【短編】非日常系OLのお花見と、浮いているオッサン

ほづみエイサク

非日常系OLのお花見と、浮いているオッサン

 夜の花見。


 夜空と桜のコントラストが、とても鮮やかだ。

 夜の暗さが、桜の上品で淡い美しさを引き立てている。


 空を見上げれば、月がプカプカと浮かんでいる。

 私も同様に、プカプカと浮かんでいる。


 ただし『夜空に』ではなく『プールの水面に』だ。



「ねー。これエモくない?」

「ヤバ! インスタ映えじゃん!」

「だよね! 早速上げよ!」



 周囲からは、若い女性のキャピキャピした声が聞こえてくる。


 彼女たちは水着姿だ。

 オシャレで、少しきわどい水着を着ている。

 男性の目を気にしたオシャレではなく、自分を輝かせるためのオシャレなのだろう。

 少し趣味の悪い色だ。


 だけどこの空間には、もっと趣味が悪い色がある。

 プールの色だ。


 プールの中はエメラルドグリーンで光っており、プールサイドはショッキングピンクに照らされている。


 ここは普通のプールではない。



 ここは、ナイトプール・・・・・・だ。



 私は今、ナイトプールでお花見をしている。

 このナイトプールの周囲には、桜が植えられていて、お花見をすることができるのだ。


 

「これはいい〝非日常〟」



 それが、私がここにいる理由だ。


 夜。

 お花見。

 プール。


 どれもありふれたものだ。

 だけど、それらがお互いに魅力を引き出し合い、独特の妖艶さを生み出している。



 これが〝非日常〟。



 私は〝日常〟が大嫌いだ。

 OLとして仕事をしているのだけど、何もいいことがない。


 幸せになりたくて、いくら努力しても、ただひたすらに辛くなっていく。


 セクハラされる職場も、愚痴しか言わない両親も、お金をもらうためだけの仕事も、何もかもが辛い。


 そんな〝日常〟を忘れるためには〝非日常〟に身を置くのが一番だ。

 

 私にとっての〝非日常〟とは、没入型のアトラクションに近い。

 


「ねー。あの人、さっきからナニしてるんだろ」

 


 ふいに、周囲の声が聞こえた。

 私のことを言っているのは、すぐに察せられた。



「ずっと浮き輪で浮かんでるだけだよね」

「独りなんてかわいそー」

「やめなよ。本当にかわいそーじゃん」

「あはは。そうだね!」



 わざと聞こえるように言っているのかもしれない。

 おっぱいもお尻もだらしなければ、口はそれ以上にだらしがない。



(けっ! こんなところでSNSのことしか考えてないヤツには言われたくない!)



 さっきも話したけど、このサイトプールでのお花見は〝非日常〟体験だ。


 それに対して、SNSは〝日常〟だ。

 この〝非日常〟には似つかわしくない。


 私はこの〝非日常〟を味わいに来たのだ。


 そうだったのだけど――



「うーん、思った以上に何もない」



 私は、桜を見ているのに飽きていた。


 どこで見ても、桜は桜だ。

 一目見た時の感動が通り過ぎてしまえば、興味がなくなってしまう。


 そうなってしまえば、ただのナイトプールだ。

 〝日常〟だ。



(何か面白いものはないかなぁ)



