第26話 エピローグ

 地球上の多くの生命を奪い、産業社会を崩壊させたナノプローブは、遠い遠い昔、天の川銀河の中心部に近い恒星系から宇宙に向けて放たれた破壊兵器だった。

 太陽の1・5倍ほどあるその恒星の4番目の惑星Mには、知的生命が宿り、長い時間をかけて高度な科学技術を獲得した。狩猟から農耕への生活転換、機械化による産業革命、量子技術を用いた情報処理能力の発展、バイオテクノロジーによる寿命の延長…何度かの文明の盛衰を乗り越え、いつしかその星は恒星間航行の能力を獲得した。星という限りある空間に縛り付けられていた生命たちは、喜び勇んで数限りない銀河の星々への探検に船出し、周辺の恒星系で自分たちにとって価値のある星々を次々と発見した。そこでたくさんの資源を手に入れて、さらなる深宇宙への冒険に繰り出していった。

 地球時間にして何十世紀もの間、惑星Mを中心とした連邦組織は大きな繁栄を築いた。探検の過程で、いくつかの文明社会にも遭遇したが、自分たちがテクノロジーで圧倒的な優位に立つ場合はその星を制圧して植民地とし、技術レベルが同程度とみたときには条約を結んで友好関係を築いた。

 しかし、文明間の蜜月関係は極めて不安定だった。辺境の星での資源配分を巡る小さないざこざが全面的な戦争へと発展し、幾世代にもわたる悲惨な消耗戦に突入することになった。Mの連邦はかろうじて勝利したが、代償として多くの、本当に多くの生命と資源を失い、植民星の間に築いていたサプライチェーンの大半を喪失することになった。戦争以前のレベルに復興するのには長い時間を必要とした。

 その間、連邦市民たちは前時代的な生活レベルを強いられた。「苦難の時代」と呼ばれた数世代は、宗教に救いを求めた。いくつかの恒星系にまたがる巨大な宗教は、指導者に絶対的な権限を与えた。

<苦難の時代を繰り返してはならない>

 指導者は連邦市民にそう訴えた。

<味方も敵もみな等しく辛苦を味わう戦争は絶対に避けなければならない。ならば、戦争に勝つための対策に拘泥するよりも、戦争に至らないような方策を講じるべきではないか>

 指導者の教えの下、科学者たちはさまざまな策を検討した。兵器を強力化するのは、戦争になったときの手段だ。指導者が仰っているのは、それとは違う。戦争に至らないよう、その前に打つべき対策…。

 何千ものアイデアが検討されたが、指導者は一人の若き科学者の考えに興味を持った。科学者の間では人道的な見地から反対論もあったが、連邦市民を守るという大義名分の前に、反対意見は無力となった。

<文明社会の技術レベルが恒星間飛行に到達する前に破壊する>

 若き科学者が提案したのは、この考え方に基づく兵器だった。

 広い銀河には文字通り数えきれないほどの生命が息づいている。だが、その進化の段階はまちまちだ。この科学者は、原始的な生物から進化し切れていない星をレベル1、知的な生命が生息しているが工業社会に至っていない星をレベル2、産業の工業化、情報化が一定のレベルに達している文明をレベル3と分類した。自分たちは恒星間航行を可能としたレベル4だ。若き科学者はレベル3の星の科学技術が恒星間航行のレベル4に進化するのを阻止することが、究極の星間戦争回避策だと進言したのだった。

 宗教指導者の宣言に基づき、連邦内から選抜された一流の科学者たちは文明の発展を阻害する兵器の開発に当たった。

 優秀な科学者たちがたどり着いた結論は、集団で知性を獲得し、周囲の素材を使って無限に自身のコピーを繰り返すことのできる兵器だった。しかも、それは極めて小さなサイズで、通常の爆発型の兵器では容易に殲滅することができない形態をとるのが妥当とした。

 完成にはやや長い時間を要したが、M連邦の科学者たちはそれを成し遂げた。惑星Mは何兆個もの塊となったナノプローブの集合体を天の川銀河のあらゆる方角に向けて発射した。第1陣だけで打ち上げた集合体の数は数万を数えた。惑星Mはその日を「平和の日」とし、毎年、その記念日に何千、何万というプローブを銀河に向けて放ってきた。

