物語作家ラウル・ドルレアクの嘘

剣城かえで

第1話『悪魔と神の賭け事』

 ――天が、遠い。

 身体中が痛い。天から落とされた悪魔は己が翼を形作っていた黒い羽がひらひらと空の高いところから舞い散ってくるのを見つめていた。悪魔は翼を落とされた。地よりも深い、奈落の深淵へと堕とされた。自分の血で出来た生温かく鉄臭い沼に横たわって、遠い空をぼんやりと仰ぐ。悪魔の王の怒りを買って、羽を切られて奈落へと落とされたのである。

 乾いた笑いが裂けた唇の端から漏れる。生血に濡れた右手をやおら掲げて、腕を伝って流れてくる血をただ眺める。流れていく、生と死。

 悪魔の血は青かった。それでも流れる冷たい命の息吹を感じていた。

 自分はまだ、生きている。

 黒い羽を落とされた、飛べなくなった悪魔は傷だらけの身体を横たえて己を嗤い、嘆いた。地に堕ちた天使ならばいくらでもいることであろうが、堕ちた悪魔なんてみじめがすぎる。

 嘆いている悪魔ほどみじめなものなんて、きっとこの世にないであろう。また自嘲がこぼれる。

 身体の傷はまだまだ痛むが、悪魔は血のついた口元をにやりと歪めた。返り咲く用意と算段は出来ている。翼を切られて打ちのめされたとしても、ただで起き上がるつもりなど毛頭ない。

 矮小で、図体だけがやたらとでかい、くだらない自尊心が酷く邪魔であったが、そんなものはねじ伏せて、立ち上がろうではないか。悪魔は傷ついた身体を、むくりと上半身を起こして、荒い息をついた。噛みしめた牙と牙の間から、苦しげにこもった熱い吐息が漏れる。

 いくら時間がかかろうと、この奈落を脱し、誰に頭を下げへりくだることになろうとも、翼を取り戻してみせる。悪魔は誓う。翼がなければ悪魔の威厳はないに等しく、生きることに支障はないが、みじめな身体を引きずり晒して生きながらえるつもりなどない。

 立ち上がって、地を振り仰ぐ。遠い遠い、奈落の切れ目から、空が細く見える。

 身体の傷はそのうち治る。悪魔はよろよろと絶壁に近づくと爪の剥れた指を崖の隙間やくぼみに掛けて、ゆっくりと地上へ登っていったのであった。これから神に、媚を売りに行くのだ。

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