閑話03:傭兵ジェラニと最大の宝石・中編

 星もまばらな明け方の空を目掛け、斬り込み役が火矢を放った。

 燃焼剤を練り込んだ矢尻は、びょう、と音を立てて空を裂く。


 明滅するまばゆい光が荒野を照らす。

 散開する襲撃者たちは背後に長く影を引きずり、虚を突かれた様子で咄嗟に目を庇った。


「おーお、囲まれてやがらあ」


「どのみち全員始末せにゃならん。下手に逃がして情報が漏れたら厄介だ」


「違えねえな――ッと!」


 数呼吸もせぬうちに火矢は地に落ち、すべては再び闇に沈む。


 団長は危なげない足どりで直進し、無造作に長剣を振り下ろした。

 薄闇に銀色の軌道がひらめき、次の瞬間、そこには頭部を柘榴のごとくはじけさせた賊の躯が力なく転がる。


 その間も副団長はよどみなく指示を飛ばし、傭兵たちを的確に対処に当たらせていた。


 鬨の声と金属のぶつかり合う音が乱れ飛ぶ中、私は姫君の手を引いて馬の陰へ導く。


 【ここに。動く、なし】


 隠れ潜むべし、との指示は問題なく通じたようだ。

 彼女は薄暗がりの下でもわかるほどに真剣な表情で何度も肯いてみせている。


 私は短剣の鞘を払い、身体ごと反転すると同時に振り抜く。

 果たして背後には忍び寄る賊の姿があった。

 刃は武器を弾き飛ばし、右膝を鳩尾に叩き込んで体勢を崩す。


 胴に組みついて地面に引き倒し、しかし揉みあいはすぐに終わる。

 私の短刀が相手の喉を突くのにいくらもかからなかったためだ。


 【ありがとう……】


 馬の尻ごしに微かな声が聞こえる。

 私は『静かに』の手振りをしてから、音を頼りに戦場いくさばへ打って出た。




 さほどの時間も経たぬうちに勝敗は決する。

 敵の手勢は大した数ではなく、練度も連携もお粗末だった。

 追われる身である我々だったが、それでも後れを取ることもない。


 白々とした夜明けを迎え、我ら一団は先を急ぐ。


「ここまで来るとちっと切ない気分になッて来ねえか?」


「阿呆を抜かせ。雑魚の群れでも回数が嵩めばジリ貧だ。猶予はそう残されてねえぞ」


 馬上の団長の軽口を、渋面の副団長が切って捨てる。

 事実、我らは補給の機会もなく昼夜馬を走らせる強行軍の最中さなかである。

 時が経つほどに消耗は進み、状況は厳しくなっていくことが予想できた。


「なあジェラニよ、姫さんから近辺の情報を引き出してくれや」


 不意に団長が馬を寄せて、そのように告げ、再び列の先頭へ戻っていく。

 箱入り育ちの姫君にどれほどの土地勘があるかはわかったものではないだろうが。

 ……と懸念しつつも問いかけてみたら、なんと彼女はすらすらと近隣の地理を説明してみせた。


 【この先の分岐を進みますと、小さな村があります】


 姫君の指し示す先へ斥候役が向かったところ、道の先には確かに村落が確認できたらしい。

 ひとつの考えに至った私は、彼女へこう問いかけてみる。


 【……見つかる、ない、道、あるか?】


 【ええ、主要な街道と並走する古道がございます。もしかすると、ある程度裏をかけるかも……】


「裏道があるそうだ」


 手近な位置に居た副団長へ告げると、彼は残された左目を幾度か瞬かせた後、「ひとまず補給をしてから考えようや」とやや呆然とした調子で言った。


「馬を何頭か替えられるといいんだが」

「馬車も交換しときてえ所っすけど……いや、ほろの交換か塗り直しでも何とかなるかね」


 緩やかな坂を下り、我々は小さな村へと足を踏み入れた。


 国境近くの農村としては妥当な警戒をされつつも、交渉は概ね問題なく進む。


 軒下を借りることは叶わずとも村境のほど近くで野営する許可は得られた。

 なにより廃屋を一晩借り受けられたのは姫君にとっては僥倖であろう。

 とりもなおさず寝台と呼べる代物で眠れるのだから(実態が藁の山と大差なくとも、だ)。


 新たな馬に飼葉を与え終え、私は野営地の中心へ足を向けた。

 焚火を囲む同輩たちは薄い麦粥をかき込み、思い思いに過ごしている。


