第14話。伊織と父親

 兼島かねしまから瑠夏るかに歩み寄ることを提案させる以前から、瑠夏との関係について何度も考え直すことがあった。


 瑠夏とは血が繋がっている。


 つまりは親戚の子供という扱いが正しいのだろう。瑠夏を自分の子供として見れないのは、そんな事実があったからだ。


「おじさん」


 色々なことを一人で考えている時、瑠夏に声をかけられた。最近、瑠夏が一人で出かけるところをよく見るが、いったい何をしているのか。


「どうした?」


「次の休みって、何か用事がありますか?」


「特に用事は無いが……」


 瑠夏は少し黙り込むと。


「お父さんが話したいそうです」


「瑠夏の父親が……?」


 瑠夏と父親は以前からもめている。いずれ接触の機会があると、頭のどこかで考えていたが、急な話であることに違いはない。


「電話で話せばいいのか?」


「直接会って話がしたいそうです」


「そうか……」


 瑠夏を預かっている以上、この話を無視するわけにもいかない。まだ色々と自分の問題が解決していないというのに、先に瑠夏のことを優先しなくてはならないようだ。


 次に仕事が休みの日、瑠夏の父親と会うことを決めた。家だと母親が居るので、外で会うことになったが、何も問題が起きないことを願うばかりだ。




 瑠夏の父親と顔を合わせる日。


 待ち合わせ場所として、駅近くのカフェを指定された。なるべく早めに来たつもりが、今日会うべき人間が既に席に着いて待っていた。


 見た目はかなり老けて見えるが、まだそんなに歳を重ねているわけじゃない。これまでの人生に苦労が多かったのか、疲れたような顔をしているのは相変わらずだった。


「お久しぶりです」


「ああ。久しぶりだね。伊織くん」


 瑠夏の父親と顔を合わせるのは今回が始めてではなかった。ただ、昔に会った時と瑠夏から聞いた父親のイメージに大きな差があり、以前と同じ人間だと考えるのはやめるべきだろう。


