真新しい靴がステップ
榎木扇海
第1話
花のJKになって、まだ2ヶ月。
鏡の中にいるのは目がガンギマっている女の子。まだ慣れない手つきで髪にアイロンをかけている。
「おねえちゃん!おそいよ、早く代わって!!」
後ろでトイレ待ちのようにぴょんぴょん飛び跳ねながら私を催促するのは中学二年生の妹。彼女は心臓に毛が生えているから、校則違反なんて気にせず、髪の色も私より明るい。
「うるさいな、今大事なとこなんだから黙ってて」
そんな姉妹の押し問答を蹴散らすように、キッチンの奥からママが怒鳴る。
「
「だっておねえちゃんがぁ」
「愛璃は先に食べたらいいじゃん!トロくさいなぁ」
怒鳴った拍子に髪がくるりと跳ねる。小さく舌打ちしてアイロンをかけ直した。
セーラー服の赤いリボンを結び、まだ硬い鞄を持つ。突っかけるようにして履いたローファーは黒々と輝いていた。
遅刻ギリギリに家を飛び出す。その直後に妹も飛び出してきた。
「おねえちゃん、遅刻するよ」
「愛璃もでしょ!あんたご飯食べるの遅いんだから」
「おねえちゃんには言われたくない!」
見た目ばっか背伸びして中身は子供のままの愛璃がうだうだ言っているのを背にして、私は駅へと駆け出した。
「まずいまずいまずいなぁ…これ、間に合わないよぉ」
これだけ遅刻ギリギリに出るのが常とは言え、中学校ではなぜか皆勤賞だった私のプライドが遅刻を拒否する。
私の通う高校へは片道一時間半。いつも遅刻ギリギリの私を見ながら、愛璃は「なんでそんな遠い高校にしたのさ」と呆れ顔をする。
私がこの高校にした理由は簡単。制服がセーラーだったから。そんでもってリボンが赤色で可愛いし、髪の毛にパーマかけても怒られないし、なんならちょっとくらいなら髪の毛染めても怒られないから。
わりと自由な校風だけど、べつに偏差値が低いわけじゃなかったから、受験はかなり努力した。一瞬鬱みたいになった時期もあったけど、高校デビューの夢をどうしても諦めきれず周りの反対を押し切って受けた。
見事努力は実って、私は四月から憧れの高校でついにJKになった。セーラー服にリボンを通したとき、「これがJKブランドなんだ」と感動したのを覚えている。
電車が到着する二秒前にホームに滑り込み、なんとかデッドラインの時間には乗れた。
ホッと息をつくが、ここからがわりと地獄でして。
私が乗るのは時間も関係して一番人が多い超満員電車。
右も左も前も後ろもなにもかも人、人、人!どれがだれの体臭なのかもわからないほどの近さ。ふとすれば圧死してしまいそうなほどの人口密度である。
高校から始めた電車通学が、まさかこんなにしんどいものだなんて思わなかった。せっかく可愛い制服もヨレるし、セットした髪の毛もぐちゃぐちゃになってしまう。この問題だけが、入学からわずか二か月、若干後悔しているところ。
今日も人にもみくちゃにされながら必死に二本の足で床を掴む。このまま終点の二つ前まで乗っていく。
さて、ここからが私の小さな楽しみ。前に妹に言ったら「趣味わるっ」と死ぬほど引かれたから、誰にも言えない秘密の習慣である。
なんとかバランスがうまくとれるようになった頃合いで、私は顔を上げる。そしておもむろに目玉を動かした。
そう、私の小さな趣味、人間観察。と、イケメン探し。
はじめはオシャレな同年代の子を観察して、メイクや髪型を参考にしていただけだったのだが、いつのまにか人間観察自体が趣味になっていた。
しばらく周りをきょろきょろしていると、ちょっと奥にぽこりと飛び出た頭が見えた。髪の毛はふわふわしたショートで、耳には白色の有線イヤフォンをつけている。
(あのひと、身長高いなー…イケメンかなぁ)
中学校の時枯れきっていた私のアオハル。高校でこそ手に入れて見せる。
そんなヨコシマな感情を抱きながら眺めていると、その頭がおもむろに揺れた。その動きからなんとなくその視線の先が分かった。
ほとんど無意識に、視線を辿った。
「ぇ、あ…?」
私は左手でぶら下げるように持っていた鞄を胸に抱えて、人間の分厚い壁に手を差し込んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ちょっと通してください」
色んな人の舌打ちと睨みを一身に受けながら、私は徐々に電車の扉のほうにむかった。まだ降りる駅は先である。
彼の視線の先にあったのは、茶色いスーツを着た男と、その隣で震えている女の子。
扉のすぐそば、震える肩に手を置いた。
「「ちょっと」」
怒気を含んだ声が、ふたつ重なって驚いた。
顔を上げると、さっきのぽこんと飛び出ていた頭が、中年の男をひとり挟んで反対側にあった。どうやらさっきの頭は高身長の学生のものだったらしい。
彼の大きな手のひらは、間の男の肩を掴んでいた。
彼に肩を掴まれた中年男は、ずいぶん焦った様子で脂汗をかいている。
私は半泣きの顔で見上げてくる少女の体から男の手を振り払う。
「痴漢してましたよね?」
少女と男の間に割って入ってから、大きめの声で言う。視線が一気にこちらに集中した。
「な、なんのことだ…」
男は弱弱しい声で、見苦しく反論した。
「あなたが女の子のこと、執拗に触ってるの見ましたけど」
「俺も見た」
高身長の彼が言う。彼のほうも掴んだ肩を引っ張り、少女から離そうとしているようだった。
「ち、違う、してない!離せっ!」
