第4話 さあ、ここからだ

 聖女・聖人らが集まる小神殿。

 レナにも同行してもらって会議場に足を踏み入れれば、予備役を含めた聖女・聖人、祭司長様、そして神殿長も含めた神官たちがずらりと揃っていた。

 現役の5人、俺を含めた予備役の3人。本来であればモニカ嬢もこの場にいるはずなんだが、いないな。好都合ではあるんだが。

 俺の視線の意図に気づいたのか、小神殿長が苦笑いを浮かべた。


「聖女モニカは、ハインリヒ王太子殿下から迎えが来ましてな。先に向かわれました」

「仰々しい護衛騎士の数だったなぁ」


 引退間近の予備役聖人であるリンデルブルグ卿が、自身の口髭を撫でながら思い出したように呟くがその表情は冷めきっている。貴族であってもカラカラと笑う気の良いおっちゃんポジションのリンデルブルグ卿のこんな表情を引き出すモニカ嬢とハインリヒってある意味すげぇな。


「次期王太子妃ルイーゼ様からのご依頼で、わたくしが護衛団の総責任者として同行いたします。護衛は第2騎士団、および我がフィッシャー侯爵家の騎士団が担当いたしますわ」

「よろしくお願いいたしますね、フィッシャー侯爵」


 本当ならフィッシャー騎士団は不要なんだが、近衛騎士団が引っこ抜かれたからな。どこぞのクソガキが予定外な行動ばかりするからしわ寄せが来てる状態だ。今朝早く、近衛騎士団が使えないと第2騎士団の伝令が顔を真っ青にして伝えに来て、俺以上にレナがブチギレて王宮に乗り込もうとしたのでルルと俺でレナを止めたのは記憶に新しい。急遽フィッシャー騎士団を編成し、第2騎士団と大急ぎで調整して今に至るわけだ。

 今頃、ルルは先に王宮に行って感謝祭の最終チェックなどをしている頃だろう。

 ごほん、と咳払いをした神殿長に視線が集まった。神殿長は俺を見て、軽く頷いてみせる。


「すべては手はず通りに」

「ありがとうございます。申し訳ない、あなたたちにも手伝ってもらうことになって」

「とんでもございません。……彼女が戻ってこれるのなら、わたくしたちは全力でお手伝いしますわ」


 にこりとそう微笑んだユンガー嬢の声は震えている。

 ユンガー嬢は本物のモニカ嬢と特に仲が良かったからな。彼女の現状を知って心苦しかっただろう。

 この場にいる全員が、モニカ嬢の中に本物のモニカ嬢の魂があることを知っている。そして俺がどういう手順で解放するのかも。


「王太子殿下の暴走とモニカ嬢の件だけで終われば良いのですが……」


 そうため息を吐いた神殿長に、祭司長様も頷く。


「そうであることを願いましょう。王弟妃殿下のところには、私が参ります」

「お願いいたします、祭司長様。私ども神官は式典で身動きがあまり取れませぬゆえ」

「わたくしも参ります。既婚者で子どももいるわたくしであれば、身重の女性をサポートする名目でわたくしも近づけましょう」


 予備役のブリジッテ夫人の申し出をありがたく受けることにした。

 普段勢揃いすることがほとんどない聖女・聖人らが一同に集ったこの場で全員が目的を共有する。まずは王弟妃殿下の保護。そして、魅了魔道具を使われたあとに混乱するであろう場を収めるために聖女・聖人一同が揃って沈静化を図る。

 この国での聖女・聖人の地位は高いからな。王族がまともに機能していないと推定される状況下では彼らの立場はあの場の誰よりも重いだろう。「聖女・聖人がそう言うのなら」と納得しやすい。


「―― では、参りましょうか。皆に創世神エレヴェド、山の神ヴノールドの加護がありますよう」


 神殿長の一言に、全員が頷いて移動し始める。

 俺も移動しようと一歩足を出して、ふと気になって後ろを振り返った。視界に入るのはエレヴェド様とヴノールド様を象ったとされる銅像。

 神々があの場で介入してくることはないと思う。だから何があっても助けを求めることはできないかもしれない。いくら俺がフォティアルド様から加護をもらっているとはいえ、たかが人間ひとりのために動くことはないだろう。

