最終話 この世界で

 光の奔流が収まると、情景の世界は消えて薄暗い遺跡に戻っていた。

 重力を覚えると同時に膝を突き、明滅する視界の中で必死に呼吸を整える。


『大丈夫ですか』


 脳裏に響くリッカの声へ頷きを返しつつ、震える掌上へ視線を落とす。連理によって紡がれた星の秘跡は解除され、肉体的にも霊的にも甚大な負荷を覚える。


 できることは全てやったつもりだ。

 後は先生がどう反応するか――と、そこでようやく彼の姿が見えないことに気付く。同時、背後から響く着地音と聖霊術の気配。

  振り返った直後、鋭利なものが腹部を貫く異音と、鮮血が飛沫を上げる。


「先生……? どう……して……」


 おもむろに振り返った先生は微笑むと、口端から血を零しながら膝を突いた。

 濡れた音を立てながら、彼の腹部を貫いたマイナデスの触手が引き抜かれていく。


 咄嗟にその身体を受け止めながらマイナデスへ視線を向けると、それは麻痺したように全身を硬直させていた。見れば先生が身体を貫かれながら打ち返した燔祭の楔が、虚殻の動きを抑え込んでいだ。

 しかし――それも長くは保たないだろう。


「先生……ッ!! どうして……庇ったりなんか――」


 縋るように名を呼ぶと、彼は水音の混じる呼吸と共に言葉を絞り出していく。


「……娘が……生きる世界には……」


 焦点の合わない瞳を揺らし、探るようにこちらの胸元に手を添えながら続ける。


「貴方たちのような人が……居て欲しい……」


 直後、胸に走る鋭い衝撃。

 視線を落とすと、そこには燔祭の楔が打ち込まれていた。


 彼は腹部の傷に栄光ホドの治癒を施しながら、痛々し気に身体を起こす。

 いくら聖霊術とは言え致命傷を一瞬で癒す力はないはずだ。

 彼を止めようとした腕が――しかし動かない。

 それが打ち込まれた使命だと理解すると同時、先生の意図にも気付いてしまった。


「先生!! 駄目だ――」


 そこで彼は懐から取り出した手帳こちらの手に握らせると、


「もし……娘が目覚めたら……どうか……」


 そう言って眉尻を下げながら微笑みを零し、踵を返しつつ言葉を続ける。


「どうか……あの子と……友達になってあげて……ください」


 離れていく背中へ呼びかけるが、彼は振り返らずにマイナデスへ近づいていく。


「私にできるのは……これが限界です……」


 彼はそう言って虚殻を優しく抱きしめると、その身体から淡い光が溢れ出す。


「どうか……せめて安らかに……」


 やがて彼の身体が糸のように解けると、玉響となって虚殻の中に溶けていった。

 直後、御柱の根が輝きを放つと、繭を作るようにマイナデスを包み込んでいく。

 

 やがて光が収まると――

 そこには根で編まれた揺り篭が、我が子を抱きしめるように揺れていた。


――――

――


 車輪が地を蹴り、心地よい揺れが届く度に、積まれた木材が音を立てる。眩しさに目を細めると、揺れる帆布の隙間から、日の出と共に遠ざかる心御柱が見えた。


 第二の故郷――里からの旅立ちは、遺跡での出来事から三日後の早朝だった。


 あの事件の後、俺たちは遺跡から教会の地下に繋がる隠し通路と、ナザリオさんの研究室らしき場所を発見したが、しかしそこにあった研究の痕跡は既に処分されていた。恐らくは研究室の存在が教会に知られたとき、リッカに危害が及ぶことを避けるための計らいだろう。

 研究の重要な部分は全て手帳に書き写されており、その最後のページには星辰学院の術師採用試験を受けるための推薦状と共に、先生の筆跡でこう記されていた。


『ナザリオさんには、真の歴史と遺跡の知識を授けた協力者がいます。お二人が身体を取り戻す方法は、その人物が知っているはずです。世界の真実を望むなら、自ずと相見えるでしょう』


