ホメヌ・メヘシ : 2024年9月


【蜘蛛の糸】


 クレメンティア・フリッチュは小型艇を自動操縦に切り替えると、シートをリクライニングにして、横たわった。

「エレナ。ヒーリングミュージックを掛けて。」

 彼女がコンピュータに命令すると、ゆったりとした音楽がコックピットに響き渡った。

「エレナ。食事の準備をお願い。」

「了解しました。メニューは何にしますか。」

「そうね。カデーナ星系名物のボトピラをお願い。味は少し辛めで。」

「味は少し辛めの、ボトピラですね。食材のソグゲがありませんが、合成肉で代用しても構いませんか。」

「構わないわ。ソグゲなんて高級食材、私に手が出せるわけないもの。合成肉で我慢するわよ。」

「了解しました。では、合成肉を使用して、味は少し辛めの、ボトピラをご用意いたします。少々お待ちください。」

 クレメンティアはオート調理器が食事の用意をしている間、目を瞑りヒーリングミュージックに耳を傾けた。


 クレメンティア・フリッチュは、この超高速小型艇エレナを使って、運び屋のような仕事をしていた。運ぶものは、物資から人、そして情報に至るまで何でもありだ。

 ただし違法物資だけは絶対に手を出さない。積み荷をスキャンさせない場合は、一切の運びを断っている。

 そのお陰で、当局から睨まれることはないが、裏稼業からは睨まれている。命を狙われることもあるが、この超高速小型艇エレナは自慢の5千パーセク(pc)/ネビュラアワー(nh)でかっ飛ばすことが出来る。銀河系を8nh(ネビュラアワー)で突っ切れる小型艇は私の船ぐらいで、そんじょそこらの小型艇には引けを取らない。


 ちなみに、ネビュラアワー(nh)とは、可視光線である555nm(ナノメータ)の波長を持つ緑色光りょくしょくこうが1000兆回振動する時間をネビュラセコンド(ns)として、その60倍をネビュラミニッツ(nm)、さらに60倍したものがネビュラアワーで、1ネビュラアワー(nh)は約1時間51分ほどである。


 この自慢のスピードで裏稼業の連中に泡を吹かせてきた。

 ところが、今回は待ち伏せをされてしまった。

 食事を終わり、一眠りすると、目的地のケブラス星系に到着した。亜空間航行から通常空間に出ると、そこには、裏稼業の連中が待ち伏せしていたのだ。

 ワープ明けを狙われてしまっては為す術がない。気づいた時にはエンジンユニットを撃ち抜かれていた。

 通常なら防御シールドで防げるのだが、ワープ明けでは防御シールドは作動できない。作動するまで1nm(ネビュラミニッツ)がかかる。その隙を狙われたのだ。

 クレメンティア自身も重傷を負ってしまった。

 エンジンコントロールが不能になり、近くを浮遊していた小惑星に不時着してしまった。

 

 クレメンティアは意識を手放す前に、蜘蛛のような生物を見た気がした。

 その蜘蛛からは、小型艇エレナを包むように白い糸状の物体が放たれたような気がした。



【青息吐息】


 どれぐらい意識を失っていたのだろう、クレメンティアは突然意識を取り戻した。

「エレナ。現在の状況を教えて。」

「現在、ケブラス星系外縁部の小惑星に不時着しています。エンジンおよび生命維持装置がダウンし、非常に危険な状態です。自己修復は機能不全に陥っています。クレメンティア・フリッチュの生命維持可能時間は、残り3nhを切りました。

 なお、船体は素材構造不明の糸状の物体に包まれ、付近に蜘蛛型の生物らしき物体が我々を監視しています。」

「それは、捕獲されたと言うこと?」

「はい。捕獲されたという可能性が98%になります。残りの2%は保護の可能性があります。」

「その理由は?」

「捕獲の可能性は、現状、我々は身動きがとれず、の蜘蛛に生殺与奪の権を奪われていること。保護の可能性は、いまだその権利を行使されず、見守られていること。そして、蜘蛛型ナノマシンがクレメンティア・フリッチュを治療し、私を修理していることです。」