 それでも、と思う。


「ヴォルフェール様?」

「……ああ、今行く」


 どうか、家族やこの事態の収拾のため尽力してくれた皆が笑っていける未来となれるよう神々に祈る。



 ◇◇



 普段王宮に集まるのは当主もしくは次期当主のみとなるので、そのパートナーと一緒ともなると場は一気に華やかになる。女性も当主を継げるとはいえ、未だ男性が多いからな。

 ちなみに、爵位を譲った先代当主などは招待されない限りはこういった場に参加することはない。今年に限って言えば自領での祭りを主催したりする。高位貴族で割り当てられている職務が多い家門や、当主夫妻の両親が他界している家門の領地では親戚や代官が代行しており、レーマン領やゾンター領はまさにそれ。親戚がガーガーうるさくなる時期ではあるが、レナと結婚してからはだいぶ大人しくなった気がするな。


「レナ・フィッシャー侯爵、ならびに聖人ヴォルフガング・ゾンター伯爵のご入場!!」


 衛兵の高らかな宣言に意識を戻し、レナとともにホール内に足を踏み入れた。正装であるマントを翻し、レナは優雅にドレスの裾をひらめかせて歩く。

 周囲から感嘆の息とともに「やはりお美しい」とざわめきが聞こえるが、まあそうだよな。レナは美人だし。子どもをひとり生んでいるとは思えないよ。


 レナと今後について小声で打ち合わせしている最中、ペベルの入場アナウンスが響く。と、同時に会場が大きくどよめいた。なんだとそちらに視線を向けて唖然とする。

 前にも話したかもしれないが、獣人といえば人の耳の代わりに獣耳、そして尻尾がある種族は尻尾がある形態を持つ者のことを指す。ハンスが良い例だな。

 だから、服を着た二足歩行の動物の狐の顔を持った獣人の登場にざわめくのも当然だろう。……ってなんであいつ変身解いてきてるんだ!?


 俺たちを見つけたらしいグレタ夫人がペベルに何か話しかける。ピン、と耳が立ったペベルは俺たちの方に顔を向けるとニコニコと嬉しそうに笑いながらこちらに寄ってきた。尻尾がブンブン揺れている。

 レナも扇子で口元を隠して動揺を隠しているようだった。


「やあやあヴォルター! それにフィッシャー卿もごきげんよう!」

「……ご、きげんようベルント卿。その姿についてヴォルフェール様からお話は聞いておりましたが、初めて拝見いたしました」

「ああ、これ? ふふ、これだけ耳目を集められたのなら大成功だね。ヴォルターの驚いた顔も見られたし」

「ペベル、お前なにしてんだよ。お前、この姿で人前に出るのは嫌だって散々言ってたじゃねぇか!」

「うん、嫌だね。でもこの後のことを考えたら、このぐらいのインパクトがないとね」


 この後? この後って、と考えを巡らせてハッとする。

 この後入場するのはレーマン公爵家、シュルツ公爵家。そして最後に王族となっているが、王族の婚約者は国王王妃両陛下や来賓の方々の前に婚約者と一緒に入場することになっている。順番を考えれば、シュルツ公爵家の次がルルとハインリヒだ。マリア第一王女殿下やマティアス第二王子殿下、レベッカ第二王女殿下らは成人前のためこの夜会に参加しないから。

 ひとりで入場することになるルルへの周囲の視線は、いかほどか。次期王太子妃だから出ざるを得ないが、成人前の娘だぞ。15、6歳の娘にかけていいプレッシャーじゃない。

 ―― そんなルルを気遣ってくれたのか、ペベルは。自分の身を晒してまで。


「……俺はお前に何を返せばいいんだ」

「ん? 生涯私の親友であってくれればいいよ。あ、あとうちの領地が危なかったら手助けしてくれると嬉しいね!」


 けらりと笑いながらそう言ってくれたペベルに不覚にも泣きそうになった。ちくしょう。


「落ち着いたら一緒にダンジョン攻略でもしようよ。ゴルドヴィア平原のダンジョンとかどうだい? 君を私の背中に乗せて走ってみるのも一興かな」

「ははは、楽しそうだなそれ」


「マルクス・レーマン公爵、ならびにフィゲニア公国よりアリエル・エヒト侯爵令嬢のご入場!!」


 マルクスと婚約者であるアリエル嬢が入場した。ガタイがいいマルクスにふっくらとした体型のアリエル嬢の組み合わせに眉を潜める者もいるが、よく見ろ。ふたりの表情が柔らかい。

