第18話 ギストラロムドの大剣


 赤い竜は木立の間を飛ぶように疾走している。

 直後を黒い竜が追随する。

 奔る先、ずっと遠くに、二つの尖塔に挟まれた大きな鐘楼塔が覗いた。

 竜祈師校りゅうきしこうだ。


 『おいおいおいおい止まれ止まれ、ヤバいってマジで!』


 ミディアは身を捩り、もがいた。もちろん電子的に構成された印象世界でのことだが、その動作はハルトの思考に干渉した。自らの腕から逃れようとするミディアを、ハルトは羽交い締めにし、口を手でふさいだ。


 『大人しくして……それより、なにか……もっと強い武器、もっと、もっと』


 ミディアは首を振り、なお逃れようとする。が、許さない。その首を掴み、ぐいと耳元に頬を寄せる。ミディアの記憶野メモリに接続する動作を、ハルトはそのように印象している。


 『……なんだ、あるじゃん』

 『……だめ……それは……』


 ハルトはミディアの抵抗を振り切り、いくつかの言葉をつぶやいた。黒い竜の背の羽がだんと開き、その中間に稲妻のような光が瞬く。全身を蒼い燐光が包む。疾走するその姿が歪み、撓む。眩しいほどに光を放ち始めた剣を刺突のかたちに構える。


 『ば……か、まき、こむ……がっこう……』


 そのまま射出すれば、進行方向のほぼ全域を亜空間へ送り込むこととなる。

 ミディアの呻き声も、そうした予測も、ハルトは無視した。

 

 木立が切れた。

 丘陵を抜け、麓に抜けたのだ。

 赤い竜はだんと地を蹴り、飛んだ。黒い竜も追った。

 眼下には、草地。放牧されている家畜、畑、そして民家。

 ミディアは視界のうちに、屋外に出ている楽園の民アーサイドを四人、認めた。いずれも呆然としてこちらを見上げている。


 数拍のうちに、二体は竜祈師校の上空に到達した。

 赤い竜は、そのわずか手前で減速し、身体を捻った。斜め後方、やや高い位置から追う黒い竜へ目線を送るような仕草だった。

 それをハルトは、好機と捉えた。目を見開き、笑みを浮かべる。

 彼の眼前に無数の文字と図形が浮かぶ。図形は赤い竜の映像の上で重なり、ぴぴ、という音を発した。照準が固定され、黒い竜が持つ空間反転能のすべてが、その構える剣の先に集約された。


 ミディアが叫ぶが、届かない。

 