「そもそも発端はなんだったか……ああ、隣国の大貴族と国の姫君の婚礼だったか」


「そうだ。俺らは護衛として雇われている。近衛兵がじゃ、無理もない話だったろうよ」


 団長と副団長のやり取りをきっかけに、同輩たちが口々に喋りだす。


「儀仗兵の類といやあ精鋭の証だと思ってたんだがなあ」

「その辺りは国情の違いってやつだろ。この国じゃ、城下町もこの村と大して変わらねえ有様だ」


 私もまた火の傍に腰を下ろし、会話に加わる。


「……この、あー、縁組自体が不自然じゃねェか?」


 こちらの発言を受け、同輩たちは揺らめく炎に照らされながらじっと考え込む素振りを見せる。


「こっから見て隣の国といやあ、結構な大国だな」

「そこの土地持ち領主がなんでこんな小国に目を付けた?」

「姫さんに惚れたんじゃねえの?」

「それを持ち出したら何でもアリじゃねえか」

「美人じゃねえとは言わねえが、狂うほどの女かっつうと……」


 ごろりと寝転がった団長が、あくび混じりに話に割り込む。


「つまりこういうこったろ? ――あの姫さんは何かを隠している」


「論が飛躍してねえか?」


 副団長の眼光を跳ねのけるかのように、団長は鬱陶し気に手を振ってから見解の続きを述べる。


「あの娘っこがただの政略結婚の駒だったらな。しかし実際には、それにしちゃ真っ当に仕込まれてる節がある」


「……なるほどな。交渉の真似事をしてみせたのもそうだが、何より国はずれの地理にも精通してる。ありゃ視察に同行させられてるか、最低でも相応の教育は受けているか」


「だろ? 姫君は国の名代として隣国に差し出された。そう考えるのが妥当だろうよ」


「それに乗じて暗殺を望む手合いが居る、と。まあ内部犯だろうが」


「ま、そっから先はお国の面々で勝手にやってくれりゃあいい。『ジジイの家』とやらに送り届けさえすりゃ俺らはめでたく放免だ」


 私は手近なカップに麦粥を注ぎ、その場から立ち上がる。


「ジェラニ?」


姫さんの飯やりに行ってくら件の姫君に夕餉を供してくる


「お前それ馬と同じ言い回しに……まあいいや、お疲れさん」


 廃屋に出向くと、姫君は適当な木箱に腰かけたままこちらへ会釈した。

 私は麦粥を満たした器を彼女へと差し出す。


 【食べる、よい】


 【ありがとうございます】


 彼女はかじかんだ指を温めるかのように、カップを両手で支え持ったまま何事かを逡巡しているようだった。


 【匙、ない】


 【え、あ。いいえ、そのような贅沢は申しません。……少し、お話をしても?】


 姫君がおずおずと申し出る。

 夜天にかかる月の位置はまだ低い。

 私は肯き返して適当な木箱を彼女の向かいまで引きずると腰を下ろした。


 【お名前、伺ってもよいのかしら】


 【ジェラニ】


 私は傭兵団で通しているのと同じ名を伝える。

 今や失われた氏族を示す名を長々と述べる折でもあるまい。


 【……家名はなんと仰りますの?】


 【ない。今は】


 【そう、ですか……】


 どうやら彼女にとって己の名のみを持つ者は珍しいようだ。

 意外に思った素振りを隠しきれず、彼女は控えめにカップを持つ指先をこすり合わせている。


 【スヴェンド】


 【は、はい?】


 私は顔中に指先で線を引きながら、再び団長の名を告げる。


 【――ああ、団長の方ですわね? スヴェンド様と仰るの……】


 得心した様子の彼女へ肯き、右目を隠して【カプラル】と告げる。


 【副官の方ね!】


 今度は彼女も即答した。


 【家、ない。名、持ち物、ひとつ】


 【そうなのですね、傭兵の方々にとって寄るものは我が身ひとつ。だから家名は名乗らない……】


 ふと言葉を途切れさせ、姫君は月光ほどにも淡く微笑んだ。


 【わたくしはフューリア・ゲルマティスと申します。家の……いえ、この国を名として背負う者です。誰もそうは考えなくても……】


『であるならば、貴殿はただしく血筋を負うものだ。その重さを識るのだから』


