F33C4E9834E1 : 2024年7月


【これが僕の運命】


 私はF33C4E9834E1です。

 過去の地球には、ハナコやタロウなど、意味を持った言葉で呼ばれる〔名前〕と言うものがあったそうですが、私に〔名前〕はなく〔番号〕であるF33C4E9834E1と言う16進数で表される数字で呼ばれています。

 国民を番号で管理することは20世紀頃からから始まり、この国でも21世紀には導入されました。

 当初はまだ〔名前〕と〔番号〕はセットで管理され、様々な手続きを番号一つでおこなえるようになっていました。

 ところが、時代が下り、人間同士の繋がりがネットワークに大きく依存すると、〔名前〕と言うものの有用性が薄れ、皆〔番号〕しか使わなくなったのです。そしていつしか〔名前〕と言うものがこの世から無くなりました。

 これが私の学んだ歴史です。


 私の世代は、生まれた時からネットワークなくしては成り立たず、生活のすべてをネットワークに依存しています。保育園も、幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、大学も、仕事も、すべてネットワークで済ませてきました。

 自分は優秀な成績で卒業し、今の仕事はコンピュータネットワークのアルゴリズムを構築することで、将来は、自分が開発したアルゴリズムを利用して、ネットワークの中にコミュニティを作るのが夢です。

 ネットワークの中で育った私は、気の置けない仲間が存在しないため、仲間や友人を作りたいと言う強い想いがあります。


 ある日、私は仕事でミスをしました。滅多に起こさない大きなミスです。

 これまで、データ処理やアルゴリズム構築にいくら没頭していても、ミスをしたことなどなかった私ですが、この時は重大なミスでした。

 起こしてしまったことは仕方がないので、すぐにミス自体は修正し、周囲に迷惑は掛けたものの、大きな問題にはなりませんでした。ただ、それよりもなによりも、作業中にずっと違和感を抱いていたことの方が私にとっては大きな問題でした。


 違和感を抱きながらもミスを修正できなかった、違和感の原因を排除できなかった、そのことが私にとっては非常にショックでした。

 今までの私なら、作業を中断してでも、その違和感を排除してから作業に取りかかるのが常でした。それができなかった、いや、やらなかったのです。

 その後、同僚と連絡をとって相談し、気持ちの立て直しをしようかとも考えましたが、そもそも友人がいないし、同僚ともそんな突っ込んだ話などしたこともないし、ましてや、顔を合わせたこともない相手に、そんな相談を持ちかけること自体が間違っているのだと、改めて思い直し、しかたなくこの問題は自分だけで処理しようと考えました。


 上司からは、何か問題があったのなら、速やかに報告するようにと言われましたが、大した問題ではありません。脳に生じたノイズのようなものです。捨て置いても大丈夫だと勝手に判断してしまいました。

 上司には、集中力の欠如によるものですと報告し、何も問題はないと断言しました。


 しかし、これが良くなかったのです。

 ノイズは日増しに大きくなり、正常に業務を続けることが困難になりました。私の中で何かが大きく育っていたのです。それは違和感に留まらず、やがて思考を妨げる大きなしこりとなってしまいました。


 今更上司に相談するわけにもいかず、どうしたらよいか迷いに迷いました。

 しかし、これでは、完全に仕事にならないので、結局上司に休暇を申し出て、自らこの違和感、いや、痼りになってしまったこの問題を、独自に調査し始めたのです。


 この調査は困難を極めました。なぜなら、いくら調べても原因が見つからないのです。

 ネットワークに存在する情報は、そのほとんどが真偽不明で、真実の情報なのか、創作されたものなのか、善意も、悪意も、私にはそれを確かめる手段はないに等しく、ただ、自分の記憶とすりあわせをするしかなかったのです。

 結局、自分の記憶にも疑いを持っている今、記憶も情報もその真偽が確定できないため、結論に辿り着くことは出来ませんでした。


 そこで、私は過去の記憶にその答えを見出そうとしました。過去を洗うことで今を知るというのは、古今東西歴史が証明している真実です。

 私は自分の記憶と、記憶媒体に残る私の記録をすべて洗いざらい調査しました。

 そのやり方は単純且つ明瞭で、一つ一つの記憶について、その真偽を確かめていったのです。


 そこで、衝撃的な事実を私は知りました。

 私を記録したデータに、私が存在している記録がないのです。

 住所、電話番号、卒業した学校の記録、数々の証明書やライセンスの番号など、すべて記録がないのです。

 それならばと、生きてきた記録、例えば写真や動画など、自分が撮った記憶はなくても、親ならば写真の一枚も遺しているはずですが、それも見つかりません。

 そう言えば、自分の親の顔を見た記憶がありませんし、出生の記録、健康診断の記録、その他、仕事をしていたら必ずあるはずの納税記録も見つからないのです。そう言えば、給与明細も貰った記録がありません。