 私は周囲を見渡した。

 でも、あまり期待していなかった。

 念のための最終確認程度のものだった。


 それなのに、ソレ・・はいた。


 キャピキャピと輝く女性達の中で、圧倒的な異物感を発しているソレ・・



 中年男性――オッサンだ。

 白鳥を形どった浮き輪に乗って、プカプカ浮かんでいる。

 しかも白鳥の首を挟むように股を開いていて、すごく気持ち悪い。


 スネ毛も胸毛もボーボーで、ビール腹がポッコリと出ている。


 まさに、だらしない中年男性そのものだ。


 私の職場にだって、似たような雰囲気のセクハラ男がいる。

 〝日常〟によくいる存在だ。


 だけど、ナイトプールという不釣り合いな場所でプカプカ浮かんでいるだけで、異様な雰囲気を漂わせている。

 この状況においては、このオッサンは〝非日常〟になりえている。


 つまり、私の大好物だ。



「あの、何をしているんですか?」



 我慢することができず、私は声を掛けた。



「あー。珍しいですね。君のような子は、非常に珍しいです」



 オッサンは私に目を向けてきた。


 その瞬間、背筋が凍り付いた。



 オッサンの瞳は、空洞のようにうつろだったのだ。



 見ているだけでも不安を掻き立てられる。


 性的な危機とは違う。

 もっと本能的なものだった。


 この人は異常だ。化け物だ。

 絶対に逃げ出した方がいい。


 だけど、逃げ出したくない。

 心の奥底から、そう思ってしまった。



 ドクン ドクン ドクン



 心臓が早鐘はやがねを打っているのは、恐怖心だけのせいじゃない。


 私の心は浮足立っている。


 内心、期待しているんだ。

 このオッサンの〝非日常〟に。

 

 

「ほう。珍しいですね」



 オッサンは顎をさすりながら、言った。

 


「ここで私に声を掛けてくる女性は、怒鳴ってくるか軽蔑するか、マイナスな感情しかぶつけてきません」



 それはそうだろう。

 そう思ったけど、口には出さなかった。



「しかし、あなたは僕に興味を持っている。とても不思議な女性ですね」



 私は好奇心に突き動かされるまま、口を開く。



「あなたの方が不思議ですよ。普通、あなたのような人が一人で来る場所ではありませんから」



 かなり失礼なことを言ったはずなのに、オッサンの表情はピクリとも動かなかった。



「ええ。そうですね。周囲の人に迷惑をかけていることは自覚してします」

「では、なんでここにいるんですか?」

「随分鋭い質問をしますね」



 オッサンは顔を上げて、桜を見上げた。



「こうしていると、亡き・・妻の想いが分かる気がするんですよ」

「奥さん、亡くなっているんですか?」



 オッサンは「はい」と抑揚のない声で返す。

 その後、ゆっくりとした口調で語る。



「今から5年ほど前でしょうか。妻は、水死体として発見されました。桜で有名な河川を流れていたところを……」

「それは、ご愁傷様です」



 私はなんだか申し訳ない気分がして、目を伏せる。

 だけど、オッサンの様子は変わらない。



今際いまわきわ、妻は見ていたはずなんです」

「犯人の顔をですか?」



 オッサンはゆっくりと、頭を横に振った。



「いいえ。それはどうでもいいんです。犯人なんて、どうでもいいんです。それよりも重要なことがあります」

「重要なこと?」



 もったいぶるように、一拍置いた。 



「妻の気持ちですよ」

「気持ち、ですか?」



 意外な答えだった。



「はい。気持ちです。夜に川を流されて、桜を見上げる。それはどんな気持ちだったのだろう、と」

「奥さんのこと、好きだったんですか?」



 オッサンは桜に向けて、手を伸ばした。



「いいえ。ただの自分勝手な慰めですよ。妻も望んでないかもしれません」



 私はもう一度、桜を見上げた。

 なぜだか、人生で一番美しい桜に思えた。



「本当に、美しい光景ですよね」

「そうですよね。美しいですよね」

「ええ、死に際には、こんな光景を見ていてみたいものです」

「そう言っていただけると救われます。だから――」



 私はオッサンの顔を見た。

 どんな表情をしているのか、気になったから。


 おそらく、とても満足げな顔をしているだろう。



(――――っ!)



