第13話。伊織と病院

「もしもし、姉貴」


 青空の下。周りに人が居ないことを確認してから、姉貴に電話をすることにした。電話を鳴らし始めて待つこともなく、すぐに通話が始まった。


「頼んでおいたこと。調べ終わったか?」


「ええ。全部済ませてあるわよ」


「それじゃあ……」


「結論から先に言うと、その人は犯人じゃないわ」


 数日前、兼島かねしまを歩道橋の上から突き落とした人間。


 その相手に心当たりが無かったわけじゃない。兼島に恨みを抱くような人物の中でも、特に問題を起こしそうな人間が一人だけ記憶に残っていた。


 昔に会社で暴れて騒ぎを起こした人間がいた。その時に自分も怪我を負ったが、会社側はその件を穏便に済ませる対応をした。


「どうして、犯人じゃないってわかる?」


「だって、その人。ずっと昔に亡くなってるから」


「亡くなってる……?」


 知らなかった。それほど長い時間、仕事を一緒にしたわけではないが。亡くなった話を聞けば思うところもあった。


「それ以上、詳しいことはわからなかったわ。亡くなった頃にあんまり人付き合いもなかったみたいだし」


「そうか……」


 そんな都合よく犯人が見つかるわけなかったか。


「それで、依頼料はどこに振り込んだらいい?」


「今度取りに行くわ」


「わかった」


 姉貴は仕事で探偵みたいなことをやっているそうだ。なので、人探しなど専門的なことも得意なようで、今回仕事として姉貴に頼んだ。


伊織いおりちゃん」


 姉貴の声色が変わった。


「もし、この人が生きてたら。伊織ちゃんはどうするつもりだったの?」


 その質問をされる覚悟はしていた。


「もちろん。警察に知らせてた」


「ふーん」


 姉貴は嘘に気づいているだろう。


「探偵ごっこなんて、やめなさない」


 そこで通話が終了していた。


「そんなこと、わかってるつもりだ……」


 ケータイをポケットにしまってから、目の前の建物に入ることにした。玄関先のロビーで受付を済ませてから、目的の病室に向かうことにした。


 その病室に着いた時、扉が向こうから開いた。


「あ、おじさん……」


瑠夏るか。もう来てたのか」


「はい。でも、ボクの用事は済みましたから」


 瑠夏が立ち去ろうとした。


「一緒に帰らないのか?」


「ごめんなさい、まだ別の用事があるので」


 以前と比べても、瑠夏の様子に変化があったわけではない。直接、瑠夏が被害を受けたわけでもなく、ただ兼島の怪我を気にしているようだった。


 病室の扉を開けて、足を踏み入れた。


「兼島先輩」


 ベットの上で兼島が体を起こしていた。


鳴澤なるさわ君。今日も来てくれたんだ」


 兼島は持ち込んだノートパソコンを使って、仕事をしていた。兼島が入院したことで仕事に影響も出ている。


「また仕事ですか」


「当たり前でしょ」


 兼島の頭に巻かれている包帯。それに脚の方もやっているようだ。入院は長引くことはないと言っているが、こんな調子だと治るものも治らないだろう。


「さっき、瑠夏が来てましたよね?」


「鳴澤君は何話してたか気になるの?」


「まあ、アイツもずっと来てるみたいなので」


 瑠夏と兼島は仲良くやってるようだが。


「化粧とかの話をしてた」


「あー……」


「鳴澤君。瑠夏ちゃんの変化にちゃんと気づいてる?」


 瑠夏の変化と言われても、気づいたのは髪が伸びたことくらいだ。他に変化があったように思えなかった。


「俺と瑠夏は上手くやってる」


「じゃあ、瑠夏ちゃんの用事が何か知ってる?」


 その言い方をするということは、兼島は瑠夏の行き先を知っているのか。わざわざ聞き返さなかったのは自分だが、兼島に言われて瑠夏に対して自分が関心が無いとすら思えた。


「それは俺が知るべきことですか?」


「その返しをする鳴澤君なら、知らない方がいいと思う。でも、まあ瑠夏ちゃんって、鳴澤君が質問すればなんでも答えてくれると思うんだけど」


「流石になんでもは答えてくれませんよ」