<これで戦争が起こることはなくなる>

 惑星Mの市民は、指導者と科学者に感謝した。

 それを機に、惑星Mの連邦は、銀河の中で身を潜め、沈黙を守るようになった。他の文明との接触を避け、〝鎖国〟の状態に自らを置いたのだ。


 Mを出発したナノプローブの集合体は、虚無が支配する宇宙空間を気の遠くなるような時間をかけて旅した。旅路の途中で恒星系をみつけると、その恒星や惑星でスイング・バイを繰り返し、速度を上げた。しかし、宇宙は広い。光速近くまで加速しても、恒星と恒星の間を移動するには、地球時間だと何万年もの時間を要した。

 何十万となく打ち上げられた集合体のうち、幸運ないくつかは〝獲物〟に遭遇することができた。高度な文明が発する電波をキャッチすると躊躇なく進路を修正して、その星に突入した。あとはプログラムされた通り、自己増殖を繰り返しながら産業社会の基盤を破壊して回った。ほとんどの星は抵抗する間もなく、文明レベルが3から2、あるいは1に後退した。任務の障害となる生命体を排除するプログラムも仕組まれていたので、その星では多くの命が失われることになったが、それは集合体の主たる目的ではなかった。

 ジョアンナは、地球を訪れるまでに3つの星の文明を後退させた実績のある〝最も優秀な〟集合体の一部だった。


 南アフリカ共和国の首都プレトリアの郊外に構築されたナノプローブ集合体のピラミッドは、完成したと思われた直後、頂点の部分にある四角錐が金色に輝きを増した。

 そして、ピラミッド全体が大きな振動に包まれた途端、金色の先端部が猛烈な速度で飛び立った。それはわずか数分で地球の大気圏を通過し、宇宙空間に消えた。ナノプローブの集合体は次の標的を目指して、長い長い旅に出発したのだった。

 全世界がその模様をモニターしていたが、ナノプローブの本当の目的を知っている人間はほとんどいなかった。


「ミッションは終わったのね」

 アレックス博士はモニターを見ながらつぶやいた。

「えっ」

 傍らに立つヘイスティングス大佐が驚いた表情をしている。

「やっぱり奴らの目的は、地球の文明社会を壊すこと。工業は壊滅的だし、植物もやられたから農業も出直しね。以前の状態に戻すには何世紀もかかるわ」

「そんなにかかりますか」

「だってそうでしょう。この潜水艦だって、原子力で動いているのよね。燃料は無限じゃないでしょう。それをどうやって造るの? 燃料を造る工場はボロボロよ。工場を立て直すには材料がいる。その材料を造る工場もないし、材料を運ぶ手段もない。科学者も技術者も労働者もたくさん死んでしまった。産業社会は一から造り直しなのよ」

「…」

 大佐は黙った。

「それよりなにより、生き残った何億人の人類を食べさせるにはどうしたらよいの? それが最優先の課題よ。地球は産業革命以前の農耕社会にいったん戻らなければならない。工業の復興はその後ね」

「みんなで畑を耕すのですか」

「そうしないと人類は飢えてしまう」

「長い道のりですね」

 ヘイスティングス大佐の言葉に、アレックス博士は小さく頷いた。


 ブレノスアイレスの郊外に築かれたピラミッドから、最後の集合体が打ち上げられた直後、全世界に拡散していたナノプローブが全て活動を停止したことが確認された。世界各地に積みあがった集合体のピラミッドは、頂点部分が欠けたまま、がれきの山と化した。それは何千年かの時をかけて土に還る。

<もしかしたら、集合体はこの地球に何度か来ていたのかもしれない。そのたびに文明社会は一からやり直している>

 アレックスはふとそう思った。


 地球上にはまだない技術だったので、人類は気付かなかったが、集合体のピラミッドはナノプローブが機能を停止する直前に量子通信を試みていた。電波は光速を超えられないが、この方法だと量子もつれを利用して、宇宙のどこにいても瞬時に情報を伝えることができる。

 ピラミッドが発信した内容は、簡単に言えば「ミッション完了」だった。地球という太陽系第3惑星の文明は3の後半にあったレベルから2に後退した。恒星間航行のレベル4に到達するには、この星の時間でも何世紀もかかる。当面の脅威は回避された。ピラミッドはそれを母星に伝えたのだ。

 しかし、その母星は地球時間で何万年も前に、天の川銀河の反対側にある高度な文明社会に発見され、執拗な攻撃を受けて滅び去っていた。ピラミッドが発したた量子通信を受け取るものは誰もいなかった。

(了)

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