それでも男は否定して逃げようとしたが、周りがちらほらと「俺も」「私もみた」と言い始め、次の駅で駅員室に連れていかれた。
高身長の彼は駅員さんに「証拠あります」と言いながらついていった。
ホームのベンチで次の電車を待ちながら、被害者の女の子と話していた。
「た、助けてくれて、ありがとうございます…!」
真っ赤な目でしきりに頭を下げる。艶やかな黒いボブヘアがまっすぐに地面へと流れた。
「むしろあなたは大丈夫ですか?すごく怖かったと思います」
彼女はコクコクと何度も頷いた。
「あ、あたし、痴漢、初めてされて、怖くて、動けなくて」
ぽたぽたと大きな目から涙があふれる。顔は真っ青だった。その表情が一瞬愛璃のものに見えて、いっそう犯人が憎くなる。
丸く曲がった背中をなでながら、必死になぐさめた。こういうときどう言ったらいいかわからなくて、ひたすら「ゆっくり、ゆっくりでいいですよ」と繰り返していた。
しばらくして彼女が落ち着いた頃に、高身長の彼が戻ってきた。イヤフォンをつけたままのスマホをズボンのポケットに突っ込みながら歩いていたが、私たちに気づくと小さく手を振りながら小走りで近づいてきた。
「大丈夫?証拠写真見せたら、あの男は警察に連れていかれたよ」
女の子が彼に頭を下げる。
「助けてくださってありがとうございました」
彼は「いやいや」と手を振り、「君は大丈夫?」と心配そうに尋ねた。
「はい、この、方がずっとそばにいてくれて」
小さく尻つぼみな声で、彼女は私のほうを見た。その暖かい瞳にちょっと顔が熱くなる。
彼は私を見ながら、「それにしても」と不思議そうな声で言った。
「俺たちほぼ同時だったよね」
「そうですね」
まあ私は彼が動くのを見て気づいたから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
「そういえばさ」
三人並んで電車を待っていると、高身長の彼がおもむろに口を開いた。
「君、たちって…ハジ高、だよね?」
彼が躊躇いつつ口にしたのは、私の通う学校の通称名だった。
「「え?」」
また声が重なる。私たちは顔を見合わせた。
すると彼女が「あっ」と声をあげる。
「制服!」
「え、あっ、ほんとだ!」
言われてみれば、彼女が着ているのは正真正銘ハジ高のものだった。白色のセーラーの上から紺色のカーディガンを着ているから気づかなかった。
「俺もハジ高なんだよね。二年の
「一年の佐藤咲愛です」
「おなじく一年の
すると高身長の彼―――橋本先輩は柔らかに微笑んで言った。
「やっぱり?なんか二人とも初々しかったからさ。どう?学校楽しい?」
「楽しいです!でも遠い…」
「あたしも楽しいけど…勉強が難しくて…」
「そうだよね。この学校異常にテスト難しいからなー」
そんな風にして、場繋ぎのつもりで始めた会話が意外と盛り上がり、なんならクラスの人とよりもフランクに話せていた。
それから次に来た電車に乗って、学校の最寄り駅まで行ってからも、三人での会話は続いていた。
「佐藤さんと中村さんは部活、何入ってんの?」
「あたし美術部です」
「佐藤さんは?」
「私ー…まだ入ってないんですよね…結構悩んじゃって」
「そうなの?」
先輩はにやりと笑った。
「将棋部はいかがですか?中村さんも兼部でどう?」
「先輩将棋部なんですか?」
「そうだよ。これでも一応副部長」
「とは言っても、」彼はほっぺを掻きながら首を傾げて苦笑いを浮かべた。
「過疎部活で、部員は俺含め三人なんだけどね」
芽由ちゃんと目が合う。彼女も悩んでいそうだった。
「私将棋ルールもわかんないんですけど…」
「安心して!初心者大歓迎!0からきちんと教えます!」
「あたし、頭悪いですよ」
「いけるいける。俺もこないだのテスト学年400人中312位だから」
「え"っ」
「あれ、引いた?」
先輩の笑顔は幼くて可愛らしかった。切れ長の目が笑うとつぶれたように見えなくなって、それがいっそう持ち前の明るさを光らせていた。
それをしばらく眺めていた芽由ちゃんが、ぼそりとつぶやく。
「あたし、咲愛さんが入るなら入ろうかな」
「え、ほんと?佐藤さん!!お願い入って!!」
「え、え!私が決めるの!?」
「咲愛さんがいたら頑張れると思う…」
芽由ちゃんは上目遣いに私を見る。私も平均くらいの身長しかないのだが、芽由ちゃんは私から見ても小っちゃくて可愛い。そして顔も可愛い。
「~~~~!わかりました!将棋部!入りましょう」
「よっしゃー!」
先輩がガッツポーズする。
「とはいえ、一旦体験からでいいからね?普通に合わないとかあるだろうし」
こそっと自然な優しさを見せながら、先輩は腰を屈めて私たちと視線を合わせた。
「でもまぁとりあえず一旦!よろしくお願いします。中村さん、佐藤さん」
「「よろしくお願いします!」」
三人でクスクス笑い合うのを聞きながら、まだ真新しい靴が軽やかに地面を蹴り飛ばす。
高校に入ってからクラスで友達を作ろうとすると、どれだけ背伸びしてもキラキラしたみんなに追いつけない気がして、ずっと不安だった。
けれど、ひょんなことから出会ったこの二人とは、初めから背伸びなしで笑えた。
一時間半の登校時間が、短いと思える日がくるなんて思ってもいなかった。
私達の青春はまだ始まったばかり。
真新しい靴がステップ 榎木扇海 @senmi_enoki-15
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