天使の化石
旗尾 鉄
第1話
うららかな春の午後。
店のカウンターで居眠りしていた俺は、スマホの着信音でむりやり目覚めさせられた。
俺は鍵屋である。爺さんの代から続く小さな店、霧原ロックだ。
ただし、メインは裏家業、オカルト系トレジャーハンターのほうなのである。
世界には多くの神話や伝説、古代遺跡などがある。中にはごくまれに、科学や常識だけでは説明のつかない事物もある。そうした分野が俺の専門なのだ。
電話の相手は
金に物を言わせる南郷は好きになれないが、金払いが恐ろしくいい。俺は通話をタップした。
「吉池です。南郷から依頼したい件があります。お店のほうに迎えが行きますので。ではお待ちしております」
涼やかだが感情の読み取りにくい女性の声は、用件だけを簡潔に述べてすぐに切れた。ほぼ同時に、黒塗りの高級外車が店の前に停車する。場違いも甚だしいが、彼らには近所の目などという日本風の感性は通じないのだ。
俺はジャケットを羽織り、七つ道具の入ったカバンを手にした。
車は、港近くの倉庫の前で止まった。窓は内側からふさがれている。
中では、南郷と沙映子が待っていた。内部は研究室のように改装されていて、パソコン、計測機器、ビデオカメラなどが備わっている。中央には、灰色のビニールカバーをかけた大きな「なにか」が置かれていた。
「おう、霧原君、待ってたぞ。おい、カバーを外せ」
カバーの下から現れたのは、直径三メートルほどの岩塊だった。岩肌に、天使の像が彫られている。生きているかのように写実的で、斜め上を仰ぎ、翼を広げて飛び立とうとする姿勢だった。
さらに、岩塊には太い鎖が縦横斜めと幾重にも巻かれて、中央付近で大きな錠で留められている。戒められた天使だ。
「天使の化石だぞ」
南郷が得意げに言う。与太話にもほどがある。俺はさすがに呆れた。
「こんなもの、どこで?」
「エチオピアの奥地だ。言い伝えでは、昔、村の狩人が天使を捕まえて、村の守り神にしたそうな。天へ逃げないように、呪術師が鎖で縛ったんだとさ」
このパターンの伝承は、世界中にある。大ざっぱにいうと、天界人が地上へ降臨する。人間はなんらかの方法で、その天界人が天へ帰れないようにする。天界人はやむなく地上にとどまるが、やがて原因を解消して、天界へと帰る。
そんなよく似た流れの伝説が、遠く離れた世界各地に存在するのである。日本では、
「それで、守り神を買い叩いてきたわけですか」
「村にソーラー発電システムを作ってやると持ち掛けたら、大喜びで引き渡してくれたんだ。ウィンウィンだと思うがね。それで、どう思う?」
「彫刻でしょう。天使の化石なんてありえない」
俺の即答に、南郷はニヤニヤした。俺から一本取ろうとして、下調べをしてあったらしい。沙映子が俺にすっと近づいてきて、タブレットを手渡した。
「君はたいがい慎重論だからな。だがそれを見たら、意見も変わるんじゃないかね?」
タブレットには、岩塊をX線CT撮影した画像が映っていた。
ノイズが酷くて不鮮明だが、確かに天使に内部構造があるようにも見える。化石に見えなくもないが……。
「どうだ、ただの彫刻じゃないだろ。だが鎖の材質が特殊らしくてな。その影響で、それ以上きれいに映らないそうなんだ。あの鎖、外してくれんかな?」
俺は岩塊に近づき、天使を見やった。
エチオピア産だというが、像はアフリカというよりも、ギリシア彫刻の様式に似ている気がする。そこも、オーパーツ的な要素である。
トレジャーハンターの経験を積むにつれ、俺は危険察知の感覚が研ぎ澄まされてきた。この業界には、ヤバいもの、関わってはいけないものがあるのだ。直感的にそれを嗅ぎ分ける能力は必須なのである。
この天使から
錠は、頑丈だが比較的単純な構造だった。外すと、鎖がじゃらじゃらと床に落ちる。
一呼吸おいて、異常がやってきた。天使像が青白く発光しはじめたのだ。しだいに強くなる。俺の危険感知能力が、アラートを発した。
「岩から離れろ! 見るな、目をやられるぞ!」
俺は叫んだ。すぐ隣では、沙映子が発光する天使を見つめたまま立ちつくしている。彼女を抱きよせて後退し、そのまま倒れこむようにして床に伏せた。
光がひときわ強くなった。
電子機器や照明が激しく音を立て、火花を散らす。その後、光は急速に薄れていき、一分もしないうちに静かになった。
「わはは! すごい、すごいぞ! 霧原君、見たまえ! 彫刻なんかじゃない、本物だったんだ!」
南郷の興奮した声が響きわたる。
岩塊には、天使の形にくりぬかれた穴が、大きく口を開けていたのだった。
今回は南郷の言葉を認めざるを得ない。
世界には、科学や常識では説明できないことがあるのだ。
了
天使の化石 旗尾 鉄 @hatao_iron
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