 瑠夏は言葉を伝えたくない時は沈黙を選ぶ。


 誤魔化すのが苦手なのか。それとも単純に嘘をつきたくないからなのか。どちらにしても、答えを口にしないことなら何度もあった。


「鳴澤君。前は色々言ったけど、やっぱり瑠夏ちゃんには家族と仲直りしてほしいと思ってる」


 兼島が近くの棚に置いてある物に目を向けた。


「私、お母さんと久しぶりに会った」


 そこにあったのは花瓶だった。


 綺麗な花だ。名前は知らないが、そこにあるのが正しいと思えた。兼島の傍で咲くことで、花が何倍にも綺麗に見えた。


 自分が病室に足を運ぶ度に新しい花が飾られている。それは兼島の母親が娘の為を想って取り替えているのだろう。


「実家を出てからろくに連絡も取ってなかったから余計に心配させちゃって。最初にお母さんが病院に来た時は落ち着かせるのが大変だったんだ」


 兼島がパソコンに目を向けた。


「お母さんと話してる間は仕事のことを忘れられる。お母さんは優しくて、私を傷つけたりしない。でもさ、瑠夏ちゃんの話を聞いて、私がどれだけ恵まれているのか理解した」


「それが瑠夏の父親と何か関係があるんですか?」


「……やっぱり、子供にとって親の存在って大きいからさ。引き離すのはよくないかなって思って」


 兼島は綺麗事を言っている。きっと、口にした言葉は願望のようなものなのだろう。本気で叶うなんて思ってもいない。


「それを決めるのは瑠夏ですよね?」


「このまま瑠夏ちゃん一人だけだと、答えは見つからない。だから、鳴澤君が少しくらい歩み寄ってみたら?」


 それは先輩からの貴重なアドバイスとして受け取るべきなのか。兼島と瑠夏の関係を考えれば、無視出来るものではなかった。


「……出来るかぎり努力します」


「鳴澤君。頑張りなよ」


 その時の兼島は少しだけ寂しそうな顔をしていた。


 いったい兼島は、何を考えていたのだろう。




 兼島との話を終えて帰ることにした。


 病室から出ると、近くに立っている人物がいた。


小林こばやし。何してるんだ?」


 小林は手に大きな花束を持っていた。


「お、お見舞いですよ」


「プロポーズの間違いじゃないのか?」


「冗談はやめてくださいよ……これでも自分には大事な嫁さんがいるんですから……」


 そういえば、小林はこれでも結婚をしていると聞いたことがある。いつも小林が会社で弁当を食べているらしいが、それも作ってもらったのだろう。


「なら、その花束は何の悪ふざけだ?」


「実は自分、兼島先輩のお見舞いに来るのは今日が初めてなんです」


 そういえば、兼島の抜けた穴を埋める為に小林を含めた社員達が必死になっていた。自分も例外ではなかったが、少なとも兼島のお見舞いに来る時間くらいは作れた。


「そうか。兼島先輩に何か言われると思ってるのか」


「絶対言われますよ。どうして、すぐにお見舞いに来なかったのとか。仕事の方はどうなのとか」


「まあ、言われるだろうな」


 本気で問い詰められることはないとは思うが、小林も気の毒だ。同情する気はないが。


「鳴澤先輩、なんとか庇ってください」


「もう俺の話は終わった。後は頑張れ」


「そんなぁ……」


 小林を残して病院から出ることにした。


 一応、瑠夏のことも探してみたが、姿は見えなかった。用事があると言っていたし、期待していたわけじゃない。


「これから、どうするか……」


 既に兼島は犯人が見つかるわけがないと決めつけて被害を届けないと言っていた。だから、こっちで勝手に犯人の目星を付けて、姉貴に調べてもらったが、それも的外れだった。


 犯人探しをする。そんな大それた真似が出来る人間が、この世にどれだけいるか。現状で兼島は無事と言ってもいい。しかし、もし特定の人物が犯人だったとしたら、また兼島が狙われる可能性があった。


 何の能力も無い人間に選択肢はない。


 だからせめて自分の手が犯人に届く時は。


 次こそは確実に捕まえようと誓った。

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