 【今なんと?】


 私は彼女へ告げる。

 この大陸において通じる者もない母国語で――これより他に聞き覚えた言葉ではどうにも表すことができなかったからだ。


 怪訝な表情で聞き返す姫へ気にするなと身振りで伝え、私はその場を後にする。

 そろそろ眠りにつくべき頃合いだった。


 廃屋を出て、降るような星空を見上げる。

 虫の音とそれに負けないほどの高らかないびきがあちこちから奏でられる中、しばし立ち尽くす。

 私の身のうちで、決別して久しい感傷の名残がうずいていた。


 亡国。


 それが何を意味するかは、フューリア姫とて正確には捉えてはいないだろう。


◇◇◇


 【――そんな】


 黒煙のたなびく空を見上げたまま、くずおれようとした姫君を咄嗟に支える。

 彼女は私の背に身を預け、身を震わせていた。


 大老の屋敷は既に落とされ、跡形もなく焼け落ちている。

 先遣隊が確認済みの事実だ。


 彼女が今度こそ寄る辺のない身となったのは、その憔悴ぶりからも明らかだった。


 傭兵団の一同の間にも重苦しい沈黙が立ち込めている。

 我らのような放浪武装集団にも格と質がある。

 ここで貴人誘拐をするような一団と見做されれば、今後二度と日の当たる場所には出られない。


 私たちは行きどまりデッドエンドに追い込まれていた。


「追いはぎにでも転職すッか……」


「戦乱の時代じゃねえんだ、即座にお縄よ」


 団長の冗談にもキレがない。

 副団長に至っては声音に含まれた絶望はいかばかりか。


 彼がまだ貴族の金庫番だった頃、雇い主を殴り倒して出奔した理由は屋敷ぐるみの横領の罪を擦り付けられたためだと聞いたことがある。


 彼に限らない。

 この団に流れ着いた者たちは大なり小なり事情を抱えている。

 そうでもなければ、武器を手にして流浪する稼業には行きつかない。


 一刻も早くこの場から逃れるべき場面であった。

 しかし誰もそのことに触れようとしない。

 もはやこの世界のどこにも、行く当てがないことを全員が知っていたためだ。


 【鉱脈が見つかったのです】


 不意に、背後から声がした。

 まだか細いが、けれども凛とした声音が。


 【それが全ての始まりでした。我が国のとある土地に莫大な宝石が眠っていると。深く掘り進めたら魔石すら埋蔵されているかもしれないって……】


 姫君が馬の背から滑り降りる。

 先んじて下馬した私が手を貸すと、彼女は目礼を返して傭兵団の前へと歩み出た。


 私はただそれを見送った。

 確かな足どりで歩く女の背に、それ以上なんの手出しが要るというのだ? 


 【此度の蛮行は、宰相――継承権を持たぬ叔父の仕業に違いありません。彼奴は国民ごとこの土地まるごとを売り飛ばすつもりなのでしょう……自らを鉱山の支配者として。私は祖国がそのような災禍に見舞われることを見過ごせません】


 華奢な上靴に包まれた足が、たん、と地面を踏み鳴らす。


 【だって、は私の国ですもの! 下を向いて首を狩られるのを待つなんてまっぴらだわ!】


「ようジェラニ、そこのお姫さんが言わんとすることは何とな~く解ったけどよ、念のため通訳を頼まあ」


「親類のジジイをぶちのめして、国をブン獲り返すんだとよ」


 傭兵団の一同がドッと湧いた。

 煤交じりの風に吹かれていても、和やかに笑い、表情は晴れている。


「剛毅だな! 手伝いは要るかい?」


 【是非】


「報酬は?」


 【――この土地で獲れた、最も大きな宝珠でもって報いましょう】


 もはや勢いまかせの団長と姫のやり取りは、しかし一部の齟齬もなく通じ合っている。

 報酬の詳細を気にしたのであろう、団長が「念のため……」と言いながら私を見る。


「払いはこの国最大の宝石だとよ」


 傭兵団一同は爆発的な歓声でもって彼女の求めに応じることを決めた。

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