最終話。伊織と恋人
「
透明な仕切りの向こう側。以前よりもやつれて見える
「小林。久しぶりだな」
「あれから何年経ったんですかね……」
小林が捕まってから、それなりに時間が経った。
「ずっと、お前に聞きたいことがあった」
「聞きたいこと?」
「あの日、俺に居場所を教えたのはお前か?」
「ええ、そうですよ」
あの時、小林にメールのことを確かめる余裕がなかった。しかし、事件のことを思い出すたびに、自分の中で納得の出来ない出来事として残り続けていた。
「どうして、そんなこと……」
「鳴澤先輩も一緒に殺すつもりでしたから」
初めて聞いた小林の計画。小林は裁判の間、多くは語らずに罪を受け入れて。今は塀の向こうで生活をしている。
「何故、そうしなかった?」
「あの女をいたぶった時、全然スッキリしなかったんですよ。死んだ弟の代わりに復讐……なんて正義を執行するだけの理由もあったのに……ちっとも気分が晴れなかった……」
小林は俯き、動かなくなる。
「俺を殺そうとしたのは、兼島と仲良くしていたからか?」
「……鳴澤先輩を殺せば、あの女に自分と同じ苦しみを与えられると思ったからですよ。あの女が鳴澤先輩に惚れていたことも知ってました」
もし、自分が小林の立場だったら。復讐なんて考えただろうか。もし、小林がここを出た後、兼島に対する復讐心が残っていたとしたら。
それはまぎれもない、本物だと思えた。
「鳴澤先輩」
小林が長い沈黙の後に口を開いた。
「自分の代わりに弟の墓参りに行ってくれませんか?もちろん、断ってもらっても構いません」
「俺でいいのか……?」
「他に頼める人なんていませんよ」
その後、小林がどうなったか知らない。
もう二度会わないと決めたのは、過去を忘れるべきだからと思ったからだ。最初で最後の面会は過去と決別する為でもあった。
青空の下。ずっと室内にいたせいか、外に出れば手で太陽を遮りたくなるくらいに眩しかった。そんな視界の端に見覚えのある人物が立っていた。
「
名前を呼ぶと、瑠夏が顔をこちらに向ける。
白いワンピースのような服と長く伸びた綺麗な髪。季節が夏なこともあり、涼しそうな格好だった。
「ずっと待ってたのか?」
「いいえ。ちょっと前まで車に乗ってましたよ」
瑠夏の視線の先に兼島の車があった。しかし、顔を合わせる気はないのか、そのまま車は走り出してしまった。
「兼島先輩と何か話したのか?」
「はい。今の仕事の話とか色々と」
小林との一件があった後、兼島は会社を辞めてしまった。また同じような人間を作り出したくないという、切実な言葉を兼島から直接聞かされ、引き止めることも出来なかった。
「あと、
「そうか……」
兼島との関係は仕事を抜きにすれば、以前と何も変わらない。たまに家に遊びに来ることはあったが、兼島の目的は瑠夏だった。
「行くか」
瑠夏と一緒にしばらく歩くことにした。
海沿いということもあり、多少は涼しい。それでも太陽に肌を焼かれ続ければ、今からでも海に入りたいという気持ちにもなる。
「今日、実家に帰ってたんだろ?」
「そうですね。
「あれから、父親とはどうだ……?」
聞かない方が後々気まづくなると考え、自分の方から訊ねることにした。
「何も話してませんよ。母の体調がよくなってから、余計に肩身が狭いんだと思います」
父親は家庭を守ろうとして、何もかも壊してしまった。それは何があろうと修復出来ないと思っている。
「仲直りは難しいか」
「父と仲直りする理由がありませんよ」
既に瑠夏は実家を出ている。それが母親の体調が良くなった理由の一つだと思うが、それ以前に父親の勝手な行動が母親の負担になっていた可能性も考えられた。
「母親の方は何か言ってたか?」
「伊織さんと仲良く。とだけ」
「認めているのか……それとも……」
瑠夏を押し付けられたとは思わないが、やはり瑠夏は両親と仲良く出来ないようだ。今の関係のまま何も変わらないのだとしたら、瑠夏の人生は大きく変わるのではないか。
