036:アンコール・消失マジックの行方
歓声が響き渡っている。舞台の真ん中には大きな骨組みが建てられ、火の輪やら空中ブランコやらによって構成される巨大なアスレチックが聳え立つ。
ヨセフ・クローヴィスの大舞台だ。彼はその頂点に佇んでいる。
一方の僕はその骨組みより更に上。ガラスの宮殿の鉄骨製の梁に立っていた。
会場全体を見渡すならこれ以上の場所はない。お手製の望遠鏡を使えば、ハウザー個人を見張ることだって容易だった。
舞台上から口上が迸る。
「さあ、史上最高にスリリングなお時間だ!世界を驚嘆させるのはこの男、ヨセフ・クローヴィス!!!!!!」
歓声は最高潮。間違いなく、僕の開幕時のものより大きい。そして、彼はそれに値する。
ヨセフは臆することなく彼は鉄骨橋を歩み、ダイブした。五メートル近く落下した後、彼は空中ブランコを掴み取った。恐ろしき握力。素晴らしき体感。彼の肢体が空中に躍る。
そのまま二回転半。そして、ブランコが天頂まで達した瞬間手を離し、反対側の鉄骨上へ爪先で降り立つ。
普通なら胸を撫で下ろす、そんな手番を鉄骨は完璧に裏切る。シーソーの如くそれは傾いたのだ。
物理法則に従い、ヨセフの体は滑り落ちる。
その先には火の輪。それも人一人取れるかいなかという絶妙な狭さ。
ヨセフは飛び込み選手の如く身を細め、火の輪を貫く。目を開けることをも許さぬ熱気の中、彼は盲目のまま、己が技量のみを信じて飛んだ。
彼は見事にやってのけ、その先のトランポリン台へ突っ込む。身を丸め、勢いを真上へと向けさせた。
そして、跳ねること三回。彼は何かを狙い澄ますが如く、三階席を、両国の貴族達が座る場所を見据える。
僕はその意図を汲み取ろうと望遠鏡で三階席を舐め回すように見た。
先程までいなかった赤い外套と白い外套を着込んだ集団を発見する。分厚い外套の下に何が隠されているものか分からない。何故、警備兵が連中止めていないのかそれすらも謎だ。
二つある三階への昇降口のそれぞれに十数人ほどが陣取っている。
最悪なことに、三階席には教皇や皇帝が座る四階席へ通じる階段が存在する。
連中の異常性を認めたのかヨセフが大きく飛び上がり、一旦、安定した鉄骨の上へと降り立ち、頭上の僕を見上げる。
彼に僕がここにいる事は伝えていない。
彼のその視線の意図を汲み取ることは不可能だ。全くもって待ち望んでいなかった最悪の合図の到来だ。
しかし、僕が取れる行動は決まっていた。ここで監視すると心に決めた瞬間、大急ぎで準備したのだ。
全てを見渡し、それでいて不足の事態に対処する唯一の方法。いや、博打だ。
僕はここまで持って上がった荷物の梱包を解く、耐火布製風船の試作としてミニチュアと火炎放射器。
この祭りの出し物を何にするあ迷走していた頃、僕は空を飛ぶことをアランに提案した。その結果、生まれたのがこの試作機である。
今回の舞台で登場しなかったことを考えるとその性能はお察しであるが、実験の末、滑空は可能という結論が出ていた。
実験の度、繰り返したように火炎放射器を背負い、点火した。風船のパラコードは頑丈な金具によって火炎放射器に接合してある。そして、その火力を持ってすれば、気球は瞬く間に膨れ上がり、宙へと浮かぶ。
観客席の誰かがその異様な光景に気付いたのか歓声を上げた。
それを合図に、僕は鉄骨から飛び出した。この世界で初めて空を飛んだ男となった。気球の表面にはでかでかと『全ては冗談』と書いてある。
眼前を凄まじい熱気が襲うが、狙い通り、反対側の三階席へと飛翔する。
対して、ヨセフは助走をつけ、空中ブランコへと飛び込んだ。弾丸の如く飛翔し、ブランコで更に反動をつけ、三回席へ向け、飛んだ。僕とは対岸に位置する昇降口へ向けて。
彼がこの襲撃や僕の行動を読んでいたのかは分からなかった。だが、これだけは言える。今、この時。僕達が状況を打開する必要がある。