 アリエル嬢をエスコートしながら、声をかけてきた数人の貴族紳士たちと会話を交わしつつ俺たちの方に歩み寄ってきたふたり。アリエル嬢がやや緊張を含んだ笑顔でカーテシーをした。


「お久しぶり、です。おにいさま、おねえさま。アリエルです」

『上手になりましたね、アリエル嬢』

『本当ですか? 発音が難しくて、なかなか……マルクス様のおかげですの』


 公国語で話しかければ、ホッとした様子で表情が和らいだ。愛嬌のある笑顔で、見ているこちらを和ませてくれる。現に一緒にいるレナも柔らかい表情を浮かべていた。


『文章でしたらそれなりに書けますのに』

『僕は文章の方が苦手だなぁ。アリエル嬢に添削してもらってる状態ですし』

『お前、元から文章関係は苦手だったよな。書類でも何度か突っ返した記憶があるぞ』

『ちょっと兄上、それアリエル嬢の前で言わないでくださいよ!』


 そんな和やかな会話を進めていると、シュルツ公爵夫妻の入場アナウンスが入る。

 ペベルの容姿に関するざわめきは俺たちのいる場所では未だ収まらない。グレタ夫人がぴったりとペベルに寄り添っているのは彼を守るためだろうか。普段よりも耳が良くなっているはずだから、きっと全部聞こえてんだろうなぁ。


「ペベル」

「うん?」

「ありがとうな」

「私が好きでやってることさ」


「ルイーゼ・ゾンター伯爵令嬢のご入場!!」


 一気に場のざわめきが消えた。

 静かな会場の中に、コツコツとヒールの音が響く。緩やかにカールしたマロンブラウンの髪が揺れ、ロイヤルブルーのドレスに刺繍された金糸が場内の明かりに反射して煌めいた。しゃんと姿勢を伸ばして歩く少女の姿は、とても15、6歳には思えないだろう。


「王太子殿下はどうされた」

「おひとりだなんて」

「まさか、あの噂は本当だと?」

「まあ、なんと嘆かわしい」

「ルイーゼ様はご立派ですのに、ねぇ」

「いや、王太子殿下をサポートしきれぬ時点で」


 周囲からひそひそと囁き声が増していく。そんな中、ルルは表情を崩さず歩いている。

 ポンと背中を叩かれて振り返れば、マルクスが頷いていた。ここに連れてこいということだろう。ちょうど外国から来たアリエル嬢もいるし、五大公侯のうち三家がここに揃っている。ここはルルの味方だと見せつけるにはちょうど良い。

 俺はひとつ深呼吸をして、それから足を踏み出した。マントを翻しながら歩けば周囲の視線が俺の方に向く。俺に気づいたルルが、一瞬嬉しそうな様子を見せたがすぐに表情を引き締めた。


「おと、ゾンター伯爵」

「ご機嫌麗しゅう。ご紹介したい方がいらっしゃいます。お手をとっていただいても?」

「ふふ、はい。よろしくお願いいたします」


 俺に敬語を使われたのがむず痒かったのか、思わずルルは笑って俺の差し出した手にそっと手を重ねた。こんな状況じゃなきゃ、ルルのエスコートに両手を挙げて歓喜してたんだけどなぁ。

 元いた場所にルルを連れて行くと、ルルはペベルの姿を見て大きく目を見開いた。それから咄嗟に扇子を開いて口元を隠したが、俺の位置ではぽかんと口を開けているのが見えている。そんなルルの様子にペベルはふふ、と笑みを零すと優雅にボウ・アンド・スクレープをしてみせた。はっと我に返ったルルも、扇子を閉じてカーテシーをする。


