037:閉幕、そして開幕

 先に言わせてもらうなら、僕はそこまで建築様式に明るくない。前世のホームセンター勤務で学んだ事といえば、モルタルの張り方やペンキミキサーの使い方ぐらいだ。


 その程度の僕ですら、第四階層の会食席が高度な設計技術を要した建造物であることは分かった。


 最後の晩餐が開かれたあの白い部屋のように壁も床も何処迄も白く、その表面には深浅様々な彫刻が施されている。浮かぶ陰影は前世の中世時代のフレスコ画の技法を圧倒し、完成された立体感を表現する。それらは天井から降り注ぐステングラスの彩光により色付けられ、一枚の絵画と化している。


 その絵画が表す様は今現在、僕が対峙している状況に酷似していた。


 時は和平条約締結の最中。初代皇帝ディスティニーⅠ世と教皇が向かい合い、書状を前にする。その奥にはふざけたポンポン付き帽子を被ったツナギ姿の道化師が一人、首を垂れている。その周囲には軍服姿の憲兵、教国然とした聖騎士の不動の佇まい。


 僕の眼前の状況と異なる点は三つだけ。


 道化師たる僕の服装が若干モダンに過ぎるのと、憲兵に僕の知り合いが三人、聖騎士に一人混ざり込んでいること。僕を此処に連行したハワード、何知らぬ顔をしたレイ、グレース。そして、返り血だらけのヨセフ。


 そして、皇帝の席に着いているのがヴラド・ルキーニ憲兵隊長、その人であることだ。


 「首を上げよ。テリー・グレアム」


 ヴラドの超然とした声が響き渡った。いつもの冷たさは確かに存在したが、それだけではない荘厳さを感じさせられた。


「この者が貴公の配下と共に事態の聚集に勤めた道化師だ。教皇よ、御満足頂けたか?」


 ヴラドは対局に座る老人にそう語りかけた。

 老人は金糸の刺繍の入った純白の袈裟を身に纏い、頭に被った円錐型の冠の下には、即身仏の如き生肌と窪んだ眼窩、真珠のような目がのぞいている。

 彼もまた壮健さはなくとも教皇としての確かな威厳を誇っていた。その声は掠れる様だったが、その場を白魚の様に泳ぎ渡った。


「ああ、面白いものを見せて貰った…。愚鈍だが、賢い。あのスタンスクの如く。完璧な道化だ…」


 その皺だらけの頬に微かな笑窪が浮かんだ様に見えた。


「満足だよ、だから此処らで御暇させてもらう事とする。ヨセフを遣いとして残していく。交渉ごとがあるなら、彼を通してくれ…」


 そう言うと教皇はゆっくりと席を立った。周囲の聖騎士達も連動するように動き出す。整然と教皇の通り道を創り出し、一糸乱れぬ動きで教皇の護送に移った。


 そのまま四階席の昇降口へと消えて行った。ヨセフただ一人を残して。


 「皇帝陛下。成功したと言えるでしょうか?」


 側に控えるグレースがヴラドに問い掛けた。


「どうだろうな。百年近い彼の人生において、彼の酷く分厚い日記帳に付箋を付けさせるのは容易じゃない。だが、折り目ぐらいは付けられたんじゃないか?」


 ヴラドはそう言って屈託なく笑う。荘厳さは霧散していた。状況は更に錯綜していた。


「さて、テリー。ど頭に投石機を食らった鼠みたいな顔をしているが、何か質問でもあるのか?今なら、特別に許可しよう」


 何から先に聴くべきかわかる筈もない。その一方で、聞ける選択肢もそう多くなかった。


「私は貴方様を隊長殿、皇帝陛下のいずれで呼ぶべきなのでしょうか?」


 ヴラドは酷く興味なさげに答える。


「何方でも構わない。憲兵を現行の型式まで編成したのは皇帝だ。なれば、その長は皇帝だ。私は憲兵隊長にして皇帝なのだよ。ヴラド・ルキーニという名は偽名であるがね。ウォルト・ディスティニーを多少もじったわけだ」


 そんな屁理屈のような事を述べるヴラド。忌々しいが質問を続ける。


「何処までが計画…いや、演出なのでしょうか?僕が陛下に目を付けられたのはいつからで、僕が焼いた連中は結局のところ何者なのか。それとも、僕は無知でいた方が宜しいので?」


