第36話 星
マイナデスに飲み込まれたナツを見上げながら、しかし胸の内に燻るものを覚えていた。独りでに起動したメッセージ、そこで感じた未知の気配――だが今はどちらも沈黙している。
「これで……ようやく救われる――」
しかしもう詮無きことだ。
そう自分に言い聞かせながら、モニターからマイナデスへ視線を戻した次の瞬間、違和感を覚える。
虚殻の身体が、仄かな光を宿していた。
いや、マイナデスではない。あの光は、虚殻の中から……!?
予感が確信に変わると同時、マイナデスの身体が内側から爆発する。まき散らされる肉塊すら霞むほどの眩い爆光が、薄暗い広間を朝焼けのように照らした。
その中心にいた何かが音もなく床へ降り立つと、徐々に光の奔流が収束していく。
そこに立つ人物の姿に、戸惑いを覚える。
顔立ちはナツだが、腰まで伸びた長髪は黒と白のツートンになっており、それ自体が発光しているような仄かな灯りを帯びている。
その姿に脳裏を過ったのは、以前ナツが語っていたカササギ。
離れた二人を繋ぐ、星鳥の架け橋。
その姿に見とれるように、思わず言葉が零れる。
「根源と終天が至る路は……星。希望の――
おもむろに開かれた彼の瞳には、六枚の開花聖痕が変形して生まれた六芒星が浮かび、根源の紫と終天の緑が混ざって生まれた
ナツが――いや、二人が――天を掴むように腕を掲げながら奏上する。
「
二人の路を繋ぎ、互いに歩み寄ることで神秘へ至る――
「――それが、貴方たちの選んだ路なのですね」
その言葉が届いたかは分からないが、彼はこちらを見つめ返しながら言葉を紡ぐ。
「星の
掌上へ集束した光が拡散すると、波紋のように広がりながら周囲の景色を塗り替えていく。
――――
気付くと私は星空の下、小さな一軒家の庭に立っていた。
「ここは……」
――忘れもしない。
それは十五年前に滅んだはずの、娘と暮らした王都の家だった。
「これは……一体……」
その呟きに、正面から相対するナツが、夜空を仰ぎながら言葉を作る。
「俺たちの秘跡は、心を繋ぐ力。ここは俺たち三人の心が紡いだ希望の情景です」
情景――心に描く風景。
彼の言う通り、ここが現実世界でないことは間違いない。だとすれば幻覚の類ということになるが、それだと術者自身が目の前にいる理由が分からない。
「悲嘆の
「ここは肉体から切り離された世界――白昼夢のようなものです。ここでは身体能力や霊力は意味を持たず、術は使えてもそこに聖霊は介在しません。ここではただひとつ、想いの強さだけが力となる。それがこの世界の
なるほど、連理の枝を有する彼らしい術だ。
相手と自分の心を繋ぎ、心象世界へ連れ込むことで肉体的・霊的要因を排除する。
一見無意味に見えるが、つまりこれは――
「――相手を強制的に対等に持ち込む術ということですか」
しかし彼は黙って視線を返すだけ――つまり後は自分で確かめろということか。
「それでは、ここからは純粋な闘争……いえ、意地の張り合いと言うべきでしょうか」
そう言って背中に意識を集中させると、硬質な音を響かせながら紅い氷の翼が生える。
「どちらの心が先に折れるか……決着をつけましょう」
左右六対の翼が蜘蛛の脚のように前傾し、鈍く光る穂先に獲物の姿を捉えた。
「氷獄の
両翼が爪のように鋭く空を掻くと、巻き起こされた暴風と共に氷の刃が射出される。
半径数十メートル――紅い雨のように無差別な致死を振りまいた。
地形を変えるほどの暴力が降り注ぎ、爆心地から血煙が立ち込めると、それを振り払うように光が生まれた。
「
そう呟いた彼は、先ほどまでと寸分違わぬ位置に立っていた。
無残に抉られた地面の中心――彼の周囲だけ何事もなかったように青々とした芝生が揺らいでいる。
見れば彼の背中から地面に向かって、光の翼のようなものが伸びていた。
それは根源が齎す第四の相転移――プラズマによって形成された彗星の尾――イオンテイルの羽織だ。
彼が浅く腰を落とすと、揺らいでいた羽織が意思を持ったように固定され、その輝きを増していく。周囲の蒸気は一秒もかからず臨界点に達し――爆光した。
閃光弾のようにその姿が消えると同時、背後から地面を削る音が響く。
振り返ると同時に獄氷の盾を展開すると、紅い結晶越しにナツと視線が交差した。
こちらへ向けて掲げられた掌上に、光の渦が集束していく。先ほどの瞬間移動は、宇宙船の推進機としても用いられるプラズマエンジンと同じ原理だ。
プラズマの翼は言わば固定された雷のようなもの。
それが攻撃に用いられれば、結果は言わずもがなだ。
「――
その言葉と共に放たれたプラズマが盾に直撃し、爆光と暴風が巻き起こる。
何とか防ぐことは成功したものの、背中を冷や汗が伝う。
地獄の最下層――
しかし、慄く本能とは裏腹に冷静な思考が語りかけてくる。
これならば勝てる――と。
確かに彼らの秘跡は強力だ。しかし彼が言ったように、ここは情景の世界であり、これは心と心のぶつかり合い。どちらの心が先に折れるかの勝負だとすれば――
心を壊すことこそ、
「