「ごきげんよう、ベルント公爵」

「ごきげんよう、ルイーゼ嬢。驚かせてしまったようだね」

「私でも一度しか見せていただけなかったお姿を、この場で拝見できるとは思いませんでしたから」

「獣人が多いフィゲニア公国では私のような姿を持つ者もいるそうだよ。レーマン卿」

「ルイーゼ、改めて紹介しよう。僕の婚約者のアリエル・リヒト侯爵令嬢だ」

「アリエルでございます。いつもお手紙、ありがとうございます」

「こちらこそ、いつも素敵なお手紙をありがとうございます」


 穏やかに会話が始まると、周囲の雰囲気も和らいでいく。

 いくつかの家門から冷ややかな視線を向けられているが、こういうとき顔をすぐ覚えられないのは面倒だな。いくら腕輪の外部記憶装置があるとはいえ、パッと思い出せるかどうかはまた別の話だし。

 キーワードがないと装置から記憶を引き出せないんだよなぁ。そのキーワードがなければ膨大な記録の中から引き出さなければいけないから、記録され続けているものの使い勝手が良いとは言えない。

 そして、ペベルの策略は功を奏していた。ルルへ視線を向ければ、自然とペベルの姿が目に入る。やはり滅多にいない、獣に近い獣人に人々の目は吸い寄せられていく。

 ……それがなんとなく嫌で、周囲に笑顔を振りまいたら頬を染めたり照れくさそうに顔を逸らす人々が。うーん、俺自身は納得していないが、まあ使えるもんは使おう。


「……揉めてるようだねぇ」


 女性陣が和やかに会話を続けている最中、置いてけぼりの男同士で会話をしていたところ、ぼそりとペベルが呟いた。ピクピクと耳が動いているから、おそらく常人では聞こえない会話が聞こえているのだろう。

 ペベルの視線の先を追う。今回使用されている大ホールの出入り口に設置されている大扉は、全員が入場するまで開きっぱなしだ。つまり、そこで何かがあれば近くにいる者たちからは見えているということで。

 残念ながら俺たちの位置からは見えないが、ちらほら入り口の方を見ている者たちがいるから何かしら起こっているのだろう。


「兄上、会話を拾いますか?」

「止めておけ。微弱な魔法は確かに検知されないが、何かあったとき余計な詮索をされる。それに言っていることはなんとなく想像がつく。『聖女と共に入れろ』だろう?」

「ご明察。もっと詳しく言うならば『大聖女たる彼女と入場できるのは自分しかいない。父上からも許可はいただいている』……だね」

「は~。神殿側こっちは大聖女の認定はしてないんだけどな」


 ラッパが鳴り響く。ラッパは王族が入場するときだけに使われるものだ。ほぼホールにいた全員がホールの出入り口へと視線を向ける。


「ハインリヒ・ベルナールト王太子殿下、ならびに聖女モニカ・ベッカー伯爵令嬢のご入場!!」


 来た。

 まるで人が波のように避けていき、道を作っていく。

 俺たちは人混みに紛れるように数歩その道から後退し彼らが堂々と歩いていく様を見つめていた。ハインリヒの腰には例の魔道具がぶら下がったままだ。良かった、これで置いてきたとかあったらめっちゃ面倒なプランBの計画に変更しなけりゃならなかった。


「ご来賓、フィゲニア公国フレデリカ・フィゲニア大公、プレヴェド王国アーサー・プレヴェド第三王子殿下のご入場!!」


 間を開けずに入場してきたのは大公の判断だろう。彼女も彼女で俺たちの協力者だ。

 獰猛なユキヒョウモンスターの毛皮のマントを身にまとい、ワインレッドのシックなドレスで杖をついて颯爽と歩く当代のフィゲニア大公。50代のはずだが、良い意味でそうは見えない。少しキツめの顔つきをしているが、どう見繕っても俺と同年代、もしくは30代後半に見える。

 杖をついているのは、亡国の危機に陥った公国を救う際に彼女が起こしたクーデターの影響だとされる。自ら剣を持ち、先陣を切って駆け抜けたとされる現大公は先代大公との戦闘中に足を負傷したが、辛勝。先代大公を処刑し、国の立て直しに尽力してようやく情勢が落ち着いたのが数年前。

 ……その矢先に、悪女モニカの話が全然関係のないうちの国から来て驚いただろうなぁ。


 そんな彼女に付き従うようにアーサー殿下は続いていく。まあ、立場的に公国とはいえ国のトップである大公と一国の王子では並んで歩くことはないだろう。

 ハインリヒが笑みを浮かべて応対している中、大公はぴくりとも表情を動かさず、淡々と応対しているようだった。ハインリヒの隣に立つモニカ嬢の顔が引きつっているように見えるのは気のせいではないな。