 ヴラドの表情に明るさが戻る。最初からそれほど含有されていた訳ではないが、スティックシュガー半分程度という具合だ。


「先に主演の所感を聞きたいところだな。全てが終わりつつある今、御前にはどう見えている?」


 僕は少しだけ考えてから、話を切り出した。


「まず、始めに僕が相手していたのは何者なのか?という話です。結論から言えば、教国と帝国の関係の軟化を恐れた南部の商人達、そして彼等によって嗾けられた反帝国、反教国のテロリスト達。彼等が下手人でしょう」


「『ガス・デ・オロ』の正体は?」


「『ガス・デ・オロ』というのは単なる旗印に過ぎない。烏合の衆である彼等にとって非常に分かり易い旗印だったのでしょう。本当に信仰していたものもいたでしょうが、反教国か反帝国かでその呼び方が変わる程度には曖昧な存在だった。それが、ドゥ・ラムとガス・デ・オロです。何方の旗印にもなり得る便利な神ですよ。銀貨に陣営や思想はありませんから」


「烏合の衆だというなら、その目的は何だ?」


「一重に金でしょう。教国と帝国の関係性が軟化すれば、それだけディビ・イェン側に流れ込む資金の絶対量は少なくなる。反教国、反帝国関係なく餓死者が出るレベルで金と物が市場から消える。商人は職を失い、路頭に迷う。だからこそ、彼等はイデオロギーの違いを妥協し、互いの存続の為に手を取った。彼等は利害の一致により結託し、センセーショナルな事件を引き起こすべく今回の祭典を狙い撃った。教皇と皇帝を襲撃したという事実さえ残せれば、成否に関わらず両国の関係は絶対的に緊張するのは間違いないからです」


 僕は一息付き、ヴラドを見た。


「彼等が事を構えるのは最早、必然だった。にも関わらず、えげつない程に有能な帝国憲兵や教国の聖騎士達が穴だらけの警備体制なのは余りに不自然です。二階席は叩き売りされ、荷物検査も疎か、見張りの警備兵すら配置されていない。考えられる要因はそう多くないでしょう。両陣営が事前に全て把握し、人的被害を最小化する手筈も事態を政治的に陳腐化する手段も整えてあったからです」


 僕は首吊りを覚悟でヴラドを睨み付ける。その時ばかりは彼の不敵な笑みが我慢ならなかった…


「その手段に当たるのが僕であり、ヨセフだった。教国と帝国の華々しき共同作業。それも対外的にも対内的にも象徴的だ。芸人の皮を被った憲兵隊と聖騎士。これ以上の配役はないでしょう。両国の反抗勢力を炙り出しつつ、関係改善を図るには…」



 幸運なことにヴラドはその態度を特に気にする事なく笑っている。感嘆しているようですらある。


「興味深いな。悪くない。全て合っているとは言わないが、筋は通っている。逆に聞くが、何が分からない?」


「どの段階で僕に目を付けたか、そしてレイとハワードが何者なのかです」


「それに関しては、本人に聞いた方が早いだろう」


 そう言って、ヴラドは二人に視線で話を促した。

 二人は少しだけ気まずそうに、前に出て僕を見据えた。最初に口を開いたのはハワードだ。


「ああ、そうだな。何から語るべきか…」


「何処から今回の一件に僕は関わり始めていたか、です」


「そうか、言い難いが、答えは『最初から』だ。御前が銀貨を取り出したあの時からな。俺はあの時こう言った。『御前の才能に賭けてみたい』と、アレは芸人としても密偵としても双方の意味においてそう言ったんだ」


 ハワードは話を継ぐ。


「俺とレイは丁度、幸運の車輪祭に向けて商人達から情報を仕入れようと躍起になってた。より自然に懐に忍び込み、内情を探るため俺達はあの店を経営していた訳だ。店を経営するというのは最も自然に商人と接触する手段だからな。そして、それと並行して抱えていた課題が、誰を出演者サイドで潜入させるかということだ。別段、それに関しては俺達の管轄という訳じゃ無かったが、いつでも人材の推薦待ちという状況だった」