「治療って、その未知の生物が?」

「そうです。糸状の構造物で我々を包んだあと、中に大量のナノマシンを放出し、治療と修理を開始しました。現在クレメンティア・フリッチュの治療は完了。私の修理は30%が終了しました。修理完了予想時間はおよそ60nhです。」


「では、捕獲の可能性はどうして高いの?」

「捕獲の可能性が高い理由は、いまだに彼の蜘蛛の目的が不明だからです。」

「分かった。その蜘蛛との意思疎通は?」

「今のところ出来ていません。データベース上にあるあらゆる言語で語りかけていますが、返答がなく、言葉を解せない可能性があります。」

「じゃ、結局私たちの命運はその蜘蛛が握ったままという訳ね。」

「はい。意思の疎通が図れない以上、我々の命運は握られたままです。」

「命は助かったけど、青息吐息であることには変わらないと言うことね。」


 生命維持のタイムリミットはとうに過ぎた。

 しかし、クレメンティアはまだ息があった。いや生きていた。

 エレナとの会話も続けていて、の蜘蛛型生物についての推測も続けていたが、核心につく答えは見つかっていない。

 それでも小型艇エレナの修復は順調で、既に40%の修復率にまで修理されていた。

 

 すると突然10㎝ほどの蜘蛛がクレメンティアの目の前に現れた。

 その蜘蛛は臀部から白い糸を出すと、それを器用にクレメンティアの頭部に向けて伸ばし、自分の身体と繋いだ。

 クレメンティアは驚いて、その糸を外そうとするが、どういう素材で出来ているのか、持って引っ張ることが出来ない。切ろうと思っても刃物はないし、レーザー銃をここで放つわけにはいかない。

 考えあぐねていると、突然頭の中に声が響いてきた。


「私はケオバ星系のクアゴ人である。私に敵対意思はない。貴君と意思疎通する方法を探っていたが、我々には音波による意思疎通器官はないため、貴君の音波感知器官に直接振動を加える方法を試している。

 貴君の発する音波は、微小機械ナノマシンが我々の言語体系に変換しているので、そのまま音波を発してくれれば良い。私の言葉が理解できているか。」

「はい。理解できています。」

 平板な音声が頭の中に響いてきて、クレメンティアは驚いたが、話し声の意図を理解すると、肯定した。

「それは上々。現在私は、貴君の生命維持と宇宙船の修復作業をおこなっている。もう暫く時間がかかるが、そのまま待機して欲しい。」

「それは、ありがとうございます。何とお礼をしたら良いか。」

「礼には及ばない。救援は宇宙を旅する者としての義務である。」


 こうして、ケオバ星系クアゴ人との奇妙な交流が始まった。

 エレナにケオバ星系の情報を確認するが、エレナのデータベースには存在していない。いや、おそらく存在しているのだろうが、特定できないのだ。

 未探査の星系も数多く、異星人の存在が確認されていない星系もあるので、その中にケオバ星系やクアゴ人の情報があるかもしれない。

 しかし、今現在いるこのケブラス星系も、クアゴ人はノスリア星系と呼んでいるらしく、共通情報がないため特定できないのだ。

 ただ、現在エレナとクアゴ人が連携して、情報のすりあわせをおこなっており、いずれ、解明すると思われる。

 

