第9話 復活した主人と奴隷の関係、しかし

 日本史の助教授になった大藤おおふじ千菜美ちなみに対して、美々みみはまた主人風を吹かせた。

 有能なのは知っている。

 それに、経営者と渡り合わなければいけないとか、「本流」の日本文学部と渡り合わなければいけないとかいう仕事があると、それはほとんど確実に美々に回って来るのだ。

 さらに、経営者とか、経営者に迎合したい一部の教員とかが、学校の知名度の向上を狙って国際会議を盛んに誘致して来るのだけど、その実際の運営も美々に押しつけてくる。

 その美々を理解してサポートしてくれるという点で、この元奴隷に優る者はいない。

 元奴隷か現役の奴隷かは知らないけど。

 そんな調子で就任の一年めから千菜美に次々と仕事を振ったので、千菜美は美々を敬遠するようになってしまった。日本史の研究室にこもり、積極的に大学の外での調査に出かけて、極力、美々に会わないようにしているらしい。

 この奴隷がこの主人を避けるなんてことは、それまでなかったことなのに。

 でも、その「敬遠」を押して頼めば、昔と同じように、美々が期待した以上のものを返してくれる。

 主人と奴隷の関係かどうかは別として、この二人の関係は一生変わらないだろう。

 本来の意味の「破瓜はか」の三倍以上を生きた美々は、もう「一生変わらない」と言い切ってもいいと思う。

 瓜を破る。

 でも、その女の子のだいじなものの使いかたで、主人の美々は、奴隷の千菜美を上回ることはできなかった。

 千菜美は研究と育児を両立させた。

 二人の息子と一人の娘がいるという。女の子が高校三年生、二人の男の子はもう大学を出て独立しているらしい。上の男の子はもう結婚していて、千菜美はもうすぐ「おばあちゃん」になるんだ、と言っていた。

 それに対して、美々は。

 結婚することは、した。

 でも、すぐに破綻した。

 その結婚が残したのが、この、リビングダイニングキッチンがやたらと広い、このマンションの部屋だ。

 互いの顔がいつでも見えるほうがいいよね、なんて言ってこの間取りのマンションを買った。

 最初は二人とも一日じゅうこの部屋でいっしょにいた。この部屋にダブルベッドも置いて、夜はそこでいっしょに寝た。

 化粧台はそのダブルベッドの横に置いていて、夫は、美々が、朝、身支度するのも、夜に化粧落としをするのも、ベッドやソファから見ていた。

 しかし、いつも二人でいっしょにいると、研究も、授業の準備も、それ以外の仕事もはかどらない。とくに、その結婚の年に美々は学部の教務の副主任になって、こなさなければいけない仕事がとても多い一年になった。

 美々がそういう仕事を自分の部屋にこもってやるようになると、夫はそれを不愉快がるようになった。しかも、女子大学なので午後八時には校内を出なければならない。だから美々は仕事を家に持ち帰るしかない。それに対して、夫は日付が変わるまで残業して帰って来ることもあった。それで

「ぼくは仕事は家庭に持ち込まない。どうして君は家庭に仕事を持ち込むのかな?」

なんて見下すように言われても、条件が違いすぎる。

 それからは急な坂を転げ落ちるように夫婦仲が悪くなり、離婚ということになった。

 結婚してから一年ももたなかった。

 マンションの購入代金は美々の親が出してくれたので、この部屋は美々のものとして残った。

 それ以来、美々は、この、一人には広すぎる部屋に一人で住んでいる。

 いま思えば、夫も美々も、「結婚」ということを、甘く考えすぎていたのだと思う。

 いろんな意味で「甘く」。

 そして、いろんな意味で結婚生活は甘くないと気づいたとき、二人はばらばらになってしまった。

 あの奴隷は、どうやってこういう危機を乗り切ったのだろう?

 それを本人に聞くことができないのは、主人としてのプライドだろうか?

 だったら、しようがない。

 美々は、化粧を落とすために、半分閉めたカーテンの横の化粧台へと歩いて行った。

 だいじな瓜を抱えるように、おなかの前で両手を軽く組んだまま。


 (終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女の子は瓜を抱く 清瀬 六朗 @r_kiyose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