 『……とった!』


 ハルトの指が上げられる。射出機序が開始された。

 同時に、標的が拡大される。赤い竜の背後に映される、竜祈師校。

 石造の校舎、教練場。

 教練場には、教官三名と、生徒が二十六名。

 先ほどからの爆音に、校舎から出てきていたのだろう。

 その全員の顔と氏名、属性が記憶野から取り出され、表示された。


 中央に立っているのは、ナダヤ。

 ハルトをいじめていた、光魔式の組、光の房の生徒だ。

 むくんだ顔を恐怖で歪め、こちらを見上げている。

 目があった、と、ハルトは感じた。


 『……あ』


 黒い竜の持つ剣が、消える。光の粒子となり、凝集され、それが射出された対象付近のあらゆる存在を亜空間へ送り込むための、媒体となる。

 しん、という音とともに、射出機序が完了した。


 が、相手に到達しない。

 黒い竜が直前にそれを抱き抱えたためだ。

 暴発し、腹部の付近で膨大な熱量に転換された弾丸は、黒い竜の身体を弾き飛ばした。


 赤い竜の頭上、竜祈師校も通過し、黒い竜は慣性のままに地に叩きつけられた。教練場に隣接する丘陵の裾の土砂を掘り返し、長い爪痕を残し、幾度も転がって静止した。

 動かない黒い竜の元に、赤い竜がふわりと降り立つ。

 その手に剣はない。


 ふぇいぜお、らいぞるふ……。


 機能を停止し、再び暗闇に包まれたハルトの視界。

 が、その声だけは、ミディアの機能を介さずに届いていた。


 せいうぇりおす、ねあす、れおす……。


 懐かしい。

 朦朧とする意識のなかで、ハルトはその声に、そう感じている。


 赤い竜は膝をつき、仰向けに転がる黒い竜の背に片手を差し込んだ。ゆっくりと持ち上げ、両手で抱き抱える。慈しむように、じっと視線を落としている。

 やがて、足が地を離れる。

 ゆらりと浮き上がった二体は、その姿勢のまま、音もなく飛んだ。


 竜祈師校から小さな丘をひとつ超えたところに、木立を切り拓いた場所がある。

 いくつかの白い石が並んでいる。四角いものも、丸いものもある。いずれも文字のようなものが刻み込まれている。

 その小さな墓地のすぐそばに、赤い竜は静かに降り立った。


 ……ぜおりす、らおうぇいん。


 囁くような声とともに、黒い竜は地におろされ、横たえられた。

 赤い竜はしばらくその脇に佇んでいたが、やがて胸に手を当て、俯いた。

 と、光。鱗のような装甲の隙間から白い光が漏れ出てくる。

 はじめは薄かったその光は、やがて赤い竜の全身を覆い隠し、しばらく煌めいたのちに消失した。


 赤い竜の姿はない。

 代わりに、男。

 薄い金の髪。

 背の半ばまでまっすぐに下ろしたその髪をさらりと揺らして、その男は、黒い竜の脇に跪いた。衣服を着けていない。濃い緑のなかで、陽光を受けて、彼の細い体は白く淡く、輝いている。

 彼の手が触れると、黒い竜もまた、光に包まれた。

 それが失せた後には、ミディアとハルトが折り重なるように、うつ伏せで倒れている。


 ハルトの瞼が震えるように動く。

 ゆっくりと、わずかに目を開く。

 目の前に跪く男を見上げて、一度、瞬きをする。


 らうぃあ、ぜお。

 よく、我慢されましたね。


 金の瞳が、笑みの中に、半月のかたちになった目のうちに輝いている。

 唇は動いていない。が、ハルトには言葉が届いたし、その意味も同様だった。


 ……さりお、れお、ざ。

 ……あなたは、だれ。


 ハルトも口を動かさず、男に思念を送った。送った言葉は、彼の知識にはないものだったが、意味を紡げることに疑問は持たなかった。

 男は嬉しそうに頷いて、それでも問いに応えることはせず、代わりにハルトの頬に手を添えた。


 ああ……よく、似ておいでだ。色も、匂いも。

 ……似て、る……?

 ええ。とても。


 男は笑い、今度はミディアに向けて手をかざした。うつ伏せているその背の中央、ひとで言えば心臓のあたりが薄く蒼く光る。うう、と呻いて、ミディアはわずかに首を持ち上げた。

 その様子を眺めて、男は目尻を下げた。


 ……これだけ古い時代の同胞の魂、初めて見ました。だが、若く、瑞々しい。ああ、迎えられること、嬉しく思います。


 ミディアは身を起こし、ふんふんと頭を振った。と、傍で膝をつく男に気付き、瞬時うごきを止めたが、だんと手をつき、跳んで逃れた。着地と同時に右手のひらを獣の顎のかたちに撓める。蒼い光が浮かび上がる。


 「ハルト! 避けろ!」


 ハルトが制する間もなく、複数の光弾が射出された。が、そのすべてが男のあげた手のひらで消失する。


 「あはは。良き竜よ。先ほどはあなたが止めたのではありませんか。およしなさい。危害は加えません」


 ハルトもミディアも理解できる言葉を、今度は口を開いて送り出す。ミディアは事態を理解できず、ぼうと立っている。


 「……な」

 「少しだけ、お待ちください。なすべきことをしますから」


 微笑みながらそう言い、男は立ち上がった。草を踏んで白い石の並ぶ方へ近づく。目を左右に動かしていたが、やがてひとつの石を見つけ、その前に歩み寄った。ふたたび膝をつき、膝ほどの高さの石に手のひらを沿わせた。

