第17話 おさな児よ


 視野に入った紅い果実。

 逸らした目に映る、なだらかな丘陵、樹々。

 青い空。


 ぴぴ、ぴぴ、と、小さく鳴り続ける警報音。

 ハルトは、ゆっくりと目を瞑って、開いた。


 黒い竜は、丘陵の中腹に背中をなかば土に埋め、片膝を曲げ、両肘をついた状態で半身を起こしている。

 赤の竜は飛翔を止め、接近しようとしない。中空に静止したまま、両手を合わせ、やや開いた。掌の間が薄く輝く。


 『目標付近に空間多層凝縮の反応を検知。コンマ七三で直撃を受けます』

 

 ミディアの穏やかな声が告げた直後、視界が白く埋められた。光の矢と見えた攻撃は、黒の竜の胸部付近を直撃した。

 ハルトの指示がないまま、竜鎧りゅうがいは自動反応として最小限の防御を行ったが、それでも躯体は弾き飛ばされ、後方、山の上部へ回転しながら吹き飛ばされた。遅れて周囲の地層が爆裂し、水分を瞬時にして蒸発させた木立が破片となって噴き上がる。


 『……くっ』


 飛ばされながらも、ハルトの意思が再び正面、敵影に集約した。

 黒い竜は着地と同時に踏み切り、跳んだ。


 『うぁああああっ』


 黒い竜の右手の甲に輝く長剣が現出する。振りかぶり、同じように剣を手にした赤い竜に殺到する。振り下ろすのを、赤い竜は円を描くように下から弾き、ぐっと引いて突き出した。

 鋭い打突は、だが、黒い竜の脇、腕の内側を通過した。宙を蹴って跳んだ黒い竜の膝が赤い竜の顎を打つ。のけ反って飛ばされたところへ追いつき、上から叩きつけるような右の蹴りを見舞う。腹を打たれた赤い竜は地表へ向けて飛ばされ、その上から黒い竜は剣を下向きに構えて追い縋った。着地と同時に貫く体勢だった。

 が、赤い竜はむしろ加速し、地表に即座に到達し、蹴った。周囲の地面が大きく陥没し、爆発したように土砂が噴き上がる。


 上下から高速で近づき合う、二頭の竜。

 剣が鋭い音を立てて合わされ、慣性で通過し、互いに空を蹴って再び組み合う。剣を叩きつける。衝撃で瞬時浮き上がり、刃どうしを擦り合わせるように手元のほうへ互いに滑る。


 『なんだよ……なんだよ、早く壊れろ、壊れろよっ』


 竜の躯体が近接する。顔が近づく。

 ハルトは眼前に、黄金色に輝く相手の鋭い目を大きく捉えた。


 と、そのとき。


 すうぇい、りりお、ざいえるふぇん……。


 薄く、小さく。

 わずかに脳裏に反響した、その声。

 ハルト自身ではない。ミディアとも違う。

 低く掠れたようなその声を、ハルトは目の前の赤い竜から受け取ったと感じていた。


 ハルトの視野が暗転した。

 目を塞がれた、と彼は感じたが、そうではない。

 黒い竜の視界、つまり竜鎧が捉えた映像を処理し再生する、ミディアの機能が停止したのだ。

 常に目の前に浮いていた複数の文字、紋様も消えている。音も聞こえない。

 同時に、ぶわっ、と、身体が浮き上がるような感覚。

 黒い竜は、飛翔を停止していた。自由落下が始まっている。


 『な……なんだよ、これ……なんだよお!』


 ハルトは狼狽し、意識の中で腕を振り回し、あたりを叩いた。蹴り、首を振り、喚く。そうしているうちに、視野の隅が明滅した。一部の機能が返ってきたのだ。それを掴むようなイメージで、ハルトは念を込め、うなり声をあげた。その声は獣に類している。

 ようやく機能が回復した。たたた、と、視界の端から光が並び、光景が広がる。きいいん、と金属を擦り合わせるような音が響いた。

 が、戻った視界が最初に捉えたのは、すぐ目の前に迫った地表だった。


 『ああああっ』


 上昇を試みたが、間に合わない。

 手を組み合わせて頭部を保護するが、その状態で腕から地面に激突した。回転し、背を叩きつけられる。衝撃と外部装甲へのダメージがハルトに強い痛みとして伝達される。


 『が、あっ』


 赤い竜が迫る。右の踵を突き出し、上空から高速で落下してくる。ハルトは身を捻って回避した。赤い竜の足が槍のように地に突き刺さる。そのすぐ横で跳ね上がるように立ち上がり、下から剣を振り上げた。赤い竜はそれを回避し、跳んで後方へ逃れ、剣を構える。