「ところで、クアゴ人は蜘蛛型の生命体なのですか。」

 クレメンティアはずっと疑問に思っていたことを聞いた。

「蜘蛛型とはこの身体の形状のことか。」

 クレメンティアと会話している蜘蛛型は足をバタバタして存在をアピールした。

「はい、そうです。私たちはこの形状を蜘蛛と呼びます。」

 クレメンティアは可愛いと思いながら、肯定する。

「我々クアゴ人は蜘蛛型ではない。貴君とほぼ同じ形状をしている。」

「では、この蜘蛛型もそうですが、外にいる蜘蛛型はなんですか?」

「貴君が蜘蛛と呼ぶこの身体も、船外にいる蜘蛛型も作業用機械である。」

「あれが機械?どう見ても生物にしか見えないけど。」

「生体機械であるため、見た目は生物に見えるが中身は機械である。」


 クアゴ人によれば、この蜘蛛型生体機械は、生体部品で作られてはいるが、生物ではなく機械仕掛けらしい。

 吐き出す糸は非常に有用で、繭を作れば、簡単に密閉した空間を作ることができ、宇宙船と同様の居住空間を構築できる。そのお陰で、いまこの船は生命維持装置がダウンしているにも関わらず、クレメンティアは生存できているのだ。

 青息吐息だったクレメンティアの運命は、漸く明るい兆しが見えた。



【誰も気がついてくれない】


 あれからどれぐらい経っただろうか。けたたましく鳴る警告音でクレメンティアは意識を取り戻した。コックピット内は赤い警告色が明滅しており、耳を覆いたくなるような大音量で警告音が響いていた。


「エレナ、何があったの。クアゴ人の修理はどうなったの。」

「クアゴ人というものが何者かは分かりませんが、現在、ケブラス星系外縁部の小惑星に不時着しています。エンジンおよび生命維持装置がダウンし、非常に危険な状態です。自己修復は機能不全に陥っています。クレメンティア・フリッチュの生命維持可能時間は、残り3nhを切りました。

 なお、船体は素材構造不明の糸状の物体に包まれ、付近に蜘蛛型の生物らしき物体が我々を監視しています。」


 エレナがそう返答してきた。エレナはクアゴ人を知らないという。確かにクアゴ人もケオバ星系も特定はできていなかったが、情報のすりあわせをしていたはず。

 何かがおかしい。


「その蜘蛛型の生物らしきものがクアゴ人の宇宙船よ。私たちを救助してくれているのよ。あなたも情報のすりあわせをおこなっていたはずよ。」

「いえ、そのようなことはございません。この蜘蛛型生物とは一切コミュニケートできていません。あらゆる言語で交信を試みていますが、返答はありません。

 我々はその蜘蛛型生物から放たれた糸状の物体で作られた繭の中に捕獲されています。救助などとんでもありません。ましてや情報のすりあわせなど一切ありません。

 繭内は、先程から正体不明の液体が注入され、液体に触れた部分から徐々に溶け出しています。我々は攻撃を受けています。」

「どうして?さっきクアゴ人と名乗る者が救援しているって、エレナを修理しているってそう言ってたのに。」

 先程とまったく正反対の状況にクレメンティアは戸惑い、理解が追いつかなかった。


「あなたの言うクアゴ人という者との接触は、この小惑星に不時着してから一度もありません。我々は不時着後、正体不明の蜘蛛型生物に捉えられ、その後正体不明の液体が繭内に注入されています。なお、外で我々を監視している蜘蛛型生物からは、電磁波が照射されていますので、あなたは幻覚を見ていた可能性が85%あります。」


 エレナの言葉に、さらにクレメンティアは混乱する。

「あれが幻覚だったというの。確かに糸を繋げられた時、持つことも出来なかったけど。

 それじゃ、先程したクアゴ人との交流はすべて夢、幻覚だったと言うことなのね。やられたわ。

 救援信号は出しているのよね。」

「はい。救援信号は出しておりますが、応答はありません。」

「じゃ、詰んでるのね。エンジンが死んでるのなら、逃げることも出来ないし。」


 クレメンティアは、誰も気がついてくれないこの状況に覚悟を決めるしかなかった。

 結局クアゴ人とは何だったのか。ただの幻覚にしてはリアルだったが、そもそも、ケオバと言う星系も、クアゴと言う人種も、見たことも聞いたこともないのに、なぜそんな名前を知り得たのか、それが理解できなかった。やはり、強制的に見せられたということなのだろう。


