「人生で一番悪いことは、絶対に叶わない夢を叶えることだ」

 書きたくもない恋愛小説を書くことでなんとか日々の暮らしをおくる落ちこぼれの冒険小説家・ラウルは、売れっ子作家になりたい願望を捨てきれず、悪魔を召喚してしまう。
 だが現れたバルタザールは自身の野望のため悪魔の座から堕とされてしまった堕悪魔だった。自身の這い上がりのためラウルの魂を神と賭けていたのだ。
 そんな堕悪魔と手を結び、人気作家への道を突き進むラウルは、かつて自分の最愛の妹に似た境遇の読者・アメリーに出会うのだが――?
 売れっ子を夢見た男の栄転と転落、そして再生の物語――というのが、この物語のだいたいのあらすじだ。


 まず最初に面白い!と思ったのは登場人物の性格設定である。 

 主人公・ラウル。手を結んではならないような存在と手を結んでまでして作家としての栄光を手にしようとする男なのだが、ギラついていない。賞金は貯金するし、仕事は全力で頑張るし、始終つまらないくらいに平凡で実直かつ真面目な性格として描かれている。そんな恐らく小説業を知らなければこの世界のステレオタイプな生き方に染まっていただろう彼を執筆に向かわせていたものが、物語を愛していた妹を失ってしまったという過去。書くことへの執念と愛と過去の間で、ラウルは自分を見つめ直すことになる。
 そして相棒だか女房だか、編集者には「居候の」と呼ばれている(この呼び方が最高!)、堕悪魔・バルタザール。悪魔の座から転落したとはいえ悪魔的存在だ。ラウルやラウルの読者の時間を食べたりと悪魔らしいこともたくさんしている。……のだが、プリンだの、ラウルの雑用だので、完全に人間的生活に馴染んでいく。なにせ、だんだんと雑になっていくラウルからの扱いに思い切り慣れてしまっている。バルタザールの適応力がすごい。これもラウルという面白い生き物を見つけてしまったせいで爆発していく好奇心のせいなのだろうか。人間にはない不思議な力を持つバルタザールが人間にこきつかわれているという不思議な図が面白い。最後に彼はある大きな決断をして大きな転身を遂げる。ラウルと同じく自分の進むべき本当の道を最後に見つけるのだ。

 野望に身を投じるような男、邪悪な存在、であるのはずなのにふたりとも憎めない、面白いキャラクター。面白くならないわけがない。

 ところで、話はすこし変わるが、あなたの生活は「忙しい」だろうか?
 まるで奴隷のようなフルタイム労働でパンパンに膨れ上がった毎日、その隙間時間につい開いてしまうスマホ。仕事先からのメール、友人からのレスに慌てて返し、情報収集のため始めたSNSのタイムラインに目がすべる。ネット記事を読んでいたら深夜、慌てて寝て、満員電車で出勤する。食って仕事して寝る。忙しくはないだろうか。
 バルタザールの力もあって、作家として成功を収めたラウルも忙しくなる。頼まれた仕事は小説だろうがコラムだろうが断らず、身を削るように何時間も机に向かうのだ。わきめもふらず執筆に専念する。お金はたまるも使うことも何かを味わうこともできない。だんだんと枯渇していく心の悲鳴に蓋をしてラウルはただ小説を書く機械になって書き続ける。ついには自分の心まで裏切ってとある物語まで出版に手を出す――のだが、ここまでくると痛々しくて見ていられない。
 現代社会を生きる我々も、つい同じような「忙しさ」の奴隷に自らなりさがることがある。というより自分自身も奴隷のひとり、体を壊して退職した人間のひとりだ。
 仕事をもらえるようになったからクビになったら怖い。バルタザールのおかげで売れているとラウルは自分の筆を信じられない。自分の本当の実力を知っている。だからこそ、怖くて筆休みができない。いつ、転落するのかわからないからだ。
 そうまでして人気作家の座に居座り続けながら、発表するのは濃度の薄くなった小説ばかりになってくる。なんだか、自分のことを見ているようで、もう、やめてくれ、だ。
 この多忙、自分が作ってしまった忙しさの代償が、物語最終に語られるのだが、これは、とても大きく胸をえぐる。いつのまにかラウルは盲目になっていた。それを網膜を焼く強烈な光《現実》が襲ってくる。彼に、見よ、と光は訴える。お前が忙しさにかまけて、何を見てこなかったのか、すべて照らし出される。
 その強烈な悪夢のような苦しみのなかで、ラウルは、そしてバルタザールは、何を見つけるのか。「人生で一番悪いことは、絶対に叶わない夢を叶えることだ」と作中の台詞がある。夢とは何だろう。これが「叶ったらいいのに」と抱く夢のその先には何が隠されていたのだろう。その夢を産んだおおもと、自分の本当の気持ちこそ、大切なものだったのではないか。


 当作品は堕悪魔だの美麗な死神だの(このキャラもまたいい!)と出て来るものはファンタジー、虚構のものたちばかりだ。だが、現実にはいない嘘《フィクション》の物語からは「自分を自ら失ってしまった痛み」は、本物のように滲み出してくる。
 身近にそんなやついないので堕悪魔って何さ?え?死神?どういう設定なの?なにそれ?と戸惑いながらページをめくっていたが、こういうのもいいなと思った。今ここじゃないどこかに思いをはせられる。
 ああ、そうか病室の内側で呼吸していたあの子たちも、ここじゃないどこかを探していたのかもしれない。それは、うまく生きられず不器用に必死で一歩一歩歩くしかなかったラウルも同じだ。





 と、ここまで書いて付け足しというか蛇足になりそうな感想をひとつ。
 もし誰かが「脱稿!」と言ったら、その誰かに向かってぼくはバルタザールの真似をしてみたい。「脱肛?」と返したくなってしまった(笑)。