僕は気球から火炎放射器を外し、不恰好な三点着地で踊り場の上を転がる。
焼けついた火炎放射器の銃身が肌を焼いたが、溢れんばかりの脳内麻薬が痛みを感じることすら許してくれなかった。
観客達が僕へと視線を向ける。何か面白いものが見られる。そう考えてやまない顔をしている。
客が求めるなら、断らないのが芸人である。
赤い服の一団に向かい合い。僕は一礼した。丁度、これが演目の一部であると主張するように。
「今晩は赤い赤い皆々様方。此方にいらっしゃったのは四階席を目指してのことでよろしかったでしょうか?」
連中の先頭に佇む奴が此方の姿を窺う。連中にとって不測の事態であるのは間違いない。
「皇帝陛下に献上品がございましてね」
そいつはそう言ったが、右手は外套の下の何かを探っている。到底、それが書状や宝石の類であるとは思えない。とはいえ、いきなり此方から手を出すのはリスクがありすぎる。此処で連中を焼き払い生き残ったところで、僕が吊るされる可能性がある。
取れる選択肢はそう多くない。僕はカマをかけた。
「『ガス・デ・オロ』どういう時に口にすべきか分かるかい?」
奴らは微動だにしない。僕は寂しい一人問答を披露する。
「陸で溺れかけた時さ。貴方達のご友人二人組が教えてくれましたよ。目の前でね」
奴の目が刃物の如く鋭くなった。此方の喉を掻き切りたくて堪らない。そういう目付きだ。
「オーケー。前口上はこの位だ。僕は所詮、一介の芸人でしかない。できることといえば手品と下手な冗句を述べることだけ。それでだ。僕が今回披露するのは…」
対岸では既に悲鳴が上がっていた。ヨセフは既に事を構えている。やるべきことを為している。なればこそ、僕もやらねばならないだろう。
火炎放射器のノズルを連中に向け、ほくそ笑む。笑うしかない、なんたって僕はスパイじゃない。コメディアンなのだから。
「人体焼失マジックです」
奴らは僕がそれを言い切る前に外套の下から、思い思いの武器を取り出した。弩銃にスリング。トマホーク。そして、グレースが納屋でそうしたように抜き身で投擲して見せた。
僕が噴射した火炎より速く紅蓮を暗器の数々は突き抜けた。だが、彼らは知らなかった。僕が一度その手を食らっていること、マジックにおいて二番煎じはゴミだということを。
指切り打ちでコンマ数秒の火炎放射を披露した後、僕は横っ飛びに射線から逃れた。実際、それが間に合っていたかは定かじゃないが、彼らの攻撃の九割方を避けられたのは間違いない。背後で大理石に刃が突き立つ鋭い音が鳴り響いた。
対して連中に避ける余地は殆ど無かった。投擲の動作により、彼等の重心がズレていたこと。ノズルを横薙ぎ振うことで生まれた火炎は三階席の通路を容易に埋め尽くしたことがその原因だ。
最前列の鋭い目つきの男は炎に包まれ、その隣の二、三人の男達の外套に引火した。カシミア製の布地に着いた火を消すのは容易じゃない。彼等は外套を脱ぎ捨てることを咄嗟に決定し、行動に移す。そう、最前の行動を取った。
僕だってそう思う。伏せの姿勢のまま僕はバルブを捻った。先程より数段巨大な火炎が外套に手を掛けた彼等を襲う。百倍も長い時間。即ち、20秒ほど。彼等が焼けた空気を吸い込み、気絶するのに十二分な時間。
炎の中、踊り狂う彼等の姿は原始の壁画を眺めているような不思議な気分にさせられる。脳が僕のやらかしたことを拒む様に何かしらの幻想的な情景に結びつけ、安静に保とうと努力している所為かも。
どれだけ体感時間が引き延ばされようとも、二十秒という時間はそう長くはない。観客達は固唾を呑んで我々の一挙一動を待ち構えている。僕が全て出し物の作り物だと言う事を待ち望んでいる。
だが、眼前で起こっているのはタネも仕掛けも無い。純然たる人間BBQ。誤魔化す口上だけは考えていたが、それで足りるとはまるで思えなかった。
