第17話。伊織と復讐
「お前が犯人だったのか」
暗闇から姿を現した人物。その光景を目にしたことで、整えられた舞台を見せつけられている気分になった。すべて彼の計画通りと考えれば不快にもなる。
「犯人。だなんて言い方、酷いじゃないですか」
そこに立っていたのは
「自分が何をしてるのか、わからないのか?」
「わかってますよ。ただ僕は罰を受けるべき人間がのうのうと生きている事実を見過ごせないだけです」
罰を受けるべき人間。誰のことを言っているのか理解出来ないが、今の状況を無理に当てはめるなら小林の言っている相手は一人しかいない。
「
「ええ、その通りです」
小林は兼島に恨みを持つ人間というわけか。
「だからって、これはやり過ぎじゃないのか?」
「いいえ、まだまだ全然足りないくらいですよ」
「何故、兼島にそこまで強い恨みを持っている?」
自分は小林が馬鹿だとは思わない。行動が釣り合っていないように見えるのは、そんな小林を知っているからだ。
「僕の方から答えるつもりはありません。この女が自分で思い出さないと意味がないんですよ」
兼島が思い出す。小林と兼島の間に何があったのか自分にはわからない。しかし、問題を解決する方法ならあった。
今なら小林を取り押さえられる。わずかな隙をついて飛び込めば、押さえつけることくらいは出来る。
「
小林が近くにあったタンクを蹴り飛ばした。タンクの中から溢れた液体が地面に広がり、鼻には独特な臭いが届いた。
「僕は鳴澤先輩のことは尊敬しています。だから巻き込みたくはないんですよ」
小林の手にはライターのようなモノが握られていた。それは安物のライターではなく、オイルを使って火をつけるようなものだ。
もし、その炎が地面に落ちれば、この場は炎に包まれるだろう。兼島を助ける隙なんて小林は与えるつもりはないようだ。
しかし、そのライターを見て気づいた。小林はタバコを吸ったりはしない。小林の持ち物という事実に違和感があった。
「……っ」
タバコを吸っていた人間。それに兼島に強い恨みを持つ人間。小林という存在を除いて、二つの可能性を重ねて、見覚えのあるライターを持っていた人物を思い出す。
「まさか──」
その名前を口にした時、小林は驚いた顔をした。
「鳴澤先輩が答えるのは予想外でした」
「短い時間と言っても、一緒に働いていた同僚のことだ。思い出すことが出来るくらい記憶には残っている」
それに強く印象に残っていたのは、あの事件を起こした人間だからだ。会社で大暴れをして、兼島に暴力をふるおうとした人物なのだから。
「それは僕の弟のことです」
小林の弟。つまり、小林が兄ということか。
「……いや、しかし。アイツは小林という名前ではなかったはずだ」
「僕は嫁さんの苗字を使ってますから」
だから、誰も小林とアイツの関係に気づくことが出来なかったのか。顔を覚えている人間もほとんどおらず、名前も違っているなら、親族であることも気づけないだろう。
「鳴澤先輩、僕の弟が会社をクビになった後、どうなったか知ってますか?」
「……亡くなったと聞いている」
もし知っていたら、葬式くらいは出ていた。
「弟は仕事を失ってからは、ずっと家に引きこもっていました。家族は時間が解決するだろうと、誰も弟と向き合おうとはしなかった。その結果、家に火をつけて、自殺をしたわけですが」
「お前は弟が自殺した原因が兼島先輩にあると言うのか?」
「すべての原因が兼島先輩にあるとは思ってませんよ。元々、弟のメンタルが弱いことも、自殺の原因になったと僕は思ってますから」
あの時、会社には兼島から教育を受けた人間は他にもいたはずだ。その中で小林の弟だけが、問題を起こして会社を去ってしまった。
それだけで兼島に問題があったとは考える人間はいないだろう。会社に入っても自分に合わず、すぐに辞める人間もいるのだから。
