくない。しかし、瑠夏の体が近づいた時に気づいたことがあった。


 この鼻に感じる匂いは、瑠夏の体から香る匂いだった。安心するような匂い。その匂いのことを考えているうちに自分もすぐに眠ることが出来た。

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