 愛おしむように、ちいさく呟く。


 「……ナスタヴィアさま」


 ハルトは、ぴく、と身体を震わせた。肘をつき、上半身を起こす。


 「……どうして、知っているの」

 「なにを、で、ございましょう」

 「……名前……それと、お墓を……僕の……お母さん、の」

 

 男は答えずに、わずかに頷いてみせた。

 と、石にあてている手が燐光を帯びる。 

 男の手から流れ出る光が、ゆっくりと石を、ハルトの母の墓石を覆ってゆく。内部から染められるように、石そのものも、輝きを帯び始める。光の粒子が立ち上る。輝く霧のように、ほむらのように、風に揺られながら、ゆらりと昇る。


 そのゆらめきの中に、薄く影が浮き上がった。

 影は、ひとの形をしている。

 長い髪が光の渦とともに天に逆巻いている。

 その姿を、ハルトは知っている。


 ……おか、あ、さん……。


 ハルトが声を出さずに呟いた言葉を、ミディアは捉えている。影とハルトとを見比べ、手を差し出し、歩み寄ろうとして止まった。


 「先ほどは、よく我慢なさいましたね」


 影を見上げて、男は感慨深げに呟いた。ハルトに向けているのだろうが、夢をみているような表情にも見えた。


 「試させていただいたこと、申し訳ございません。この目でみるまでは、と」

 「……試す、って……」

 「あなたの、資質。だが、確かに感じた。安堵いたしました」

 「……あなた、は」


 男はふうと息を吐くような仕草をし、立ち上がって、ハルトのそばに歩み寄った。片膝をつく。


 「あなたの父君の、旧い友人です。遺言を成し遂げるためにやってまいりました」

 「……」

 「記憶を読み取らせていただきました。我らギストラロムドを、竜の力を喰らうためにやってきた、と。ですが、逆です。地球人類、はるか古に蒔いた種は、種族の限界を迎えた我らの魂の宿り先、新たな身体、にえなのです」

 「……に、え」

 「はい。すべては我らの意図したとおりに。ただ、ふたつ、誤算がありました。検証のために連れ去ったうちのひとりと、我々のひとりが、惹かれ合ってしまった。交わったのです。そして宿された子、人類とギストラロムドの混血の力は、生まれ出ずとも、我らの栄光を取り戻すに足るものだと判明しました」


 男はほむらのごとくに揺れるナスタヴィアの影を振り返り、そのまま呟いた。


 「だが、身重の彼女を、取り返された。戦になりました。我らも追いました。が、孕むとともに得たギストラロムドの力で、彼女は身を隠した。我らからも、人類からも。放った<使い>たちにも発見できなかった。が、ようやく見つけた……あなた、を」


 ふたたびハルトに視線を戻し、ちらとミディアを見遣ってから、男は首を垂れた。両の拳を地につく。


 「ナスタヴィアさまの、そして、先だって身罷られたあの方の、子。我らがギストラロムドの、最後の希望……」


 長い金髪が、地に流れる。

 ハルトはミディアと目を見交わし、互いに眉根を寄せた。


 「王の、遺言です。どうか……母君の霊とともに、あなたの伴侶たるその竜とともに、我らのもとにお戻りください。ハルトさま……王の子、次なる王、大竜。ギストラロムドの、大剣たいけんよ」



 <第一部 完>


※コンテスト応募のため第一部でいったん完結とさせていただきます。第二部「竜の王、滅びのみち」、お楽しみに。

 


 


 

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ギストラロムドの大剣 壱単位 @ichitan

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