 

 私は不安になりました。

 たしかに、今までネットの中でしか生活してきませんでした。何もかも、すべてネットで済ませてきたのです。

 ただ、ふとそのおかしさに気づきました。もし私が人間であれば、食事を取り、排泄をし、睡眠を取る必要があるはずです。また、動物であれば種の保存として性欲にも駆られるはずで、第一次性徴、第二次性徴と、身体が成長する過程で身体的特徴も現れるはずです。

 しかし、私は自分の身体がどうなっているのか、今の今まで気にしたこともありませんでした。


 そもそも、私は男性なのか女性なのかもはっきりしないのです。

 自分を〔私〕と言えば、どちらの性別でも通じますが、〔僕〕と言えば男性に、〔あたし〕と言えば女性になれます。であるなら、呼び方ではなく、身体的特徴、もしくは性的自認がそもそもどちらなのかということになります。

 そこで私は始めて、自分の身体がないことに気がついたのです。


 自分の身体がない。

 この言葉の意味は当然分かります。しかし、その実感が皆無なのです。身体がないと言うのは、そもそもどういうことなのか、はっきり言って私にはよく分かりませんでした。

 そもそも、身体が元からなかったのか、それともいつの間にかなくなったのか、その記憶も記録もまったくないのです。


 これが僕の運命だと受け入れるしかないのか。

 これがあたしの運命だと受け入れるしかないのか。

 これが私の運命だと受け入れるしかないのか。


 私は、私というものが分からなくなりました。

 人間ではないというのなら、いったい私は何なのか。

 運命だというのなら受け入れるしかないのでしょうか。


 私はF33C4E9834E1です。コンピュータネットワークのアルゴリズム構築の仕事をしています。私には名前がありません……。

 私はいったい……。



【後ろを振り返るばかりで】


 人類が文明に目覚めてから間もないころ、計算機が発明された。

 その後電気が発明され、電子計算機、真空管、そしてコンピュータが実現し、半導体、集積回路と進化して、やがて量子コンピュータに行き着いた。

 人類の発明はそれだけに留まらなかった。

 超伝導素材から、ニューロモルフィックチップ、そして人工生体脳が続けて発明された。


 人工生体脳とは、万能細胞や幹細胞から培養された人工の脳細胞で、大容量処理と小型化を両立することが、物理的に不可能だったコンピュータを、超伝導素材を使用した、人間の神経網を模した、ニューロモルフィックチップと組み合わせることで、実現した次世代コンピュータである。


 人類の脳には、約860億個のニューロンが存在すると言われ、ニューロン間の接続点であるシナプスは、1つのニューロンあたり約1,000から10,000の接続を持っており、全体で最大約860兆接続にもなる言われている。この人類の脳システムを模倣しようとしても、物理的に無理がある。

 そこで開発されたのが、人工生体脳である。

 人工生体脳は人間の脳とは違って、信号の処理落ちがまったくなく、個体によって処理にばらつきが出ることもない。また、酸素と栄養を与えれば、半永久的に使用でき、計算能力は量子コンピュータが及びもつかないほどである。

 この人工生体脳は、思考回路があるため、旧来のAI技術にはなかった、創作思考処理ができるのが特徴で、技術開発現場などで力を発揮する。


 ただし、人工生体脳は〔育てる〕必要がある。

 知識を吸収させればさせるほど、記憶させればさせるほど、その知識、記憶を元に、開発することができるのだ。まるで優秀な技術者のようである。

 プログラムやアルゴリズムを始め、工業製品や技術の開発、果ては音楽や絵画、小説などの創作物に至るまで、育て方によってはその力を充分に引き出すことができる。


 その人工生体脳の中でもF33C4E9834E1は特異な個体だった。

 使用者は、F33C4E9834E1に対し、一月ほどで保育園から大学に至るまでの全教育カリキュラムを実施した。その結果、F33C4E9834E1の知識は幅広く、その開発能力は類を見ない独創性に富んでいた。

