「八尺様」
「今度の新作もいいぞ」
とある麗らかな昼。
給食を食べ終えて寛いでいる最中、眉間に垂れた癖の強い前髪を揺らして彼――
四つ寄り集まった机の内二つは、先程トイレに行ったために空席だ。椋伍は鼻先のそれを受け取ると、ほー、と感心したような声を発する。
「ホントだ。今回も気合い入ってんじゃん。これなんていうオバケ?」
「
「あー」
キラキラと輝く三白眼に、椋伍の視線が紙面へ落ちる。
描かれた絵図は石塀を優に超える女で、白いつば広の帽子、白いワンピース姿だ。塀の終わりから右半身を晒し、じっと絵の外の椋伍を見つめるような画角で、髪の毛に隠れている目玉の粘着性を訴えかけてきていた。
「めちゃくちゃ背が高いってこと?」
「あと子どもにしか見えない。独特な喋り方したり、家まで追いかけてきて知り合いの声真似して襲ってくる」
「またそんな理不尽な死に方しそうな……」
「掲示板にあった話でさ、ちょっとメールでURL送るから読んでくれよ。その上でこの絵の感想聞かせて欲しい」
「いいよ」
「いつも悪いな」
そうだ。椋伍は「ありがてェ」と拝む久塚を前に、もう一度絵を見て「手も足も長いんだろうな」などと言ったのだ。
なんでもない会話だったと、椋伍は記憶している。空席のメンツもあれから戻ってきて、久塚の絵を気味悪がったり褒めたりして過ごし、勧められたサイトにも飛んでその夜は「また変な知識を得てしまった」と思いながらも、神隠市ノートにその曰くの名を刻んだ。
「
そんなことを呟いた自分自身を、椋伍は今殴りたくなっていた。とんでもないフラグじゃないか、と。
時は戻って天龍屋敷の片障子の廊下。狭い空間で、その名の通りの長大な体をした女と対峙する椋伍は、背にした直弥の様子をちらりと見た。
ぽぽぽ、ぽぽ
「う、う、うう」
「あの程度で済んでるのは、ユリカさんの加護のお陰か……?」
思い当たって視線を八尺様に戻して思案する。視界の端には開け放された障子が、だだっ広い部屋の大きな闇を見せている。ほのかに漏れる廊下の間接照明のお陰で、中の様子がうっすらと伺えた。
「泉でもオレについた加護で、濡れ女にビームが当たったし……もしかしたら使えるかも」
ぐう、と八尺様が立ち上がった。その勢いと圧迫感に椋伍まで呻きそうになる。狭く低い日本家屋では、八尺様の首から上は見切れてしまっており、それもまた首なしの体が徘徊しているようで不気味だった。
一歩、八尺様が踏み込み一気に距離が詰められる。同時に腕が伸ばされて、椋伍は辛くも逃れた。背後の直弥だけが動かない。円から出ない。
ジュウウウッ
円を描いた範囲に八尺様の指先が触れた瞬間、その手が爛れた。飛ぶように手を引っ込めた八尺様が、障子の広間に逃れた椋伍を恨みがましく睨んだようにみえる。
「塩はちゃんと効くみたいで良かった」
椋伍はにいっと笑い、
「菖蒲さんみたいなひとがそう居てもらっても困るし、アンタが雑魚でよかったわ」
バン、と衝突音が響いた。障子だ。全てが廊下へ弾き飛び、窓に叩きつけられたのだ。直弥は無事だ。咄嗟に椋伍が視線を走らせ、丁度障子から外れた壁の位置に直弥がいたことを確認し、心底安堵する。
同時に、
――物理攻撃もアリなのかよ
ぐらり、と持ち上がった障子に苦い顔になる。八尺様がポルターガイストを引き起こすなど、考えもしなかった彼は、塩の瓶と塩を注いだキャップを固く握り直した。
ぐん、と距離が詰まる。障子が椋伍の背後を取り、広いはずの空間を狭くして追い詰める。
椋伍が狙うのは頭だ。素早くキャップを手のひらにひっくり返して頭上へばらまくと、背後の障子から逃れるべく、両脇から伸びる八尺様の手の合間を縫って畳を転がった。
ぽぽぽ、ぽぽぽぽぽぽ
ダン、ダン、ダンッ
ギロチンのように別の障子が高所から落とされる。
「うわ、ちょ、クソ!!」
体勢を立て直し「オレ普通の中学生なのに!!」と嘆き、歯を食いしばって全速力で距離を取ると――逃げを打ち八尺様に視線を走らせたのが仇になったのか、右横から飛ばされた障子に反応出来ず衝突した。
ぽぽ、ぽぽぽぽ
「痛っ……アァーマジで腹立つ! オレ弱ァ!!」
障子の紙を突き抜けた左腕や右肘を引き抜き、これ以上障子を折り分解したりしないように飛び退くと、いつの間にやら迫っていた八尺様からまたも距離を取った。
間際に放った塩は、間違いなく八尺様を溶かしている。効くには効くのだ。
「ヤバい、疲れてきた。障子が一、二……十枚くらいある? うわ、あそこの折れてるし。殺す気かよ」
椋伍は甚平姿でも汗が流れるほどになっていた。
八尺様を取り巻く障害物を数えて、目玉が上を向きそうになりながら、椋伍は苛立ち混じりにため息を着くと、
――ユリカさんの加護は、きっと一回が勝負だ
止まりそうになる頭を動かし、目は八尺様をギッと睨み据えて思う。
――塩であれだけ警戒してるなら、加護が発動したら、そしてそれが外れたら、きっと八尺様はここから逃げる。屋敷の外に出たらそれこそ、神隠市が堕とされかねない。ここでオレが仕留めないと
