第16話 偽の空、紅い果実
ハルトは捉えた光景をそう印象し、脳裏に結像した。
鏡面状の外殻の一部が裂け、内部構造が覗いている。先ほど魔物、
その周囲に、無数の獣器体が群がっている。黒く蠢くその群れのなかに、時折り、青や白の煌めきが見える。
赤い竜は、その裂け目に向かっている。
ざあ、と流れるように、獣器体の群れの一部がこちらに向かった。赤い竜を護ろうとするように包み込む。迫るミディアとハルト、すなわち黒い竜に、鈍く光る口をそれぞれ開く。
刹那に照射された複数の光の弾丸を、黒い竜はすべて見切った。わずかに身体を逸らして回避し、最短距離で群れに突入する。
上下左右からの斬撃。黒い竜は、それを手の甲に生じた盾で防いだ。防ぐと同時に、肩と上腕、大腿部の外側の装甲がばんと開く。きいん、と輝いたそこから、無数の光の矢が全方位へ射出された。貫かれた獣器体は身を捩り、崩壊しながら宙の一点に向けて吸い込まれた。逃れた獣器体の背を光の矢は追う。捻り、もがき、逃れる獣器体たちは次々に沈められ、消失した。
『弱い』
ハルトの平板な声。
『弱い。弱い弱い。消えればいいんだ、弱いやつは。消えろ。消えろ』
『……トくん。ハルトくん、聞こえているか』
シーファの鋭い声。ハルトが占有し、閉鎖していた機能の一部を無理やりにこじ開け、発話したのだ。
『なにをしておる。やめるんじゃ』
『え、どうして』
ハルトは凄まじい速度で攻撃指示を出しながら、なかば呆けたような表情のなかで目だけを忙しなく動かし、感情の乗らない声で応えた。
『君は戦闘に参加するべきではない。戦っては、ならん』
『だから、どうして。心配してるの? 大丈夫だよ、僕は、僕とミディアは……』
言葉の間に、黒い竜の周囲で複数の火球が生じた。回転しながら放った刃が群がった敵を瞬時に裂いたのだ。体内の燃焼物質を消費した獣器体たちは闇に戻る。
『ほら、こんなに強い』
『……よいから、言うことを聞け。喰われてしまうぞ。君も、ミディアも』
『喰われる? その前にやっつければいいじゃないか』
『そうではない、喰うのは……』
『あ』
ハルトはシーファの声を遮り、目を見開いた。
赤い竜が真地球の外殻付近に到達したのだ。
周囲の獣器体が道を開く。
竜人形たちは直ちに跳躍し、同時に襲いかかった。が、赤い竜は交戦しようとしない。躱し、届いた刃を甲でそらせ、相手の腹を蹴ることで反対へ跳び、そこにいた竜人形の首を掴む。盾にするような動作。
瞬時ひるんだ竜人形たちの間隙を縫って、赤い竜はどんと虚空を踏み切り、外殻の裂け目に突入した。
『あいつ、穴に逃げるっ』
ハルトの指示に応じ、黒い竜の全身が淡く蒼く、発光した。即時に姿が消失し、次の瞬間に外殻の裂け目に出現していた。空間短絡だ。ミディアが認識していない
『いかん、追うでない……そやつの動き、おかしい』
『だって、困るんでしょ、そっちに行ったら。退治してあげるよ。僕が』
『ミディア、竜核、落とすぞ』
シーファは呼びかけ、なんらかの操作を行ったようだった。ハルトの視界の隅に小さな赤い警告が点滅する。が、なにごとも起こらない。
ミディアの躯体、その核である竜核の緊急停止をシーファは指示したが、いま彼女のすべての機能はハルトの指揮下にあった。その制御はすでに、真地球の中枢機構から切り離されている。
シーファに届いているミディアのイメージには、すでに意思がない。文字通りの、竜の人形。ハルトに呑まれ、喰われた、竜核……ギストラロムドの末裔の、哀れな姿だった。
『……ハルトくん、頼む。止まってくれ。これ以上は』
そこで声が切断された。ハルトが回線を絶ったのだ。
『うるさいなあ。ね、ミディア。僕たちは強いんだ。なんでもできる。心配しなくたって、誰にも負けないよ。ねえ』