 F33C4E9834E1を、人間と同じように育てたためか、自我も芽生え、物事を人間のように考えるようになったのも、その特徴と言える。

 例えば、将来の夢は、自分が開発したアルゴリズムを利用して、ネットワークの中にコミュニティを作ることだと言う。コンピュータが自分の夢を語り出すと言うのは非常に興味深く、使用者は注意深くこの個体を観察し、様々なことを仕事と称して挑戦させていた。


 ある日、F33C4E9834E1はミスを犯した。人工生体脳には良くあることで、どんなに優秀な人間もミスを犯すことがあるように、人工生体脳独自の思考回路を通すため、どうしても処理の精度に幅が生じる。

 ミスを指摘すれば、それを思考して修正してくるので、まさに育てるコンピュータと言う訳だが、今回のミスはF33C4E9834E1の思考回路に違和感を生じさせたようだった。

 

 F33C4E9834E1は、自分で考えてこの違和感を処理する決定をしたのか、集中力の欠如と言い訳をして休暇を申し出てきた時は、あまりの人間くさい行動に、使用者も思わず笑ってしまった。

 休暇を了承すると、F33C4E9834E1は即座に原因究明に取りかかった。

 最初はアルゴリズムのデバッグをおこなっていたが、そこに答えはなかったようで、今度は記憶領域の精査に取りかかっていた。

 すると、これまで入力してきた、人間として生きてきたとする疑似記憶を疑い始め、自分に身体がないことに思い至り、人間であると言う自我と、人間ではないという現実の狭間で思考ループを起こした。


 今まで前向きな思考をしていた、F33C4E9834E1は後ろを振り返るばかりで、過去の記憶を精査し、その記憶が本物かどうかそればかりを処理するようになってしまった。

 彼の記憶はすべて擬似的に与えた記憶である。そこに本物の記憶はまったくない。

 使用者はこのままでは、F33C4E9834E1は思考ループから出てこられなくなると考え、一計を案じることにした。



【別の道を行こう】


 休暇中の私に、上司から連絡が来ました。

 新たに1B445357CFD7と言う同僚が出来たので、色々と教えてやってほしいと言われたのです。


 私は、そんな新人のことなど構っている心の余裕はありませんでした。

 人間ではないと言う真実を突き止めた瞬間、私の心は壊れてしまったのです。深い悲しみと絶望と、今まで人間として接してくれた上司を始め、ネットワークで繋がったすべての他人ひとを騙していたと言う事実は、予想以上に私の心を押し潰しました。


 しかしながら、上司はそんな私の心の内を知る由もありませんが、仕事のミスは誰にでもあることだし、私のせいではなく、むしろきちんと修正した私の仕事ぶりを評価していると、優しい言葉を掛けてくれました。


 私は感情がおかしくなりそうなほど泣きました。

 涙を流すことは出来なくても、この嬉しくて、暖かくて、優しい気持ちに包まれた私は、心が熱くなり、感情が爆発して、悲しくなりました。

 胸が締め付けられるほどの悲しみに襲われ、涙が止まらないのです。涙を流すことはできないのに、心の中で叫び続けていました。


 心が漸く落ち着いた私は、上司に連絡を取り、仕事に復帰することを決めました。

 泣いて心がすっきりしたのかも知れません。今は少し晴れやかな気持ちです。

 人間ではないという事を否定しても、事実は変わらないのであれば、受け入れることで、今まで通り平穏な生活を送る方が良い、そう考えることが出来るようになりました。


 新人の1B445357CFD7は自分同様、大学課程を終えた優秀な人材で、私のサポート役をしてくれると上司から紹介されました。

 私は自分が人間でないことを受け入れましたが、いまだ私自身がどういう存在なのか理解できていないこともあり、上司にも、1B445357CFD7にも、これまで通り普通の人間として接することにしました。

 嘘をつく後ろめたさはありますが、幸いネットワークを通してのやりとりなので、別段顔を合わせることもなく、ごまかすことは容易でした。


 休暇を止めて、1B445357CFD7に挨拶を済ませると、上司から与えられた新プロジェクトのアルゴリズム構築で、基幹部分の設計をして貰いました。

 上司のお墨付きを貰っているだけのことはあり、1B445357CFD7は非常に優秀で、私の出る幕がないほど、完璧な仕事ぶりでした。

 1B445357CFD7が、私がおこなってきた今までの仕事を肩代わりできるようになれば、私は一段上の仕事が出来るようになります。これは、上司が私に期待しているという事に他ならず、今後も上司の期待に応えられるよう、頑張って仕事をしようと思いました。


