閑話03:傭兵ジェラニと最大の宝石・前編

「最初ッから怪しい依頼だったな」


 長剣の血を振るい、団長は呟いた。

 頑健な体格と壮絶な傷痕つきの顔貌かおかたちに似合わぬ、どこかのんびりとした口調だ。

 傍に居た一人の傭兵が、長のぼやきを聞きとがめる。


「そう思うなら請けなきゃよかったじゃないスか」


「だってあの酒場がよ、ツケを払わねえとこれ以上飲ませねえって言うんだもん」


「勘弁してくださいよォ~!」


 今しがた倒した連中の身ぐるみを剥ぐ手を止めず、彼は大げさに嘆いてみせた。

 この傭兵団に身を寄せてしばらく経つが、財布事情は常にかつかつの様相であるようだった。


 私もまた同僚に倣い、視線を上向ける。

 天窮は晴れ渡り雲一つなく、陽の光はこの谷底をも温めていた。

 谷間を行き交うのは小鳥のさえずりだ。

 どこかの岩の割れ目に巣でもあるのだろうか。


 再び視線を戻す。

 流れた血は砂礫がすっかり吸い取ったようだ。

 枯れた渓谷の底に屍が累々と転がっている。

 幸いにして見知った者たちの顔はそこにはない。


 国境くにざかいを超えていくらもしないうちに不審な一団が急襲したのを、我らは危なげなく返り討ちにしている。


 そう、我々だけならば。


 切り立った岩場の終端を見、私は新たな用事を思いついた。


「おいジェラニ、どこへ行く?」


「あー……、件の佳人の様子を確かめてくる例の荷物を見てくる


「そうかい。まあ、によろしくな」


 歩みを止めず、私は声をかけて来た同僚に片手をあげて返事に代えた。

 枯れ谷を抜けて開けた場所に出ると、乾いた風が血の匂いをきれいに吹き払っていく。


 破壊された輿と、その周囲に転がる亡骸たち――いくらかの女官たち、そして少数の近衛兵。

 兵の装備は、しかし悲しいまでに貧弱だ。

 なめし革を板金鎧のように見せかけているのはともかく、革そのものも紙のように薄いのだから。


 傍らの石に腰かけていたのは、つい先ごろまで輿に乗っていた人物だ。

 装身具の宝石たちは先ほどまでの騒動のさなかに千切れ飛び、婚礼衣装の裾には返り血が点々と染みている。


 私が近寄ってきたのに気づくと、姫君は緩慢な動作でこちらを見上げて来た。

 呆然とした表情のまま額にかかる黒髪を払いもせず、金色の瞳は恐怖と混乱で危うげに揺れている。

 私は彼女の眼前に跪くと、しばし記憶の糸を手繰ってから口を開く。


【具合】


 不審げに小首をかしげていた姫の表情が動いた。

 片言ではあれ母国語を耳にしたためだろう。


【具合、どうだ】


【好い、とは言えません。こんなことになったのですから】


【怪我は】


【……ありません】


【なら、いい】


 彼女の返答からして、単に精神的な打撃を受けているだけらしい。

 身体に障りのないことは何よりだ。

 で、あるならば生き延びる道もある。


【なにか、あるか】


【はい?】


【見た物、これまでの出来事、知っている、あるか】


 足りない語彙を身振りで補いながら問いかける。

 なにも有用な証言を得られると思ったわけではない。

 絶望に最も効く薬は思考であるからだ。


 この難局を切り抜けるならば、打ちひしがれた女を抱えたままでは居られない。


 姫君の瞳が理知の光を取り戻し、しばしあってわななく唇が開く。


【……貴方様もお気づきかもしれませんね。賊はわたくしの国の者たちです】


 確かに先ほど襲ってきた連中はどれも訛りが酷かった。

 連携時に喋っていたのは、言われてみればこの姫君が発しているのと近しい音韻だったかもしれぬ。


【あちらの谷地から聞こえて来た斬られた者の叫びに、私たちの言葉によるものがありました】


 咄嗟の叫び声、特に痛みは大概のものが母語で発するものである。


 私は彼女に水入れを手渡した。

 喉を潤すなり、手や顔を洗い清めるなり、好きに使うよう手振りで伝え、その場を後にする。


仲間割れ内ゲバらしいぞ」


「おいジェラニ……それってどういう……」


 同輩の声を聴き流し、私は手近な襲撃者の死体に歩み寄る。

 彼の装備は粗略なもので統一性もない。

 まるで戯画化した傭兵のようないでたちだった。


 にもかかわらず揃って盾や刃を黒く塗ってあるのはいかなる冗談なのであろうか? 

 彼らは白昼の襲撃者であるというのに。


 私は傍らに転がる盾を手に取って、手近なぼろ布――何者かのマントの切れ端で表面を拭う。

 その下から現れたのは、件の小国の紋章である。


 その光景を目の当たりに、団長はしばし考え込む素振りを見せる。


「面倒なことになりやがったな。依頼じゃどういった手筈になってた?」


手前てめえが俺らに聞くかよ」


 団長が首をかしげながら誰にともなく問いかけ、暗がりから現れた片目の男――副団長が憂鬱さを隠さずに返答する。


「あのお姫さんはこの街道の先にある、さる大貴族の本邸に送り届ける段取りだ」


「なあ」


 私は同輩たち、そして団長へ呼びかける。


「俺ら、人さらいになってねェか?」


 はたと考え込む一同。

 谷地に涼しい風が吹き抜ける。


「ああ……そうね……転がる死体は傭兵ばかりになるか」


「で、制圧できれば元の身分で喧伝すれば良い。『荒くれ共から姫君を御救いしたかったが不幸な事故で身罷った』とでも」


 団長と副団長が顔を見合わせる。


「おい! どういうこった!?」


「俺に聞くな!!」


 怒号が小鳥のさえずりをかき消した。


【私を母国へ連れて行ってください】


 金の糸のような、か細くも澄んだ声音が響いた。

 一斉に振り向いた先に立っていたのは姫君である。


【信頼できる支援者が居ます。このままではわたくしも、貴方たちも、死の運命からは逃れられません】


 傭兵団の面々が今度はお互いに顔を見合わせる。

 彼女の喋っている内容がわからないためだ。


【姫よ】


 震えながら立ち尽くす彼女へ、私は歩み寄る。


【報酬】


【――は? 】


【私たち、金、動く。それ、約定、絶対の】


 事実、そうだ。

 この場に義や志によって決断するものは誰ひとりとして居ない。


 姫君は服の裾を掴み、うろうろと視線を彷徨わせてから、意を決した様子で私を見た。


【ありません、お互いの身の安全と名誉の回復が報いでは足りませんか】


 私は肩をすくめて仲間たちへ振り向いた。


「――姫君は母国への帰参を願っているそこの女は家に帰りたいんだと


「帰りてえのは俺も一緒だよお!」

「おいもうちょっと長く喋っていなかったか」


 口々にわめき始める同輩たちを押し退けながら団長が歩み出る。


「ジェラニ、そこのお姫さんには帰る先があるってことか?」


然りおうよ


 私は肯いた。

 団長はしばし瞑目すると、我々に号令をかけた。


「――よし、姫君を国に戻すぞ」


「ええっ!」「一銭にもならねえ仕事ですぜ!」

「暗殺してえなら追っ手だってまだまだかかるんじゃねえのか~?」


「だからだよ!」


 一喝したのは副団長だ。

 彼は忌々し気にバリバリと頭を搔きながらこう補足する。


「立ち回りを間違えたら、俺等は罪を着せられて討ち死にか処刑、それを脱してもまともな稼業にありつけることは難しくなる」


「やっぱそうだよなァ」


「ああそうさ。そこでアホ面で肯いてる団長が言う通りなんだよ。かくなる上は全てなかったことにするしかない」


「あそこのお姫さんがいう事には庇護者は居るそうだからな。とんずらがてらそいつに預けて、俺たちは手を引きゃいいんだろうよ」


 私は姫君へ向きなおり【行く当ては? 】と問う。


【大老は最も信頼できる家臣です。彼の元まで辿り着きさえすれば……】


大老ならば身元を引き受けることだろうジジイなら家に上げてくれる、と言っている」


「ジジイ……まあ孫娘が来るのを嫌がる爺さんは居ねえか」

「いや待てよ、あの国は最近王がおっ死んでこの姫さんが唯一の継承者じゃなかったか?」

「正確には姫さんの夫が次の王になるはずだぜ、あそこの国は男が継ぐ仕組みだ」

「じゃあジジイはどっから湧いて出たんだよ」

「知らねえよ」


「ジェラニの言うことだからな。多分なんらかの役職だろ」


 副団長が呆れた口調で団員たちを諫めている。

 言い換えにいささかズレが生じていたようだが通じているならば問題もない。


「よし、じゃあ姫さんを家に返すぞ! 報酬は俺らの明日の首だ。繋がったままでいてえならキリキリ動こうぜ」


 団長の檄に従い、傭兵団の一同は動き始めた。


「ジェラニ! 姫さんはお前の馬に乗せてやれ。話せるのが手前だけらしいからな」


 指示に従って、姫君を馬まで連れて行く。

 その刹那、団長がぼそりとつぶやく。


「――ま、身代金くらいなら取れるだろ」


 周囲を見回すが誰もかれもが役割にかまけている。

 団長の目論見を聞き届けたのは、どうやら私だけだった。

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