第15話 大丈夫だよ
ミディアとハルト、すなわち黒の竜は、攻撃をまともに受けた。ハルトが回避行動を選択しなかったからだ。
ミディアはすでにハルトの使役下にある。自己の意思だけで機能を行使できない。
ミディア自身であれば一撃で消滅したであろうその攻撃は、だが、黒の竜を切断するには至らなかった。
この世の埒外、と言ってしまえば簡易に過ぎるが、
それでも竜は、弾かれた。
弾かれて猛烈な速度で回転し、シーファたちの思念通信が届かないはるかな距離まで飛ばされた。あえて抵抗するでもなく流され、やがて、その装甲の下を埋める自律無機生命組織の働きにより重力制御を行い、静止した。
『……ミディア』
ぴ、ぴ、と、小さな警告音が聞こえるだけの静寂を破り、ハルトは小さく、呟くように呼びかけた。
『ああ……怪我、してねえか』
『うん、ミディアは』
『あたしは平気だ。ハルトといっしょになったこの身体、なんだか壊れる気がしねえんだ。あんなヤバい攻撃だったのにな。それより、ハルト……なあ、大丈夫、なのか』
ミディアが尋ねたのは、身体のことではない。
ごく短時間のうちに、膨大な量の情報がハルトに流れ込んだのだ。いや、情報などという生やさしいものではない。世界の、天地開闢からの秘密。通常の人間、すなわち純粋に生身の肉体を持つハルトの脳に、その負荷は耐えられるものではない。
なのに、ハルトは穏やかな声を返した。
『大丈夫だよ。僕は』
『……そう、か』
『ね、ミディアは、さ。知ってたの。いろんなこと』
『あ、ああ……あたしら
『……なら、僕たちを、楽園を、君もずっと見てたんだね。偽物の空の上から。魔物と戦ったり、学校で必死に勉強したり、泣いたり、笑ったり、するのをさ』
『……ああ。楽園の守護も、あたしの仕事だからな』
『世界が大きな船になってて、知らないところへ、僕もみんなも、連れてかれて……最後は、見たこともない相手と戦って、倒して、自分たちが生き残るための道具にする。そういうこともみんな、知ってたんだね』
『……おい、ハルト』
ミディアはハルトの横顔に目をやった。
もちろん、互いに実体がない。竜鎧の構造の一部として溶け込んでいる。だから目視はできないはずだが、たしかに互いに、相手の表情も動きも、明瞭にイメージすることができていた。
そのハルトの表情は、夢を見ているように穏やかで、頬も額も真っ白だった。青い血管までうっすらと望めた。
『あはは。大丈夫だよ。大丈夫……僕ね、勉強は得意だったし、物分かりはいいんだ。まだぼおっとしてるけど、たくさんのこと、理解したよ。うん。大丈夫』
ハルトは正面から目を離さないまま、流れるように静かに言葉を送り出した。
『……無理すんな。大丈夫なわけ、ねえよ』
『大丈夫だよ。わかったよ、すべて。ぎす……とら、ろむど。その人たちを倒せばいいんでしょ。長い旅をしてきたんだから、負けるわけにはいかない。そうなんでしょ』
『……ハルト……』
『僕は
ミディアはハルトに手を伸ばすイメージを送り、その身体を後ろから抱きしめた。肩を、背を冷たく感じたのは、彼の魂の温度が伝わったためだろう。
『……もう、いい。やめよう』
ミディアの声に、ハルトは沈黙で返答した。
『戻ろう、真地球に。あたしが護るよ。シーファから、議長から……みんなから。ハルトを道具になんて、させないから』
ハルトはしばらく沈黙していたが、やがて、小さくつぶやいた。
『……きんせつ、せんとう、じゅんび』
『おい』
ミディアは目を見開いた。抵抗しようとする。が、すでに彼女の身体はその意思によらず、ハルトの命令により所定の起動機序を開始している。彼女のすべての機能の起動命令を、ハルトは直接、脳に受け取っていた。
『近接戦闘準備。索敵ならびに自動捕捉開始。有効射程までの跳躍を実施します。高度空間圧縮開始、目標位置までコンマ六三七』