 苦笑いを浮かべ申し訳なさそうにハワードは言う。


「そんな時、転がり込んできたのが、テリー。御前だった訳だ。俺にはピンときたよ、誰にも邪魔されず大舞台でコイツならやってのけるかもしれないとな。そして、ほんの冗談のつもりで俺は上に報告を挙げたんだが、陛下ご自身が嫌に御前を気に入ってしまった。是非、迎え入れたいとな」


 ヴラドが大笑いする。


「当たり前だろう!何の背景も洗えない少年が憲兵が経営している酒場にやって来て、その才能を見せびらかしたんだ。これ以上のシチュエーションギャグに私は出会った事がない」


「だそうだ。悪く思うな、テリー。陛下は御世辞にも性格が良くない。だが、御前のトリックスターとしての才能は本物だ。現にやってのけた訳だからな」


「レイやアランは?」


「レイはドン・ハウザーの所に潜伏している工作員だ。つい先日の会食でハウザーと話を付け、寝返らせた。彼が君に話しかけたのも、そういう事だ。アランについては、以前から監視対象として交流を図っていたが、まさか彼の信頼を御前が勝ち取るとは思っても見なかった」


 レイが小声で口を挟む。


「ちなみに、ハウザーがあの人形を気に入ってるのは事実らしいですよ」

 

 心底どうでもいい話だった。小馬鹿にするのは好きだが、されるのは他の人と同様に気に食わない。


「あの耐火布は何処で手入れたんです、ハワード。アランは無事ですか?」


「無事だとも、君を助けに行くと言ったら喜んで貸してくれたよ。試作品が軒並み消えているから、絶対にテリーは炎を使うはずだと言ってね。案の定、潜入先で大いに役立ってくれた。でなきゃ、丸焦げだったろう」


 ハワードは至って真剣に冗談めかした口調で顛末を語った。事態が僕の手に負えない場合、加勢に入る予定だったようだ。何だか全てが馬鹿らしく思えて来てしまう。


「僕は随分と無駄な手順を踏んだようですが、僕になぜ『ガス・デ・オロ』の件で奔走する必要があったのですか?」


 それに答えるのはヴラドだ。


「訓練の為であり、試験も兼ねていた。逼迫した状況で君がどういう行動を取るかというね。グレース、彼は合格かな?」


 グレースはただ一言こう答えた。


「陛下が決める事です」


 ヴラドは至極つまらなさそうに頷き、会話の手番を僕へと回した。


「それなら、決断は最後に回そう。何か他に質問は?」


「強いて言うなら、ヨセフは何処まで知っていたか気になりますね」


  僕がそう言って視線をヨセフへと向けると彼は肩をすくめた。


「君とそう変わらないさ。言っては何だが、此処は敵地だ。今回の筋書きは殆どが憲兵によって書かれたものだ。我々はそれに乗っかっただけ。最後の軽業で敵の一団に突っ込んだのだって事前に準備していた事じゃ無い」


 まるで額面通りに受け取れない事を宣うヨセフ。しかし、彼が如何あろうが僕が間抜けな道化だったに事実は変わりない。


「ああ、うんざりだ。首吊りだって何だって受け入れられる心境だ。くそった…」


 言い切ることは許されなかった。ヴラドが言葉を渡った。


「おめでとう、合格だとも。君は今日から憲兵の一員にして、皇帝お付きの宮廷道化師だ。私を眼前にしてその言葉を吐こうとするとは、流石だよ。伝え聞いた話によると、あのスタンスクは平気でI世に向かって阿呆と宣ったらしいぞ」


 ヴラドは屈託なく笑い、僕に右手を差し出した。その様は皇帝ではなく、取引を持ち掛ける悪魔に見えた。断るべきなのは大いに理解できていた。だが、それが不可能であるのは運命と称するべき何かによって決定づけられていたのである。僕がこの世界に生まれ落ちたその瞬間に。


 僕はそれを睨み付け、憤りを露わにした。

 多分、ヴラドの言動や騙されたという事実でなく、それ以上に自分自身が腹立たしかったのだ。どれほど賢ぶろうと愚か者を演じようと、僕は変わらず阿呆のままだ。前世と同じように。

 

 頬につたう涙が見えぬよう、僕は跪き、彼の手を取った。その指に嵌められた鷲の紋章を模った指輪へ接吻した。


 それが、今の最善の選択肢。それが、僕のしがない大道芸人としての終演であり碌でもない宮廷道化師としての舞台の開幕だった。

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