 席に座ろうとしたが、もう一人。今日、来るべき人間がまだ到着していないことを確かめる。最初から一緒には行かないと言っていたので、嫌な予感はしているが。


「あの子なら、まだ来ていないよ」


「そうですか」


 そもそも二人揃って早めに来てしまった。約束の時間にもなっておらず、まだ瑠夏が来ないともかぎらない。


 瑠夏には期待をして待つことにした。コーヒーを頼んではみたが、こういう場で無言が続くのは苦手だった。


「伊織くんの家だと、あの子はどんな様子かな?」


 向こうから話を振ってくれるのはありがたい。下手に瑠夏の話をして、関係を悪化させるようなことは望んでいないのだから。


「いい子にしてますよ。俺の代わりに家事もやってくれてますし、不満は何一つありません」


 嘘は言っていないが、瑠夏を客観的に見た評価を口にしただけだ。瑠夏の抱えているものには一切触れなかった。


「わたしとしては、あの子が望むなら。伊織くんの家にずっと居てもいいと思っているんだ」


「しかし、それは……」


 自分は瑠夏の本当の家族じゃない。


 兼島が言ったことに同意するわけじゃないが、瑠夏には帰るべき場所がある。この父親は感情表現が苦手なだけで、瑠夏を嫌っているわけではないはずだ。


 何故、母親が瑠夏と父親の間に入らないのか気にもなっているが。そこまで踏み込んで話をするべきなのか。


「お待たせしました」


 色々と考えている間に瑠夏が来たようだ。


 視線をテーブルから、席の傍に立っている瑠夏に移した。だが、そこに居た瑠夏の姿を見て、今日を乗り越えることがどれだけ大変なのか理解した。


「瑠夏、その格好は……」


 一瞬、瑠夏ではなく千冬ちふゆが来たのかと思った。


 それほどまでに今の瑠夏は見間違えるような姿をしている。これまでは控えめだった格好が、今日は遠慮というものを感じない。


 今の瑠夏に似合う言葉があるとすれば。


 春風に揺れる、美しい花のようだ。


「服は千冬から借りたものです。後は兼島さんに教えてもらった化粧もしてみました」


 これはつまり。父親に対しても、全面的に瑠夏は自分の意志を主張をするということだ。わざわざ遅れてきたのも、今の姿を父親に見せる為だろう。


「これは、困ったね……」


 瑠夏の父親は戸惑い。いや、少し違う。今、吐き出された言葉と表情がまったく一致していなかった。親が自分の子供に何かを伝える時に感じる雰囲気と同じだ。


「わたしに娘は二人もいないはずだけど」


「……っ」


 今になって理解した。


 この父親は瑠夏を受け入れるつもりはない。


「それじゃあ、話し合いをしようか」


 駄目だ。ここで話し合っても言いくるめられてしまう。そう思って席から離れようとしたが、瑠夏が押し込むようにして隣に座ってきた。


「おい、瑠夏……」


「これが最後のチャンスなんです」


 最後。最後って、何を言ってるんだ。


「伊織くんには説明しておく必要があるね」


「説明?」


「わたしは瑠夏の決めたことに口出しをするつもりはなかった。でも、それは瑠夏が約束を守るならという話だった」


 父親と瑠夏が交わした約束。今の会話を聞く限り瑠夏の方が一方的に破ったように思えた。


「その約束って、なんですか?」


 瑠夏に向けられた父親の指先。


「そのふざけた格好をやめることだよ。わたしは瑠夏が約束を守ると信じて、代わりに伊織くんの家に滞在することを認めた」


 それはおかしい。今ほどではないが、瑠夏は自由な格好をしてたはずだ。なのに、それが今になって何故、問題となっているのか。


「伊織くんの疑問にも答えよう。わたしとの約束を瑠夏が破っていると気づいたのは、病院で瑠夏の姿を見たからからなんだ」


「まさか、兼島先輩の……」


 瑠夏は兼島の見舞いに通っている。その時、父親に目撃されたという話はありえないことじゃない。


「わたしはすぐに瑠夏を呼び戻した。それから何度か話し合いしたけれど、納得のいく答えは出なかった」


「……瑠夏がどんな格好をしたとしても。それは瑠夏の自由じゃないんですか?」


「瑠夏が好き勝手やるほど、責められる人間がいることを伊織くんには理解してほしいんだ」


「責められる人間……」


 瑠夏の父親はそれほど周りの目を気にしている様子はない。瑠夏もこうして姿を現したのなら、周りからどんな目を向けられても耐える覚悟があるはずだ。


 なら、他の誰が責められるというか。


「まさか、瑠夏の母親のことですか……?」


 母親が親子喧嘩に関わろうとしない理由。


「瑠夏のことは今に始まったことじゃなくてね。もっと、子供だった頃から、瑠夏には兆しがあった」


「何故、その時に止めなかったんですか?」


 瑠夏には辛いだろうけど、反論をしなければ相手のペースに呑まれてしまう。ただ、すぐにそれが失敗だったと気づかされる。


「こんな未来は想像もしていなかった」


「……っ」


 きっと、自分だって同じ考えを持ったはずだ。目の前にいる父親を無責任だと責めた人間も多くいただろう。人の親だからと言って、完璧を求めるのは酷であると嫌でも理解させられた。


「伊織くん。わたしは家族の為なら自分を犠牲にしても構わない。しかし、妻に同じものを背負わせるわけにはいかない」


「だから、瑠夏に我慢をさせるんですか?」


「それが正しいと、わたしは思っているよ」


 わざわざ、説明をしてくれたのは自分も加担させる為か。瑠夏を意思を捻じ曲げ、見かけだけの幸せな家族ごっこを続けさせる。


 それが最善と考えているのか。


 瑠夏が何も口を挟まないのは、既に父親と話し合いをして無駄と理解しているから。


 ここで求められているのは自分の言葉か。


「俺は……その考えが正しいと思います」


 自分には覚悟が足りなかった。


 瑠夏の考えに同調するということは、瑠夏のこれからの人生を背負うということだ。子供も育てたこともない人間が、自分勝手に他人の人生を狂わせるなんて許されるわけがない。


「伊織くん。瑠夏は連れて帰らせてもらうよ」


 その言葉を聞いた時、瑠夏の顔は見なかった。


 自分だけは瑠夏の味方でいるつもりだった。だから、自分の選択は瑠夏を裏切り、見捨てることだ。


 恨まれても仕方ない。でも、それで瑠夏が幸せになるなら、手を引くべきだと自分に言い聞かせ。顔を伏せることにした。


「おじさん。さようなら」


 別れ際に告げられた瑠夏の言葉。


 それがずっと、頭に残っていた。

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