 が、打ってこない。


 ハルトは、ぜい、ぜい、と肩で息をしながら、相手を睨んだ。

 彼は、気づいている。


 丘陵の横合いに叩きつけられた時も、今も。

 赤い竜には、決着をつける気がない。とどめを刺そうとしていない。その気になれば、体勢を崩し、機能を失い、地に伏せた時点ですべてが決していたはずだ。

 では、なぜ。

 ハルトの心に、むくむくと黒い霧のようなものが立ち上った。


 ばかに、されている。

 お前など怖くはない、いつでも殺せる、そう、言われている。


 『ぼ……くは、弱く……ない』

 

 呟きながら、うっすらと目に涙が滲む。

 無意識にミディアのすべての兵装、攻撃機能の解放を指示している。

 肩、上腕、太もも、脛。各部の装甲がだんと開き、刃が覗く。同時にその隙間が薄く蒼く発光し、あわせて背の羽根が展開する。

 竜鎧変形ドラガルファーゼを経たミディアの火力は、いまハルトが発見している兵装にだけ依ったとしても、楽園アースの主要部分を瞬時に消失せしめるのに十分なものであるが、ハルトはそのことを知らない。


 『が、あああああっ』


 ハルトは叫び、走りながら攻撃を放った。その全身から光の弾丸、あるいは槍が射出され、そのすべてが赤い竜に向かった。劣らぬ速度で、黒い竜じしんも剣を構え、奔っている。

 と、赤い竜は片手を差し上げた。その掌を中心として、球が生じた。球と見えたのは、背景の情景が歪み、霞んだ範囲が半円形であるためだ。

 その半円形に攻撃が到達し、音もなく、消えた。

 ぶん、と、泡の表面がさざめくように空気がゆらぎ、ハルトが放ったすべての光が吸収されていた。


 『……な』


 声を出しながら、斬りかかる。赤い竜は手の甲で受け流し、身体を捻って、今度は反撃をしてこない。

 が、再び小さく声が聞こえる。


 れじりおす、ふぇいぜりお、のるでぃおうる……。


 『なん、だよ……それ』


 先ほどと同様に、視野の光が失われていく。が、ハルトは意識を集中し、ミディアの停止を許さなかった。しばらくせめぎ合い、最後はハルトが取り返した。

 怒涛のように剣を振り、叩きつける。すべてを赤い竜はしのぎ切り、身を躱し、再び後方へ跳躍して逃れた。


 『逃げるなよっ』


 ハルトが踏み切ると、赤い竜も跳んだ。走れば、走る。

 追いながら、ハルトはもはや照準すら定めず、あらゆる兵装を使用した。が、そのすべては赤い竜を包む膜のようなものに吸収された。狙いを外れて逸れようとしたものすら、なんらかの力により捉えられ、赤い竜が無効化した。


 幼い子をあやす、大人。

 仮に、楽園を壊滅させるに足る攻撃を児戯とみなせるのであれば、幼児が親に玩具を振り回すのと同視できるのであれば、二体の竜の行動はそのように捉えることができたかもしれない。


 と、ミディアの呻くような小さな声。


 『……ハ、ルト……』


 先ほどの小さな声のあと、ハルトが力づくで押さえつけていたミディアの意思、すなわち自我機構は再起動していた。それもあたかも、赤い竜がミディアに呼びかけ、目を醒まさせたように思われたし、実際にハルトはそう認識した。


 『……ここ、は……え、楽園じゃねえか。それにあいつ……やべえぞ、おい、識別できねえ。未確認の振幅だ。ただの竜鎧じゃねえ、なんでこんなところに呼び込んじまってるんだよ、おい、ハルト!』

 『うるさいよ!』


 ハルトはミディアの電子的結像を跳ね除けるように身を捩り、叫んだ。


 『あと少しなんだ! あとちょっとで、あいつ、やっつけられるんだよ!』

 『なんでそんなことになってるんだよバカ! やめろ、おいシーファ、どうすりゃいいんだよこれ!』


 ミディアはシーファに呼びかけ、天界スフィアの中枢機構に接続しようとしたが、ハルトが制した。

 奔りながら、剣をめちゃくちゃに振りながら、目を見開き、叫んでいる。樹々を蹴り倒し、踏み潰し、民家が見えてきてすら停止しようとしない。


 『やばいやばい、おい、楽園の民アーサイドの集落が近いじゃねえか! いったん止まれ、誘い込まれてんぞこれ……って、えっ、なんで……』


 ミディアはそこで言葉を切った。

 赤い竜の行動から移動先を予測したのだ。


 『……竜祈師りゅうきし、校……』 

 


 

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