腰の辺りで握る食卓塩の小瓶とキャップが、汗で滑り始めている。ずっと握りしめているため、熱も移っていた。その手触りに忌々しそうに口を曲げていると、ふと椋伍の目がさっぱりとしたものになった。
ぬめりをもう一度確かめるように指でなぞり、曲げた口も真っ直ぐとなる。
「いくら強力なお守りもらっても、それに縋ってばっかじゃ情けねーよな」
八尺様がなんだ。障子がなんだ。
いくら物理攻撃を相手が仕掛けて来たとしても、包丁が降ってきた訳でもない。
ふつふつと湧き上がる恥と闘志に、椋伍の体から全ての汗が引いた。
「姉ちゃんは稲刈り機だって受け止めたんだ。あんなのでビビってちゃ、姉ちゃんに合わせる顔がない。なんならあのダイゴは指まで切り落としてる」
それと比べたら――
「全部を利用して骨が一、二個折れたとしても、それがなんだっつーんだ。行くしかねェだろ」
情けない。椋伍は思う。
思い至るのに随分手間取った気がしていた。廊下で跪いて呻いている直弥も、いつまでもつか分からない。
次で最後だ、と自分で区切りをつけ、椋伍は感覚を研ぎ澄ませた。
ぽぽぽ、ぽ、ぽぽ
八尺様が囁く。ブーメランのように障子が飛ぶ。畳を蹴り、スライディングで障子を躱し、ひたりと距離が縮まった瞬間――間合いに入った椋伍を八尺様が広い腕で迎えた。
前進する勢いが衰えていく椋伍は上向き、瓶を構え、つるり、取り落とす。勢い余って瓶は、腕を伸ばした少し先まで転がっていく。
「あっ」
頭上を見る。天井から長い髪の毛がぞろりと覗き、口が裂けんばかりに笑みを浮かべた女の顔が現れ、下がって、下がって、
「待ってたぜ、この時を」
不敵に笑った椋伍が開いた、瓶を取り逃がした方とは違う、もう片方の固く閉じていた手。キャップにひっくり返された塩が一盛り。瞬時に背後の障子が、椋伍目掛けて高速回転して飛ばされる。女の顔が焦りに歪み、上昇する。
「逃がすか!! くらえ!!」
天井へ顔が隠れてしまう寸前、キャップが空を切った。女の喉元に当たり、塩が飛散し、ジュウ、と蒸気が上がる。
キーン
高い耳鳴りがして女が倒れ込み、塩の瓶まで転がり立ち上がった椋伍の背中を障子が一撃、二撃衝突する。ぐうっと息が詰まり、つんのめるまま、勢いを停めずに椋伍は喉を押さえる八尺様の傍らに再び躍り出ると、
「恨むならやってきたことを恨めよ」
ちゃちゃ、
蹲る女の後頭部に塩を振りかけた。
耳鳴りがうるさい。高く長く伸びて、わんわんと広間を揺さぶる。
苦し紛れに八尺様が振りかざした右手が椋伍に振り下ろされた瞬間、激しい風が巻き起こり、指先から腕の付け根までを切り裂いて巨体を巻き込んだ。
漏れ出る蒸気が止まらない。濃厚な霧のようになって辺りにたちこめ、浮き上がっていた障子はばたん、ばたんと力を失って落下していく。
やがて。ふっと耳鳴りは唐突に止み、徐々に蒸気も消えていく。
椋伍の目の前には長大な女の化け物の姿はなく、ただ荒れ果てた広間が残るだけとなった。
「……。直弥」
静かな目で何もいなくなった畳を見下ろしていた椋伍は、はっと我に返って廊下へ飛び出す。塩の円の中には、ちゃんと直弥がいた。座ったまま気を失っているのか、うんともすんとも言わない。
「直弥!!」
引きちぎられたカーテンをはためかせ廊下を駆けると、椋伍は直弥に飛びかかる勢いで肩を揺らした。
「大丈夫か? オイ!!」
「ン……アァ……?」
「直弥」
「うる、せえよ。はきそう」
力ないが口の悪いいつもの友人に、椋伍は肺の空気を全て出すような深いため息を着いてその場に座り込んだ。
「よかった……」
「よくねえ、はきそう」
「トイレ行く?」
「アァ?」
椋伍が背後のドアを指さすと、緩慢に振り返ってから「いらねえ」と直弥は首を横に振った。
「あれから、どうなった?」
「えー……まずどこから覚えてる?」
「テメェが天井見上げてた所まで」
「そこからかぁー」
「何面倒くさがってんだよ」
「めちゃくちゃ長い化け物が出てきたから、塩振って何とかしたって言ったら納得する?」
「何も伝わらねェよ。あとやっぱ塩なんだな」
「オレ普通の中学生男子だし……?」
「ウルセエ馬鹿。普通はそれじゃ何とも出来ねェだろ」
「姉ちゃんの塩があれば大丈夫でしょ」
「お前……」
それは限りなく
椋伍がいいと言えばいいのだと、釈然としないながらも分かってきたからだ。
そんなこととは露知らず、椋伍は懲りずに「姉ちゃんの塩のお陰でオッチャンもゴーストバスターしてたし」と力説している。
熱が入る前に直弥が「わかったっつーの」と口を開きかけたその時、
かた、ん
八尺様が侵入してきた廊下の天井板が鳴った。
カクリシへ―神々隠南部泉伝説― 小宮雪末 @nukanikugi
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