 それが、俺たちに向けた道標であることは疑いようもなかった。

 そして悩んだ末、彼の言葉を頼りに学院へ向かうため、俺たちはこうして行商の馬車に乗せて貰っている。

 行商の来訪が月一だったため、シンシアさんを残しての二人旅となった。


『里のことは任せて。必ず追いかけるから』


 それがシンシアさんからの見送りの言葉だった。

 里が落ち着きを取り戻すには、やはりもう少し時間が要るらしい。

 唯一の医者がいなくなったこともあるが、それ以上に先生の人柄は皆の精神的支柱になっていたようだ。


 先生は虚殻との戦いで殉職したことになっており、遺跡で見聞きしたことのほとんどは住民たちには伏せられている。

 真実を知っているのは遺跡にいたメンバーの他には里長だけだ。


 里長は事実を黙って受け止めると、俺たちの背を押してくれた。

 来月にシンシアさんが学院へ戻れば、里は実質彼ひとりで治めることになる。その苦労は計り知れないし、何もできない自分に忸怩たる思いが募る。


『気になりますか?』


 知らないうちに拳に力が入っていたらしく、見かねたリッカが声をかけてくる。


「里長は何も言わなかったけど、俺たちよりずっと長い付き合いだった先生があんなことになって、きっと……本当は全部投げ出したいくらい辛いはずなんだ。それなのに……」


 里長の噛み締めるような表情を思い出しながらそう言うと、


『……里長は、どこかで気付いていたのではないでしょうか』


 ややあってからリッカは独り言ちるようにそう呟いた。


「気付いていたって……先生がやろうとしていたことを――か……?」

『そこまで具体的ではないでしょうが……仰る通り、お二人は長い付き合いです。先生が抱えていた苦悩や、戦うと決めたら二度と戻らないような、そんな密かな覚悟を察していた。だからこそ全てを聞いたとき、里長は何も言わなかったのではないでしょうか』


 リッカはそう言って、淡い光を宿す御柱を見上げると――


『ですから……大丈夫です。里長はきっと理解しています。先生の最後が、悲しみだけではなかったことを。それに先生の想いは今もこうして、繋がっているのですから』


 リッカは芽生えた心を優しく抱きしめるようにそう呟いた。

 彼女の開花聖痕は五枚。取り戻した悲しみを胸に、リッカもまた進み続けるだろう。そんな彼女に俺はひとつ、隠し事をしている。


 先生から受け取った手帳には日本語で、俺だけに読めるように――こう追記されていた。


『リッカさんが魂の器足りえているのは、感情に空白が存在するためです。彼女が全ての感情を取り戻したとき、居場所を失った貴方は――消滅するでしょう』


 先生がどこまで見越してこの文章を残したかは分からない。

 結局、彼が俺たちの前で全てを語ることはなかった。

 しかし、言いたいことは伝わった気がする。


 これを知った上で、二人の路をどう進むか――考えろ。

 それが最後の試験をパスした自分への、最後の宿題ということだろう。


 身体のことや教会のこと、リッカと歩む未来に不安が無いと言えば嘘になる。しかしそれ以上に、二人ならば乗り越えていける気がする。だからきっと、大丈夫だ。


 ふと、朝焼けと陽気にあてられて欠伸が零れる。

 そう言えば昨夜も遅くまでリッカの家を片付けていて、あまり眠れていなかった。


『目的地まで二日かかります。慣れない馬車での長旅ですし、眠れるときに寝ておいた方が良いと思いますが……辛ければ私が代わりましょうか?』


 リッカの気遣いに頭を振ると、


「俺が悪夢を見ていたのは、多分……心のどこかで、この世界を受け入れられていなかったんだと思う。全部夢で、いつか消えてなくなってしまうんじゃないかって」


 そう言って掌上へ視線を落とし、感触を確かめるように拳を作りながら続ける。


「けど、もう大丈夫。俺はこの世界に生きている。リッカたちと共に、生きていくんだ。父さんや母さんの思い出と繋がっている、この世界で」


 そのまま微かな微睡みに目を伏せると、心の中でリッカの気配が優しく揺れる。

 だから、もう――怖くはなかった。


「お休み――リッカ」

『……はい。お休みなさい――ナツさん』


 ――夢を見た。

 父さんや母さんと他愛のない話をするだけの、何の変哲もない――幸せな夢を。

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