 ふ、と息を吐いた大公がぐるりと周囲を見渡す。そんな行動に出た大公にハインリヒが怪訝な表情を浮かべたが、大公の視線の先にいた存在に気づいて思い切り眉間にシワを寄せた。


『ルイーゼ嬢』


 ふわりと大公の表情が和らぐ。そのままハインリヒに軽く挨拶をしてこちらに歩み寄ってきた

 ルイーゼはスッと俺たちの前に出ると、大公とアーサー殿下に向けてカーテシーを行う。


『お初にお目にかかります、大公様。ゾンター伯爵が娘、ルイーゼ・ゾンターでございます』

『ふふ、そなたと会えるのを楽しみにしておったよ。して、そちらが父君か?』

『伯爵位を賜っております、ヴォルフガング・ゾンターと申します。こちらが義母のレナ・フィッシャー侯爵でございます』

『噂はかねがね。イルディーヴォの子を保護してくれたとのこと、感謝する』


 手紙のやり取りで聞いたところでは、国外に逃された結果散り散りになった貴族の子らを大公は探していたそうだ。ハンスの両親の最期もきちんと調査してくれていたようで、ハンスが希望すれば答えてくれるというのだからありがたい。


『そなたたちとも話をしたいところだが、公式の挨拶の場は後ほど。進行を止めるわけにもゆかぬゆえ、一時この場を辞すことを許してほしい』

『ご挨拶できる機会を楽しみにしております』

『それでは、大公様、プレヴェド第三王子殿下。こちらへ』


 ルルがふたりを連れて、貴賓席へと案内する。

 いやあ、賓客本人が離れたとはいえ、その場に立ってるのはどうかと思うぞ。ハインリヒ。本当ならこれ、お前とルルふたりの仕事だからな。

 それにしてもアーサー殿下。ルルの胸元にあったカーネリアンのネックレスを見て嬉しそうな表情を隠さなかったな。まあ、ハインリヒたちからは死角だったからっていうのもあるとは思うけど。俺としては内心複雑である。


 はあ、と軽く息を吐きながら周囲を窺えば、ハイネ卿がちらりと見えた。お、いい位置にいるな。ハイネ卿の商会経営の件で話してるっぽいし、このままいけばあの位置で陣取れるだろう。

 ホール内にいる人々へ乾杯用のシャンパンが配られていく。シュワシュワと浮かんで消えていく泡は、俺にとあることを連想させて思わず目線を逸らした。


 次々と他国の来賓の名が呼ばれ、ついにラッパが再び鳴り響く。


「ベルナールト国王陛下、ならびに王妃陛下! アンゼリム王弟殿下、ミランダ王弟妃殿下のご入場!!」


 貴賓席にいる来賓以外が皆、頭を下げ王族の席へと道を作る。

 4人分の足音を響かせながら陛下たちは移動していき「頭を上げよ」という一声で皆姿勢を正す。

 壇上には一応、ハインリヒもいるようだった。控えめにルルもハインリヒの隣にいるが、ハインリヒの顔は不満だと言わんばかりの仏頂面。

 座席についた4人のうち、俺の視線は自然とひとりへと吸い寄せられた。臨月特有の大きなお腹を抱え、やや物憂げな表情を浮かべる女性。俺の記憶にある姿とは似ても似つかない。


 ふと、彼女と目が合った。

 その瞬間、陛下のこれまで大過なく過ごせたことへの神々への感謝の言葉が素通りしていく。間違いなく、彼女は俺を見つめてわずかに口元を動かした。「ヴォル」と、声に出さずに呟いたのは確かだった。

 ―― ああ、やっぱり。君はそこにいるのか、カティ。


「―― そして、創世神エレヴェドと山の神ヴノールドに感謝を。この国の平和に祈りを。乾杯Prost


 ワァッと場内が一気に湧いた。

 俺もワンテンポ遅れて、周囲とグラスを軽く合わせて会話をしていく。自然と、彼女から視線は外れた。

 もう少し。もう少しのはずだ。だからどうか、もう少しだけ耐えてくれカティ。



 そうして、その時はやってきた。



「君には失望したよ、ルイーゼ嬢」


 華やかな夜会はしんと静まり返り、その発言をした男性へと視線が一斉に向けられる。


 そこはホール中央。身分に見合った綺羅びやかな正装を身に纏い、王族の証である徽章きしょうが襟元で輝いている。

 金髪碧眼の男性は王太子ハインリヒ。彼の傍らには本来いるべきはずの人物はおらず、別の令嬢が寄り添うように立っている。

 スカイブルーの髪に翡翠の瞳を持つ聖女モニカ・ベッカーのドレスは美しいロイヤルブルーに金糸の刺繍が施されており、彼女自身の瞳の色であるエメラルドのネックレスが胸元に輝いていた。