「でも、もし。弟の自殺の原因が兼島先輩にあるとだとしたら。僕には復讐するだけの理由があるとは思いませんか?」
「会社に来たのは弟の復讐の為か?」
「そうとも言い切れませんが、兼島先輩のことは最初から探っていました。兼島先輩が本当に弟の自殺の原因だったのか、知りたかったので」
ならば、今の小林が抱いている感情は途中から生まれたものということか。兼島が本当に復讐心を向けるべき相手なのか、小林は実際に会社で働きながら判断をした。
「でも、やっぱり、兼島先輩が原因でした」
小林の表情が曇った。
「兼島先輩は仕事に関してやり過ぎなんですよ。この前の明らかなオーバーワークもそう。人間を数字とし見ているからこそ、あんな真似が出来る。それに弟の名前すら、この女は覚えてなかった!」
次第に小林が感情的になっていた。これが小林の本性だとでもいうのか。長年、蓄えられた殺意を隠そうともしなかった。
「鳴澤先輩。ここから出て行ってください。そうすれば、鳴澤先輩は助かりますから」
「お前は兼島先輩と死ぬつもりか?」
「ええ。正直、仕事を続けるのも辛いですから」
「嫁さんのことはどうするつもりだ!」
まだ小林には残される家族がいるはずだ。
「関係ないですよ。あの人のことは利用しただけですから。恋愛感情もありません」
「お前はなんてこと……」
小林に近づこうとしたが、手に持ったライターが動いてそれを止める。無理やり取り押さえるのは不可能だ。
「……鳴澤君」
名前を呼ばれて振り返った。
「兼島先輩……」
兼島がわずかに目を開けていた。
「私のことはいいから……」
「何を言ってるんですか……」
「これは……私に与えられた罰だから……」
既に兼島は自分の運命を受け入れている。
こんな最悪な運命と向き合うことが、人間の人生だというのか。誰かの悪意によって、塗り替えられた最悪の結末。兼島も心の底では納得なんてしていないはずだ。
「俺は……」
選択肢は二つ。
兼島を見捨てて一人で逃げる。
兼島と共に死を受け入れる。
どちからを選ばなければならない。
「小林。すまない」
「どうして謝るんですか?」
「弟のこと。もう少し気にかけてやるべきだった」
「やめてくださいよ。悪いのは全部、その女なんてですから、鳴澤先輩が謝る必要なんて……」
人間は不完全な生き物だ。頭では最善の選択が浮かんでいるというのに、人は時として愚か者に成り代わる。
例えばそう。惚れた女の前に立った時。目の前の恐怖に立ち向かう勇気を必死に抱き、体は動き出すのだろう。
「小林ッ!」
体を大きく動かして、小林の体に飛び込んだ。そのまま小林を地面に押し倒して、動けないように押さえつけた。
「くっ……」
しかし、現実とは上手くいないものだ。
小林の手にあったライターには火が付けられていた。ライターは既に宙を舞い、燃料の撒かれた地面に向かっていた。
もう手は届かない。ここでみんなまとめて死ぬことなんて望まない。せめて、兼島だけは助かってほしいと、願いながらも。諦めるように目を閉じた。
「……っ!」
次の瞬間、何かがぶつかる音が響いた。
咄嗟に目を開けると、目の前ではライターがあらぬ方向に飛び去り。そのまま遠くの地面に落ちていった。
「はぁはぁ……」
手にバットのような物を持った人間が息を切らしながら、呼吸を整えようとしていた。髪で隠れた横顔を見た時、それが誰なのかすぐにわかった。
「
「おじさんのこと見かけたから」
瑠夏と顔を合わせた時、瑠夏の表情から喜びの感情というものを一切感じなかった。それは明確な怒りの感情だ。瑠夏は体を動かし、地面に転がっている小林の元まで歩いた。
小林は頭をぶつけたのか意識を失っており、瑠夏が近づいたことにも気づけない。瑠夏は手に持っているバットを高く持ち上げた。
「アナタが悪いんですよ」
そして、瑠夏はバットを振り下ろした。
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