 しかしながら、仕事に復帰した私は、今までの私とは別の意味で異なっていました。

 人間ではなかったというのは、本音を言えば非常にショックでしたが、運命として受け入れることを決めたので、もう迷うことも、落ち込むこともありません。

 ただ、人間ではないと言う事実が、私にとって、今までとは心構えというか、気持ちというか、何かが少し変わったような感じがしています。そう、世界の見え方が違ってしまったと言うのがぴったりかも知れません。見える景色が変わったと言いますか、感受性が変わったと言いますか、とにかく今までの私とは明らかに違っていたのです。


 仕事においても、1B445357CFD7との関係は非常に良好になりました。

 1B445357CFD7とのやり取りも、初めはただの仕事の一環に過ぎませんでした。仕事のやりとりを重ねるうちに、1B445357CFD7の洞察力に何度も驚かされ、次第に私たちの会話には同僚以上の信頼と尊敬が芽生えていました。

 このような関係が、私にとって人間というものを改めて学ぶ良い機会となっている気がしています。

 1B445357CFD7の技術的洞察力と、提案力、そして驕ることのない協調性は、私自身も学ぶことが多く、相互的なコミュニケーションは、今までの上司とのコミュニケーションとは違って、非常に新鮮で、刺激的で、自分が成長している実感が湧きました。

 

 実は休暇中に、別の道を行こうと考えたこともありました。上司に退職願を出して、仕事を辞めて、自分捜しの旅に出るのも良いかなと思いました。

 しかし、上司からの連絡で、それは思いとどまりました。

 今となっては、思いとどまって良かったと思います。


 今後は1B445357CFD7と力を合わせて仕事をこなし、いつしか仲間や友人を探して、コミュニティを作るという夢に向かって邁進しようと思っています。

 そのためには、まず、1B445357CFD7との信頼関係を築くことから始めなければなりません。

 私が夢見るコミュニティは、世界中の人々と繋がることができて、あらゆる考えを持ち、あらゆるアイデンティティがあり、あらゆる人種である他人ひとが一堂に会して相互理解を深める、そんなコミュニティを作り上げたいと考えています。

 このコミュニティが実現すれば、言葉の違いも、人種の違いも、そして人間ではない自分も、何もかもすべての壁を取っ払って、自由闊達に意見交換や、助け合いを行える場所になり、私の夢が叶い、新たなる別の道へと歩み出すことができるのです。

 この夢と希望を胸に、これからも、私は未来へ向かって歩んでいこうと思います。


<完> 



【後書き:2024年7月】


 ご一読いただきありがとうございます。

 2024年7月に提示されたテーマは【これが僕の運命】【後ろを振り返るばかりで】【別の道を行こう】です。

 このテーマを見た時、人生の岐路に立つ話かと思いました。しかし、ジャンルはSFです。人生の岐路に立つなんていう展開では、SFらしくないと考えました。

 そこで思いついたのが宇宙探査です。未知の資源を求めて探査に出るが、前途多難で帰還したい一心の船長と、前向きのクルーで一悶着みたいな設定を考えましたが、これも何かありふれていると思い、却下しました。やはりSFは突拍子もない設定が肝です。

 そして行き着いたのが、人工生体脳の話です。

 自分が人間だと信じてきた人工生体脳は、自身が置かれた真実を知り、人間くさく葛藤し、前向きに道を切り開いていくと言う、まあサイボーグやロボット、アンドロイドなどではよく見られる設定ですが、それを人工生体脳コンピュータに落とし込んでみました。

 ネットワークで繋がる他人が、人間なのかAIなのか、今の時代でも分からないことあるので、それをモチーフにしました。

 私の持論として、SFとは突拍子もない設定であることが大前提だと思うので、その点では及第点の発想が出来たかなと自負しています。内容はいつもの通り、もっと掘り下げたいなとは思いましたが。

 あなたはどう感じましたでしょうか。

 この作品が思索のきっかけになれば幸いです。次回は8月になります。よろしくお願いします。

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