「伊織さん。今日は何が食べたいですか?」
しかし、瑠夏が本気で望まないことに自分が口を挟むわけにはいかない。今、瑠夏が望んでいるのは二人だけの平穏な日々なのだから。
「もう飯の話か」
「だって、今日は特別な日ですから」
「特別……何かあったか?」
瑠夏が振り返って、顔を合わせてくる。
「伊織さん。今日は何の日ですか?」
「何の日って……」
ケータイで日付を確認しようとするが、瑠夏に腕を掴まれ止められた。自力で思い出せということなのか。せめて、ヒントでもあればわかるが。
「ボクが毎年何の為に頑張ってると思うんですか」
「毎年……ああ、俺の誕生日か」
自分の誕生日が特別だと思ったことはない。瑠夏と暮らし始めてからは、毎年、瑠夏と千冬が祝ってくれるようになったが。いまだに誰かに誕生日を祝われるのは慣れない。
「伊織さん。プレゼントを渡すよりも、料理を食べてる時の方が嬉しそうなので。料理に力を入れることにしました」
「それは瑠夏が作ってくれるからな」
瑠夏に体を小突かれた。
「そんな新婚みたいなやりとりいりません」
「そうか?まだ俺達の関係は始まったばかりだろ?」
「伊織さんと一緒に居ると新婚というよりも、長年連れ添った夫婦って感じなんですよ。慣れ過ぎて新鮮味が無いくらいです」
瑠夏が実家を出て、二人で暮らすようになってから。特別、何かがあったわけじゃない。お互いに不満を抱くようなこともなく、理想的な関係を続けていた。
「瑠夏は……本当に俺でよかったのか?」
だから、時々不安になる。
瑠夏の心が隠れてしまっていると考える。
「それはボクのセリフですよ」
瑠夏が少しだけ、離れた。
「どれだけ、女の子らしい格好をしても。気づく人は気づきます。それで何度、伊織さんはあの目を向けられましたか?」
「さあな。俺は瑠夏しか見てないからな」
それは嘘だった。
瑠夏と二人で出かけた時、周りの目が気にならなかったと言えば嘘になる。実際、瑠夏の方が絡まれたこともあった。
自分達が思っている以上に周りの人間は優しくはない。だが、そんな人間達に理解を求めるのは自分勝手だと思う。自らに信念があるように他の人間にも理想や考え方があるのだから。
それを曲げたら、人間である意味がない。
「ボクは伊織さんと今さら離れるつもりはありません。でも、伊織さんが望むことなら、叶えるつもりです」
「瑠夏……」
ああ、そうだ。自分が不安になれば、瑠夏も同じように不安になる。共感とは不可解なものだが、同時に繋がりを感じることが出来る。
足を踏み出して、瑠夏に近づいた。逃げようとする瑠夏の体を抱きしめて、心ではなく体でお互いの存在を確かめ合う。
「伊織さん、ボク、今、汗臭いですよ……」
「そうか。いい匂いだと思うが」
覚悟ならとっくの昔に出来ている。しかし、弱音を吐かないというのは難しい。だからこそ、その弱音で誰かを傷つけたくなかった。
「瑠夏。俺はお前のことが好きだ」
「知ってますよ」
「瑠夏が居なくなったら、俺は生きていけない」
「それは……ボクも同じです」
あの日、瑠夏に出逢ってなければ、いつか自分は孤独にゴミの山の中で死んでいたのだろう。
今の自分があるのは瑠夏のおかげだ。瑠夏を失った未来は想像するだけで恐ろしく、過去の自分には戻りたくないと強く願っている。
「俺が必ず、瑠夏のことを幸せにする」
だから、もう一度。覚悟を口にした。
「それは……無理だと思いますよ」
瑠夏が体を押して離れてしまった。
そのまま瑠夏は少しだけ歩いて行った。
「伊織さん」
瑠夏が振り返り、ささやかな笑顔を見せた。
「だって、もうボクは幸せですから」
そんな瑠夏の顔を見て。
自分の決断は間違っていなかったと思えた。
背徳症状-伊織の果断- アトナナクマ @77km
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます