閑話02:聖騎士マティアスと瓶詰の事実・後編

 思い定めていた真実が別の形をしていた。

 その当惑のまま、ユリウスは感情もあらわに叫ぶ。


「そうだよ! あれは、俺の、俺だけのものだったんだ。俺の猫は!」


「私も覚えていますよ。……可愛い子でしたね」


 その子猫は嵐の夜に迷い込んだのだそうだ。

 必死に鳴いているのをたまたま聞き届けたユリウスが、一晩中懐で温めていたのだという。


 そのことを、神学校からひととき帰省した私にだけ、彼は打ち明けてくれたのだ。

 裏の畑の用具入れに作った隠れ家で、猫はすくすくと育った。

 金茶と褐色の入り混じった、琥珀のような毛並みを今でも覚えている。

 なめらかな背中を撫でる度に喉を鳴らし、こちらの掌にも心地よい感触があった。


 本当は、その頃にはユリウスも悟っていたのだ。

 一生を神のしもべとして生きていく素養が彼自身にはないことを。

 たったひとつの生命をことのほか慈しむのは、良き世俗の人々の在り方なのだから。


「けれども、あの子は居なくなった。その日の夜だ。祭司がこの木の根元に何かを埋めているのを、俺は見た。……生き物を害してまで保つ孤児の平等性なんて糞食らえだ。だから俺はすべてを見限って、ここを出た」


 ユリウスの世界では、このリンゴの木は我々寺院の罪の象徴だったのだろう。

 無垢な生命を犠牲に肥え太ったのなら、確かに甘い実を付けるべきだ。


「ではユリウス。答え合わせをしましょう。この木の下に何がうずまっているのか」


 私は円匙スコップをユリウスに差し出して告げる。


 木の根元を見て回ると、下草が剥げている一角があった。

 掘り始めていくらも経たない内に円匙の先に硬い物が触れる。


 私とユリウスは顔を見合わせた。

 無言のまま掘り進めていくと、陶器の壺が顔を出す。


 蓋を開けると油紙に包まれた瓶が現れた。

 私は円匙を脇に置くと土の中から瓶を持ち上げる。


 液体の中で丸い物がごろりと動く感触が手に伝わる。

 瓶を陽に透かすと、琥珀色の液体越しにいくつかの果実――リンゴが沈んでいるのが見えた。


「その、マティアス、これは……」


「見ての通り。お酒です」


「は……?」


 私は瓶を抱えてその場に腰を下ろした。

 状況に付いていけない様子のユリウスを促し、彼もまた草地に座って背を壁にもたれかける。


 空を見上げて何事かを逡巡している様子の彼を横目に、私は瓶を封じている蝋を剥がした。

 果実酒の芳香がふわりと立ち上がり、微風に乗って散り散りになる。


「この寺院は、祭司の方針もあって世話をしている子供が特に多いんです」


「……ああ」


「ですので、酒の類は生活の場から遠ざけています。戒律的には問題ありませんが、教育上の配慮と……後は外聞の問題ですね」


 私はユリウスに目くばせをし、「ですが」と続ける。


「伯父はあれで結構な飲兵衛なんです」


 だからこうして、とっておきの寝酒を隠し持っているのだ。

 私は持参した酒杯で瓶の中身を汲み出すと、ユリウスへ差し出した。

 未だ自失した様子の彼は脚付きの小杯をただぼんやりと眺めるばかりだったので、私は片手を添えて彼に握らせてやる。


「これが十年越しの事実です」


 そっと手を放す。

 透明な酒杯は取り落とされることなく、彼の手の中に収まっていた。


 私は二つ目の酒杯を同じく果実酒で満たし、縁をユリウスの杯と軽く打ち合わせる。


 かちり、と涼やかな音がする。


「――いやちょっと待て、飲むのか? 祭司せんせいの私物だろ?」


 ユリウスはようやく己を取り戻した様子で問いかける。


「ええ、飲んでしまいましょう。隠し酒ですから、多少なりとも嵩が減っている程度では騒ぎになりません」


「いや……俺としては己の早合点を見せつけられた形というかだな……」


「元はと言えば神に仕える身でありながら見栄を張った伯父が招いた事態とも言えます」


「そうかあ?」


「そうですとも」


 それ以上の問答は無用だ。

 私は杯を煽る。

 ユリウスもおずおずといった様子で口を付けた。


「――美味い、な」


「ええ」


「硬くて酸い実も、こうして漬け込むのには最適だ。そうか、……そうだったんだな」


 私は正面を向いたまま肯いてみせる。

 隣から聞こえて来た嗚咽には、気づかないふりをして。


「――俺、父親になるんだ」


 しばらくして、ユリウスがぽつりと呟いた。


「それは、おめでとうございます」


「めでたいかどうかで言ったらどうなんだろうな……踏むべき手順をすっ飛ばしているものだから。けれど、なんとか結婚を許して貰おうと思うよ」


「そうですか」


 その点に関してはあまり心配していない。

 婚姻という契約がどのような形に収まるかはともかく、彼が善い父親になることは疑うべくもない。


 ユリウスは酒杯をくるりと回し、くすくすと笑みを漏らした。


「マティアス、お前のその、何が起こっても当然のことだといわんばかりの態度が子供のころから時々疎ましかったものだが」


「……そうだったんですか?」


 意外だった。

 もっとこう、幼少期の彼とは通じ合っていたように思っていたし、なんなら慕われているつもりでいたのだが。


「しかし今は、その取り澄ました面が不思議と心強いよ!」


 寺院を後にするユリウスへ、最後に私はひとつの提案をした。

 どうか帰りは、もっとも近い村の中を通る道を選ぶようにと。


 しかしもしも彼があの道を通ったならば。

 村落の通り沿いに建つ、とある農夫の家と、軒下に敷かれた毛布の切れ端を見ることだろう。

 そこで昼寝する、琥珀色の毛並みをした猫も、きっと目にする。


 あるいは農夫に問えば、その飼い猫が母親そっくりの模様を受け継いでいると聞かされるはずだ。


 実際に彼が私の言に従ったかは知る由もない。


 けれども然るべき形に収まるはずだ。

 世界はそのような理でできているのだから。

 ――少なくとも、私が奉じる教えでは、そういうことになっている。


 それから数か月後、凍り付くような朝のことだったという。

 以下は、食事当番だったエリーから聞いた話だ。


 冬場の栄養源は、晩夏に準備した野菜の保存食が頼りだ。

 朝食当番のいい所は、そうした保存食の中からではあれ、好きな物を選べるところにある(と、エリーは語った)。


 彼女は好物であるキャベツの酢漬けをまっさきに選ぶことに決めて、保管庫から新しい壺を取って来た。

 そして封を開けて中身を取り出し始め……いくらも経たないうちに、木の皿に硬い物の落ちるような音がしたという。


 細切りにしたキャベツを掻き分けてみれば銀色に光る金属片が見えた。

 見間違いようもない。

 それは生まれ変わったように輝きを取り戻したヤンの護符であった。


 エリーはすべての作業を放り出し、寝室で寝こけるヤンの元へ走って行った。

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