 そして、このふたりと対峙するかのように、向かいに立つ女性 ―― 俺の可愛い、可愛い娘であるルル。

 マロンブラウンの髪にオレンジの瞳を持つ彼女もまた、ロイヤルブルーのドレスに金糸の刺繍が施されており、彼女自身の瞳の色に近いカーネリアンのネックレスが胸元に輝いていた。

 ―― 本来であれば、彼女が王太子の傍にいるべき令嬢である。


 糾弾されているルルは嫋やかなその手で扇子を開き、口元を隠した。


「失望、とは」

「私が知らないとでも思ったか。私の婚約者であった君には常に王家の影がついていた。そこで、君が何をしたか報告は受けている」


 顔を顰めたあと、ハインリヒはギッとルルを睨みつけ、隣に立つモニカ嬢の腰を抱く。

 反対の手を開いて伸ばしてルルを示し、彼は叫んだ。


「聖女でありベッカー伯爵令嬢であるモニカ嬢の暗殺依頼を出し、実際にモニカ嬢が襲撃された! 依頼主はルイーゼ嬢、君であることは既に分かっている! 犯罪者となった君と婚約を続けることは不可能であることから、君との婚約は破棄し、君は犯罪者として裁かれるため収監されることとなった。衛兵、捕らえよ!!」


 ざざ、と集団の中から衛兵たちが飛び出し、ルルの周囲を取り囲んだ。

 しかしルルは動じない。相変わらず、扇子で口元を隠したままじっとハインリヒを見つめている。

 その表情に怯えを見せたハインリヒの傍にいたモニカ嬢は、そっとハインリヒの影に隠れるように下がる。すると、ハインリヒは彼女を守るように半身を前にした。


「ハインリヒ様……」

「大丈夫だモニカ嬢。私が君を守る……どうか、私に生涯君を守らせてくれ」




「兄上」

「おう、始めよう」




 パン、と手を叩いて甲高い音を響かせた。


 続けて、パン、パン、と手を叩いた。ふたり分の拍手の音が、しんとした空間に響く。

 ルルはその音を聞いて瞳を閉じ、扇子を閉じる。見えた口元には笑みが浮かんでいた。


「誰だ!」

「いやあ、面白い話ですね王太子殿下」


 足を進めると自然と人垣が割れた。

 視界がクリアになる。衛兵に囲まれたルルがにこりと微笑んだので、俺も微笑み返した。


 ハインリヒは怪訝な表情で俺たちを見つめていた。


「……何の用だ、レーマン公爵、ゾンター伯爵」

「私の可愛い姪の名誉が堂々と穢されたのです。何か?」


 マルクスが口元だけで笑みを浮かべて、スタスタとルルのもとに向かう。俺もその後に続く。

 堂々と歩けば自然と衛兵たちも避けてくれたので、難なくルルの元に辿り着けた。


 ……化粧で誤魔化しているものの、疲れが見える。ルルのマロンブラウンは、愛しのカティと同じだ。

 ルルの頬を撫でれば、ルルはホッと小さく安堵の息を吐く。

 ああ、早く解決して家でゆっくりしような。俺も長居はしたくないし。


「名誉を穢しただと? 事実を述べたまでだ!!」


 ハインリヒの方を振り向けば、情けなく後ろに庇われて立つモニカ嬢がいる。

 おいおいモニカよ。今この場では「なんで」って表情は出しちゃいかんぜ。

 ずり落ちてきたメガネを上げながら、にっこりと笑った。


「事実無根だからですよ」



 さあ、クソ王太子、クソニセ聖女。

 ざまぁの時間だぜ。


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【書籍化】俺の愛娘は悪役令嬢 かわもり かぐら(旧:かぐら) @youryu

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