瞬間、景色が歪むほどの霊響が響き渡り、ナツが頭を押さえながら呻きを漏らす。
悪魔の瞳から放たれた絶叫が悪夢を呼び、対象に死への欲動を植え付ける。
精神世界を作り出す星の秘跡は、物理的な力に対しては無類の強さを誇る。
しかし逆に精神へ干渉する悪魔の秘跡とは致命的に相性が悪い。
悪魔との契約の代償として身体が内側から破壊され、溢れた血の涙に視界を紅く染めながら、悪魔のような笑みを浮かべた次の瞬間、
「……同じです」
ナツが呻き交じりに言葉を零した。
「悪魔に身を堕としてでも大切な人を守りたいという気持ち。俺も……同じなんです」
「……肯定するというのですか?」
眉根を寄せながらそう言うと、彼は頭を振りながら言葉を作る。
「先生の考えには、賛同できません。けど、皆同じなんです。偶々先生がそうだっただけで、人が違えば皆同じ考えを持ちうる。きっと誰もが……悪魔になれる」
目尻に涙を溜め、痛みを堪えるように歯を食いしばりながら言葉を続ける。
「だとすればこの世に悪魔なんていなくて、先生も……どこにでもいるような、家族を大切に想うだけの……ただの人間なんです」
「だったら……どうだと言うのですか」
脳裏を木霊するその言葉を振り払うように、吐き捨てるように言葉を続ける。
「そんなことを聞かされたところで、今更何の意味もない」
「……分かっています。俺が先生のためにできることなんて、何ひとつない」
彼の身体から悪夢を照らすような光が溢れると、真っ直ぐに視線を返しながら言葉を続ける。
「先生のために泣けるのは、先生だけです」
「そんなものは……不要だ!!」
かなぐり捨てるように叫びながら、激情に任せて術を繰り出す。
光と闇の奔流がぶつかり合い、相殺されると、示し合わせたように接近戦に移行する。
「私は、罰を受けなくてはならない。これは贖罪――魂など悪魔にくれてやる」
氷翼が鎌のように空を薙ぎ、放たれた氷刃を光翼が撃ち落とす。
徐々に加速する衝突の連続が豪雨のような音を響かせ、何も聞こえないはずの戦場で、微かな声を聴いた。
――お父さま。
これは幻聴、いや……記憶だ。
頭の中でずっと響いていたはずなのに、どこか懐かしさを覚えた。
疲労はないのに息が切れ、鉛を呑んだような重苦しい痛みが胸を走る。
「何故……娘が犠牲にならなければならなかった」
――お父さま、ありがとうございます。共に逃げようと言ってくれて、嬉しかった。
「何故……強引にでもあの子を連れて逃げなかった!」
――けど、わたし……巫女の使命を果たします。生まれてきたことを後悔したくないから。
「何故……愛していると……生きていて欲しいと伝えてやれなかった!!」
――わたし……お父さまの子になれて、本当に幸せでした。
「何故……」
そこでふと、血で塗れていたはずの視界が澄んでいることに気付く。
無意識に頬を拭うが、濡れた手の甲にも色は付かない。
そして同時に、自分が顔を歪めて、感情を露にしていることに気付いた。
その瞬間――合点がいく。
ここは――心の世界。
聖霊によって打たれた楔も、この場所では意味を成さない。
失くした心を繋げること。
それが――星の秘跡の本懐だ。
「先生が自分を罰する気持ちも、償い難い罪があることも……分かります」
彼はそう呟くと、痛みを堪えるように眉根を寄せながら言葉を続ける。
「それでも俺は、先生にも……救われて欲しい」
――だからお父さまにも、幸せになって欲しいです。
誰かのために涙を流すその姿が、言葉が――どうしようもなく娘と重なってしまう。その瞬間、心が、どうしようもなく理解してしまった。
「本当に……似ていますね」
そう呟くと、思い出せないほど久しぶりに、自然と笑みが零れた。
心の中に生まれた想い。ひとつの決断と共に言葉を続ける。
「これで……終わりにしましょう」
掲げた腕に意識を集中すると、周囲の闇が意思を持ったように収束し、掌上に漆黒の渦が現われる。それは凝縮された嵐のような狂風と雷を生み、全てを屠る破壊を孕んでいた。
これは聖霊術と呼べるものではなく、故に名前も存在しない。
ただ溢れ出す怒りや悲しみをぶつけるだけの――人の力だ。
それに応じるようにナツが浅く腰を落とすと、引き絞られた掌上に光が生まれる。
闇夜を照らすほど強く、しかし心安らぐような優しい極光が、幽玄の翼をはためかせる。
それは水素の結合――核融合反応によって生まれた星の光。
宇宙という広大無辺の闇を渡り、人々の頭上に
互いの視線が交差し、交わされる声なき言葉。
直後、同時に地を蹴る。
「おおおおおおおおぉぉぉぉ――ッ!!」
「はあああああああぁぁぁぁ――ッ!!」
咆哮と共にふたつの力が激突し、溢れ出した陰陽の爆光が世界を塗り替えていく。
感覚が溶けるような光の洪水に飲まれながら、小さくて暖かい手に包まれた気がした。
「……ああ。ずっとそこに。居てくれたのですね」
亡くしたはずの心をそっと抱き寄せて、午睡のように穏やかな微睡みに身を委ねる。
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