 でも、全く予想外の顔をしていた。

 微笑むどころか、完全な無表情だったのだ。


 感情が抜け落ち・・・・すぎて、一瞬顔が真っ黒に見えるほどに。


 驚愕する私をよそに、彼はうっすらと口を開く。



「こんな素敵な光景を見れたのですから、きっと彼女も許して・・・くれるでしょう。僕に感謝していることでしょう」



 その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。


 さっきまで普通に話していた、どこにでもいそうな中年男性。


 彼は自分自身の妻を―― 



「あなたは……」



 それ以上は、言葉にできなかった。

 言ってしまったら〝日常〟に戻れない気がしたから。


 言葉に詰まっていると、オッサン問いかけてくる。



「あなたも〝日常〟はお嫌いですか?」

「はい。嫌いです」



 迷いなく答えた私を見て、オッサンは口元だけで微笑んだ。

 明らかに作り物の笑顔だ



「それなら、きっと気に入りますよ」



 それだけ言うと、オッサンは浮き輪に乗りながら、スイーと移動し始めた。



「あ、ちょっと!」



 私はとっさに追いかけようとした。

 だけど、まるで霧の奥に姿を消すみたいに、一瞬で見えなくなってしまった。



「なんだったの……?」



 呆然としていると――


 ヒラリ、と。


 桜の花びらが一枚、プールの水面みなもに落ちた。


 すると、信じられないことが起きた。


 薄ピンクの花びらから、色がにじんだのだ。

 傷口からあふれ出たような、鮮血の色が。


 雨のように花びらが落ちてきて、色がにじんで、プール全体が染まっていく。


 どんどん水が鉄くさくなっていき、ドロドロに粘度が増していく。



「なにこれ!?」



 とっさに周囲を見渡した。

 こんな不気味な現象が起きているのだから、他の客たちが騒がないはずがない。



「ねー。これどう思う?」

「いいじゃんいいじゃん」

「だよねー」



 それなのに、全く気付いている様子がない。

 店の人すら反応していない。


 なぜだろうか。

 考えられる理由は、一つだった。


 

(私が――私だけが・・・・おかしいの?)



 そう自覚した瞬間、脳が酷く揺れた。

 間髪いれずに、激痛に突き抜ける。

 脳をキャベツに見立てて、一枚一枚剥がされていくかのような痛み。 


 私の足が、自然と動き出す。

 どこに向かうのかも、何をするのかも、頭に浮かんでいる。

 だけど、私の意思じゃない。


 まるで寄生された虫みたいに、勝手に体が突き動されているのだ。


 

『素敵なあなたに質問です』



 オッサンの声が聞こえた。

 どこから声が聞こえているのかもわからない。

 思考が全くまとまらない。



『この世界で、最も〝日常〟と言えるものは、何でしょうか?』



 わからない。

 私は頭を横に振った。



『仕事ですか? 私生活ですか? 一服ですか? 趣味ですか?』



 また、頭を横に振る。

 今度は無意識に。



『どれも違いますよね。確かに〝日常〟ですけど、それらがなくても〝日常〟は成り立ちます』



 そうだ。

 〝日常〟とは、もっと普遍的なものだ。



『一番の〝日常〟は生きることです』



 否定のしようがない。

 〝日常〟とは生きることだ。

 つまりは生きている限り、感じている〝非日常〟は嘘っぱちだ。



『よかったですね。あなたはこれから、最高の〝非日常〟に出会えます』



 そうだ。

 私は〝非日常〟に行けるんだ。


 セクハラをしてくる上司も、お金をせびってくるだけの親も、セックスしか頭にない彼氏もいない。


 本当にクソみたいな〝日常〟だ。


 だけど、私は〝日常〟から逃げるわけじゃない。


 ただ、あいつらより一歩先の〝非日常〟に行くだけだ。



 ……本当に、それでいいのかな?



 まあいっか!



 だって、こんなにも気持ちがいい。

 解放感が突き抜けている。

 一歩一歩進むのが、楽しみで仕方がない。


 これが私が求めていたものだ。

 なんで、最初からこれ・・をしなかったんだろう。


 いや、悔やむのなんてもったいない。


 この最高の気分がかげってしまう。


 今はただゆだねよう。


 それだけでいいんだから。



 パシャ パシャ パシャパシャ

 


 水をかき分けて。

 顔が水に浸かって。

 髪も全部、プールの中に入った。

 それでも、まだまだ沈んでいく。

 

 プールの水が目に染みるのに、目を閉じられない。


 ふと、顔を見上げる。


 水中から見える、霞んだ桜。


 それを見た瞬間、涙がこぼれた。



 ああ、美しいなぁ。





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 パシャ パシャ パシャパシャ



 十数分後。


 プカプカとうつ伏せで浮かぶOLを、若い女性たちが囲んでいた。

 彼女たちは一様に、スマホのカメラを向けて、シャッターを切り続けている。



 パシャ パシャ パシャパシャ



 ナイトプールでの水死体という〝非日常〟。


 それも結局、彼女たちの〝日常〟の中に組み込まれていくのだった。

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