しかし、僕は失念していた。この世界には性悪な神は確かに存在する。不条理が実しやかに横行している。
黒焦げの死体の最後尾から一人がむくりと起き上がったのだ。
焦げているが、燃え盛るガソリンを二十秒間、浴び続けた後には全く見えない程に形を保っている。溶鉱炉に浸っこまれたターミネーターが無傷で這い上がってきたかのような気分だ。
僕は信じ難いものを見た目にし、正しく面食らった。一方の体はすべきことを心得ていてもう一度そいつを焼却すべくバルブに手をかけていた、
其奴は僕を制止するように右手を翳した。そのまま、左手で徐にその顔を覆う布製のマスクを剥ぎ、素顔を晒して見せた。
其奴は見間違いようもない。僕が初めて異世界で出会った男。ハワード・ウェルズ、その人だ。
僕はこの時、真の意味での道化に成り下がった気になった。もはや、グレースと訓練を重ねた体すら正常な行動を取ろうとしなかった。バルブから手を離し、ノズルをあらぬ方向へ背けた。
ハワードが此方へ歩み寄るのを止めることも叶わない。そのまま、彼は僕の横まで辿り着くと小声で言った。
「いいか、後少しで後処理班が来る。それまで話を合わせろ」
まるで訳が分からなかった。理解できたのは二つだけ。ハワードに敵意はなく、時間が事態を解決してくれるということだ。
僕は軽く頷いた。つまり、いつも通りということなのだ。
それを確認したハワードは初めて逢った時にそうしたようにニヤリと笑い、僕の右手を掴み、天へと突き上げた。
「わお、マジック成功だ。そして此奴はとびきりの英雄劇だ。テロリストは一掃されちまった。さあ!さあ!さあ!」
ハワードは観客達たちを煽り立てた。出来の悪いサクラのようにそれをやって退けた。流血沙汰に慣れていない貴族達に逃避する行き先を与えた。彼らは僕以上に何一つ理解出来ていない。
お客様が笑顔を奪うのは芸人失格。それなら、それに乗らない手は無い。僕は火炎放射器を天へと突き上げた。
「皆さん、驚きでしょう!炎から無傷で生還できるなんて。勿論、手品ですとも。そして手品のタネは秘密と決まっております。ですが、今日ばかりはお教えしましょう。彼等が着込んでいるのは燃えない布なのです!」
ハワードの外套の材質を間近で見てはっきりとわかった。彼の外套だけは僕とアランが編んだ耐火布製なのだ。赤色だったのは恐らく薄手の綿布か何かを表面にかけていたのだろう。それだけが瞬時に燃え尽き、残りは燃え残り、逸早く倒れ込むことで火炎を放射を逃れていた。そうとしか考えられないし、僕ならそうする。
僕はその顛末を観客にそれらしく語って聞かせた。出来うる限りの誇張や比喩をまじえ、アランとの苦労の日々を挟みながら、話を間延びさせた。
五分ほど経っただろうか、観客達も次第に飽きてきたというところで、昇降口を駆け上がってくる足音が聞こえてきた、
そちらに視線を流すと、黒子のような衣装を身に纏い、大きな頭陀袋やモップとバケツを抱えた集団が見えた。彼等がハワードの言う後処理班であることは容易に察せられた。
ハワードの口角も更に少しだけ吊り上がり、僕に耳打ちした。
「もう十分だ」
僕は慌てて話を切り上げる。
「以上が事の顛末であり、耐火布を生み出した稀代の錬金術師こそがアラン・ディーヴァーと道化師テリーこと僕であります。是非お見知りおきを。以上!ご覧頂き有難うございます」
そう言い切るや否や、ハワードが再び僕の手を掴み、昇降口へ引っ張った。それも二階へと続く方ではなく、四階席へと通じる豪奢な階段の方へとだ。
僕は泣きべそをかきそうになりながら聞いた。
「説明願えるんでしょうね?」
悲しいことに、ハワードは無言だった。
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