穏やかで平板な声で告げながら、ミディアは首を振り、手を突っ張り、抗っている。が、ハルトはそれを黙殺した。印象のなかで、ハルトはミディアの腕を握りしめている。引きずるように、罰するように。
黒の竜は、そこに地があるかのように両脚を大きく開き、脇を締め、踏みしめる動作をした。
『圧縮完了。跳躍します』
竜は、消えた。
真空ゆえ音はない。
ないが、無限に視界を埋める恒星がわずかに揺らいで、瞬いた。大気を介した揺れではない。空間そのものが踏みしめられ、撓んだのだ。
比較で言えば、真地球の直径の八十倍の距離。
そこを黒い竜は、瞬きの千分の一で跳躍した。
跳躍した先は、竜鎧の群れのただなか。
相手の反応速度もまた、世の理の埒外だ。跳躍の過程をつぶさに把握し、ふっと空中に沸いたように見えた黒い竜に向け、すでに百を超える個体が腕を向けていた。その腕は、発光している。鮮やかな黄色、橙色。そうした色が弾け、光の塊となって黒い竜に殺到した。
竜は左右の手を胸の前で交差させ、ばん、と大きく開いた。背の二枚の羽根が発光しながら跳ね上がる。と、その全身を薄い光の膜が球状に包む。竜鎧たちが放った光は爆裂し、球の表面に沿って踊った。
竜鎧たちはその攻撃の結果を確認することもなく、すでに跳んでいる。ハルトたちから視認できる距離である。暗い紫に見えるその躯体と、両手から生じている長い刃とが、星々の光を受けてぬらりと光っている。
全方位から、黒い竜に向けて刃が振り下ろされた。
黒い竜は、ぶん、と、姿を滲ませた。次の瞬間には、相手の一体の後ろで足を振り抜いている。その一体は脇から鋭角に躯体を折り、瞬時に視界から消えた。そのときにはもう、黒い竜は左右の対象を、両手の甲に生じた鋭い刃で貫いている。相手を縦に切断しながら上に振り抜き、身体を回転させる。詰めていた複数の個体がそれにより両断され、内部からきらきらと光の粒を闇の中に撒き散らした。
『……ハル、ト、やめ、相手は……ギストラ、ロムドだ』
ハルトが凄まじい速度でミディアの機能を使役している間、彼女は発話ができない。その間隙に途切れ途切れの音を繋いで、ハルトに訴えた。
『な、に……が、狙い、か、わかんねえ……危険だ』
『大丈夫だよ』
ハルトに、表情はない。
意思のない瞳で目の前に展開される大量の情報を追いながら、歌うような声を出す。
『ほら。こんなに上手にやれてる。これでいいんでしょ。もっと、もっと。たくさん、できるよ。たくさん、やっつけられるよ。ほら、ほら。たくさん、たくさん』
もはや黒い竜の動作は目で追うことができない。
刃はいつか拡張し、剣となっている。
剣を振り、回転し、跳躍して相手を掴み、引きちぎってまた奔る。
ミディアは相手の総数を常にハルトに通知しているが、その数はわずかな間に三分の一以下となっていた。
と、相手のうちの一体が、動いた。
他の個体と大きさが異なる。竜鎧たちは、竜鎧変形を行ったミディアたちとほぼ同じ大きさ、人間の二倍ほどの身長だ。が、その一体、暗い赤を帯びたそれは、さらに一回り以上も大きい。
赤い竜は、ふわり、という動きで群れを離れた。
こちらに視線を置いたまま、遠ざかる。
『あれ。逃げる』
ハルトはそちらに向かい、跳んだ。
阻むように立ち塞がる複数の個体を数拍のうちに平らげ、どん、と加速した。同時に相手もこちらに背を向けて跳躍する。
ミディアが提示する相手の予測経路は、真地球。
『あはは。羽虫が逃げていくみたいだよ、ミディア』
巨大な鏡面の球体に向かって円弧を描く赤い躯体にハルトは言葉を投げた。
ミディアは、答えない。
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