「エレナ。調理機能はまだ生きてる?」

「はい。調理機能は稼働します。」

「じゃ、これがラストミール、お食い締めね。カヌギール星系のホメヌ・メヘシをお願いするわ。使う魚は鰺があれば、それで。」

「畏まりました。合成食材ですが、鰺はございます。それでよろしいですか。」

「それでおねがい。」

「少々お待ちください。」


 暫くして、ホメヌ・メヘシがオート調理器から出てきた。ホメヌ・メヘシとは、魚を粘り気が出るまで細かくミンチにし、特産の調味料と薬味で味付けをしたもので、カヌギール星系の名産である。

 クレメンティアは出来上がったそれを受け取り、ラストミールを堪能した。

 このホメヌ・メヘシは、彼女が懇意にしていたメカニックのおやっさん、ナコニヘツ・ピィキドクの好物で、クレメンティアが訪ねると、いつもこのホメヌ・メヘシを出してくれた。

 おやっさんのところには、最新鋭のオート調理器があり、いつも美味い飯を出してくれるのだが、このホメヌ・メヘシだけは、おやっさん自ら油の臭いが染みついた手で調理して、出してくれるのだ。おやっさんは、自分の手で作った方が美味いと言うが、クレメンティアにとっては、味は良いが油臭い料理という認識だった。

 しかし、いざこうして、オート調理器で作ってみると、あの油臭いホメヌ・メヘシのほうが何倍も美味かったと感じ、懐かしくて涙が出てきた。

 

 彼女の頭に去来するのは、これまでの人生だった。

 生まれてからこの方、まともな生き方をしていなかった。この船を手に入れてからは、裏稼業からは一切足を洗い、付き合いも断ったはずだったが、まさかこんなところでやられるとは、予想だにしていなかった。


 エレナに警告音を切ってもらったコックピット内は、やけに静かで、音はしているのだろうが、クレメンティアの耳には物音一つ届いていなかった。

 彼女はラストミールを食べ終わると、いつもの習慣で食器を返却口に戻し、コックピットの操縦席で、誰にも気がついてもらえないまま最後の時を待った。

 生命維持限界予想時間の残り時間は、すでに1nhを切っていた。



<完>



【後書き:2024年9月】


 ご一読いただきありがとうございます。

 2024年9月に提示されたテーマは【蜘蛛の糸】【青息吐息】【誰も気がついてくれない】です。

 このテーマを見た時、「犍陀多カンダタ」しか思い浮かびませんでした。芥川龍之介氏作の「蜘蛛の糸」です。本当にこれをSF作品と結びつけるなんて至難の業で、犍陀多ほどではないけど絶望を感じました。

 思い浮かぶのはファンタジーの内容ばかりで、それこそ、蜘蛛のモンスターに捕らえられた主人公が、青息吐息で、誰にも気づかれずに死んでいく。どう考えても本筋はそれしか浮かびませんでした。

 そこで、蜘蛛のモンスターしか思い浮かばないなら、蜘蛛型の宇宙船に主人公を襲わせようと思いつきました。そして出来上がったのがこの話です。

 ちょっと無理がありましたが、なんとか纏まったかなとおもいます。

 最初はちゃんと助けてあげようかなと思いましたが、最後の「誰も気がついてくれない」というテーマにはどうしてもそぐわないので、結局、助けるのを諦めました。

 お釈迦様のように犍陀多を突き落とすことはしないと思っていたのに、結局突き落としてしまいました。クレメンティア・フリッチュは犍陀多と違って何も悪いことしてないのにも関わらず。いや、足を洗ったとはいえ、彼女の半生は悪に染まっていましたね。


 この作品を、あなたはどう感じましたでしょうか。

 この作品が思索のきっかけになれば幸いです。

 次回は10月になります。よろしくお願いします。

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