ミディアはしばらく沈黙していたが、やがて穏やかに微笑し、こくりと頷いてみせた。
『はい、おっしゃる通りです。現時点までの戦績ならびに行動履歴を検証しましたが、捕捉対象にわたしたちが戦闘継続不能な程度のダメージを加えられる確率は、およそセブンゼロスリー。敗北の想定に基づく戦術立案を、わたしは提案いたしません』
『そうだよね、うん、あっははは。ああ、ミディアがそう言ってくれるなら間違いないよ』
『はい。ハルトさまのお考えのとおりです』
ミディアは愛らしく目を閉じ、頭を下げた。
その穏やかな声も、表情も、ハルトが作っている。言わせている。そのことを彼は知らないが、たとえ知っていたとしても、それで構わないと言っただろう。
ハルトの、瞳。
瞳が、変貌しつつある。
縦に長く、翠を帯びて、爬虫類のそれに。
あくまでミディアの情報処理組織における電子的な結像の上でのものだが、その映像の生成の理由を、ハルトもミディアも理解できていない。
黒の竜は、真地球の内部骨格を掴み、蹴破り、赤い竜を追う。
相手はすでに
逸れて、配管などで構造の薄いところを選んで破壊し、突き進んでいる。
『……
ミディアの報告とともに付近の地図と詳細な情報が表示される。
地図の中央は、カゾエダ岳。
『ふうん。なんでこんなところに来るんだろう』
『捕捉対象の行動理由と目的は不明です。まもなく上部構造内で対象に到達します。行動を選択してください。確保、追随、あるいは殲滅』
『殲滅』
ハルトは迷いなくそう言い切り、その刹那にミディアは躯体を加速させた。左の壁を紙を切るように裂き、その向こうに奔り出る。配管とわずかな間隙があり、そこを四肢で、あたかも獣のように疾駆する。到達した正面の壁を、拳で打ち破る。
崩壊した壁の向こうに、赤い竜がいた。
相手もハルトたちの出現を予期しており、破片を浴びながら、右足を振り抜いてきた。
黒い竜はそれを肘と膝で受け、右の手刀を首筋に叩き込む。吹き飛ばされた赤い竜は轟音とともに床に激突する。その背に、黒い竜は飛び込んだ。押し潰しながら両手を組みあわせ、後頭部に振り下ろす。その衝撃で赤い竜が背を当てている構造物が崩壊し、口が開いた。
二体の竜は、空中に放り出された。
『天界の下部構造を貫通。楽園に落下します』
互いに組み合い、錐揉みしながら落下する二体の竜を、眩しい陽光が照らし出す。初夏の深く真っ青な空。そして彼らの周囲に雲はない。あるはずもない。
晴天は、映像だ。楽園を覆う天蓋に投影されたかりそめの空。ハルトが幼い頃から見上げた太陽も、数えた星々も、季節の移ろいを知らせた月も、天界の中枢処理機構が演算して描画した、紛い物。偽の空、である。
赤い竜の背が、だん、と開いた。内側が発光する。と、落下速度が緩められ、軌道が変わる。ハルトは瞬時迷ったが、念じることで同等のうごきをミディアに再現させることができた。
赤い竜は水平方向に加速した。その背に追いすがり、蹴撃。踵を相手の尾の付け根に見舞わせると、相手はのけぞり、だが身体を回転さえて黒い竜の腕をとった。加速しながら、ぶんと振り回して、前方へ投げる。
すでに目前に迫っていた丘陵の中腹に、黒い竜は円弧を描いて到達し、激突した。樹々を薙ぎ倒し、膨大な土砂を巻き上げ、長い距離を滑走した。
ようやく停止した黒い竜の中で、ハルトはため息をつく。
立ち上がるべく動こうとしたが、その時、視野の隅に映ったものが彼の注意を引いた。
紅い果実。
その小さな果実の味、強い酸味が、ハルトの意識にふと上った。
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