何かを考えていると、芋蔓のように関連したことが眼の前に次々と現れることがたまにある。
大河ドラマ「光る君へ」を録画で観ながら、2008年、五十一歳で他界した氷室冴子も平安時代ならば大河の脚本を書けたのではないかと惜しんでいると、その氷室冴子から生前のうちに頼まれて、彼女の葬式の葬儀委員長を務めたのが『菊地秀行』だったということを想い出した。
親しかったようだ。
すると、カクヨムの注目の作品にこちらの評伝がぽんと出てきた。
タイミングがいいので、せっかくだから興味深く読ませてもらった。
菊地秀行マニアでないのならコメントなど失礼だろう。サイレント読者で終わるつもりでいた。
そこへ、わたしのある作品を川端さんがフォローしてくれた通知が届いたのだ。
もう呼ばれているとしか想えない。
なのでレビューを書くことにする。
菊地秀行は好きな作家だった。全体に漂う、暗さと哀愁がすこぶる好みだった。
日本情緒の上に銀幕の中の古ぼけた怪奇をのせて、血を熱くするような暴力性の嵐の中、人外の美しい男が悪漢どもを斬って過ぎ、読後には尾をひく寂寥があるとくれば、好きにならない理由を探すほうが難しい。
とはいえ、吸血鬼ハンター"D"と、魔界都市〈新宿〉シリーズの、それも初期の数冊しか知らない。
ファンとは、とても云えないだろう。
それだけではあったが、菊地作品のエッセンスだけはたっぷりと浴びた。
吸血鬼の襲来に怯える辺境の村に現れる、吸血鬼と人間の混血"D"
人々から忌まれながらも、吸血鬼退治を請け負って"D"は死闘を繰り広げる。
寡黙なうちにも時折みせる仄かな感情は人間のもの、しかしその能力と、太陽を苦手とし血を啜りたい本能は吸血鬼のもの。
因習の強い中世風の村々を旅する"D"は、人間の愚かしさを軽蔑しながらも、素朴な彼らの無償の愛や犠牲心にも強く魅せられ、基本的に人間のおんな子どもに対しては一貫して紳士的で、その細首に襲い掛かろうとする吸血鬼たちから彼らを護るという、ストイックな男前ぶりが際立っていた。
もう一方の魔界都市〈新宿〉は、今の異世界ファンタジーなど駄菓子のラムネにしか見えないほどの、血肉したたる暗黒バイオレンス満載だった。
エロでもお色気でもない「アダルト」としか云えないような要素が当時十代のわたしには少しきつく、その場面がくるたびに「これがなければいいのに!」と毎回顔をしかめていたが(潔癖な年頃)、それでも日本の一部が治外法権の魔窟となり、隔離された闘技場か地獄の浮島のように、外とは切り離された異世界となっている設定には強烈な魅力があった。
僕が私になる前に。
おっとりしたせんべい屋の主人「ぼく」から、冷酷無比な青年「わたし」へ。一人称が変わると人格が切り変わる「秋せつら」、主役のかっこよさにも、すっかり参ってしまった。
手許に本がないのでぽつりぽつりと想い出しながら書いているのだが、菊地氏の書く両シリーズの男主人公は、男性作家には珍しく、女を一瞥するとその女が失神寸前になるほどの美貌というのが共通していて、これが女性読者の獲得と、妖しくも美しいホラー味を醸すのに効果的だった。
その美しい男主人公が夜空を舞うのだ。
吸血鬼ハンター"D"は祖から受け継いだその高い能力で、秋せつらはピアノ線のような銀線を廃墟に絡ませて飛翔する。
その真下では有象無象の欲望と暴力が溶岩のように渦巻いており、弱き者が無力を嘆きながら救けを求めて悲鳴を上げている。
二人の主人公はある時は人間を助け、ある時は黙殺し、魑魅魍魎を退けては、闇へと立ち去るのだ。
菊地作品からわたしが得たのは、ダークヒーローの魅力だった。
完全無欠な主人公が見せつけたのは、群衆から持ち上げられるような華やかな勝利ではなく、血を這う蟲けらの営みから背を向けて闇に消える孤影だった。
月は闇の中でしか光らない。
その鋭く、掴みがたい麗光が、菊地氏の作品の底にはいつも昏く流れていた。
挿絵もひじょうによかった。
末弥純にせよ天野喜孝にせよ、これ以上のものはないというほど両作品にぴったりだったことに異論はないだろう。
わたしはこの二つの作品を読み返すことはない。
十代の時に読んだ、あの読後感を大切にしたい気持ちの方が勝るからだ。
菊地作品とはそういう位置づけの作品で、闇の中に今も光っている。
『吸血鬼ハンター』『魔界都市』シリーズなどで知られるエンターテイメント文芸の巨匠・菊地秀行の生い立ちから現在までを追った評伝。
幼少期を過ごした千葉・銚子の町、家族関係と学生生活、作家デビュー前の翻訳者時代など、著者来歴などで皮相的に知るだけだった情報についても深く掘り下げられている。各話ごとに出典が明記されているのもうれしい。
菊地秀行ともに80年代伝奇ブームを牽引した夢枕獏との比較も興味深い。これまでいくつもの文学賞を受賞してきた夢枕獏に対して、菊地秀行は現在まで賞とは無縁のいわば”無冠の帝王”であることにもしっかりと触れられており、両氏の愛読者としてはおもわず唸らされる。
あの時代の空気を知る者にとっては懐かしく、また知らなくても当時の熱気の一端を感じることができるだろう。
父・徳太郎との関係性の描写が印象的でした。店の経営に悩みつつも、息子に法曹の道を期待する父親の姿が生き生きと表現されています。「先生と呼ばれたい」という父の夢を、息子たちが想像もしない形で叶えるくだりには、感慨を覚えました。
銚子という港町の雰囲気も魅力的に描かれています。アウトローたちが幅を利かせる街の様子が伝わってきて、菊地作品特有の哀切感の源流を垣間見ることができました。
著名な作家の原点を丹念に描いたエッセイとして、読み応えがあります。菊地秀行というクリエイターの人間性や作品世界への理解が深まる小説だと感じました。彼の創作の源泉とも言える少年時代の体験を追体験できたことは、得難い経験でした。