終話:暗雲立ち込める前途

 宮仕えとなってからの生活は煌びやかであったが、楽しさとはかけ離れていた。


 訓練教官としてのグレースなどと比べるべくもない程に鼻持ちならない連中が、宮廷には跋扈しているのだ。どれほど、市井に戻りたいと願った事だろうか。

 そんな中、唯一の楽しみと言えるのは週一ほどで遊びと契約の履行を兼ねたアランとの食事だった。


 場所は大概において、『フライング・パイソン亭』である。


 しかし、店員だったあの二人はもういない。任務をひと段落させ、店を丸ごと払い下げたのだ。今は憲兵とまるで関係ない初老の夫婦が、老後の楽しみとして経営している。レシピや設備等も払い下げられたようで、懐かしい味も楽しめる。


 そして、今日は珍客も同席していた。端の四人がけテーブルに僕たち三人は陣取っていた。


「遥々、よくきてくれたね。ヨセフ」


 僕の言葉に、斜め前に座るヨセフは愛想の良い笑みを浮かべた。


「幸運の車輪祭以来だね、テリー。そちらの方を紹介してもらって構わないかな?」


 そう言って、アランの方を丁重に指し示す。


「ああ、彼は…」


 紹介しようと口を開いたところで、アランがそれを渡るように代わりに返答した。


「アラン・ディーヴァーだ。あの大会での活躍は凄かったな、観客席へ飛び移った挙句、あんな拳舞を披露するなんてな」


 アランは右手を差し出し、ヨセフもそれに応じ固い握手を交わした。日本人としては些か馴染み難い文化である。名刺でも作ろうかと悩ましいところだ。


「どういう風に二人が教えてくれるかな、テリー?」


 ヨセフはメニュー表を手に取りながら、そう問うた。


「ああ、勿論。僕が‘手品道具の材料を仕入れる為に立ち寄ったんだ。最初は泥棒と勘違いされて、弩銃を突き付けられたんだが、説得の末に長期契約を結ぶまでに至ったんだ」


「ほう、つまり君のあの炎を噴き出す装置や風もなく空飛ぶ布細工、炸裂する弩銃も彼との合作というわけかい?」


「その通りだが、それがどうしたんだ」


「いや、何。素晴らしい発明だと思ってね。ウチの雇い主達も興味を惹かれている」


「売るにせよ、タダでとはいかない。知識は力だ。上手くやれば世界を変えられる」


 ヨセフは妖しく笑った。


「ああ、勿論だとも。値段は応相談だ。店員に渡すチップみたいに易々と決まるものじゃない」


 その言葉の後、僕達は思い思いの料理を注文した。豚のワイン煮だとか、グラタンとか。ラムチョップのスープ。豆と押し麦のスパイスマリネ、ガラムマサラと玉葱入りのオムレットだとか。存分に食事を楽しんだ。

  

 だが、どうしたってヨセフのその笑顔が脳裏から剥がれなかった。


 ヨセフは言った。彼の上司が興味を惹かれていると。値段は応相談だと。


 では、交渉が決裂したら…。


 背筋に薄寒いものを感じる。僕とアランはとうの昔に抜け出せないところまで来ていたのだろう。


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道化したいがどうにもならない タイガー・ナッツ・ケーキ @tigernutscake

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