最終章 君と夏休みが終わっても

「……おーい! 葵、起きてー!」

 陽菜の大声に、私は跳ね起きた。辺りを見回すと、徐々に頭が冴えてきて、こうなるまでの記憶が蘇ってくる。

「……あれ? 私、眠ってたの?」

「うん、ぐっすりと。私もさっきまで眠ってたけどね」

「今、何時?」

「十時だね」

「あと二時間しかないじゃん! えっ? ど、どうして? どうして眠ってたの?」

 私が焦って訊くと、陽菜はキョトンとした顔をする。

「あれ、憶えてないの? 葵ったら、すっごい激しかったんだから……」

 鏡を見たわけじゃないのに、耳の先まで赤くなっているのがハッキリとわかる。

「あのね、葵は、私の服を……」

 続きを言い渋って、陽菜は恥ずかしそうに顔を俯ける。私は、全てを悟った。

「ごめん、本当にごめん! 私、とんでもないことを……怖かったよね」

 私が必死に謝るにつれ、陽菜の真剣な表情は綻んでいく。

「……ぷっ。ダメだ、本当に面白い。それにしても……見事に引っ掛かったね! 葵が想像してたことの逆だよ。葵は、乱れてた私の服を直してくれたの」

 手を叩いて笑う陽菜。騙された怒りよりも、再び陽菜の無邪気な笑顔を見られた嬉しさの方が大きかったから、腹が立つのに、なんだか私まで笑ってしまった。

「……ああ、でもね、『激しかった』っていうのは本当だよ。疲れて眠るまでずっと、葵は私に『愛してる』とか、『嫌だよ死なないで』とか、『陽菜は世界一かわいいよ』とか言ってたんだよ? キスもずいぶん上手になって……」

「わかった! わかったから、もう何も言わないで!」

 これ以上聞いたら、耳を巡っている血液が沸騰しそうだった。

「……でも、良かった。陽菜と過ごせる時間はあと少ししかないのに、その時間を無駄にしちゃったのかと思った」

「無駄なんかじゃないよ。恋人に、たくさん『好き』を伝えられて、褒められて、撫でられて、キスされて……本当に、幸せな時間だった」

 優しく微笑んで、私の顔を見つめる陽菜。今日一日で、何度も何度も再確認してきた「好き」が、また鮮やかな色を帯びて、心の底から湧いてきた。

「せっかく温泉旅館に泊まってるんだし、もう一回、お風呂に行こうよ」

「そうしようか。夜の露天風呂、綺麗だろうなあ」


 もくもくと上がる湯煙が、灯籠のような照明に照らされて、幻想的な雰囲気になっている。海は夜の闇に同化しているから、月の光が溶けている一部の水面が、際立って綺麗に見える。

「星、綺麗だね」

 一カラットにも満たない小さな宝石のような星たち。手を伸ばして宙で握れば、掴めたような気持ちになるけど、実際は、距離的にも、サイズ的にも、絶対に手に取れない星たち。……まるで、陽菜みたいだなと思った。

「葵はさ、夏の大三角って見つけられる?」

「待って、探してみる」

 構成している星ならわかる。はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、そしてこと座のベガだ。だけど……結んだら大三角になりそうな三つの星なんて、いくらでもあるし、白鳥に見える星座も、鷲に見える星座も、琴に見える星座も、見当たらない。

「……正解はね、あれだよ」

 腕を伸ばして、陽菜が夏の大三角を指でなぞる。

「へー、あれなんだ。陽菜は星にも詳しいの?」

「うん、不登校時代の趣味の一つだったから。ほら、あれが葵の星座のさそり座だよ」

 誇らしげな顔で、さそり座をなぞって教えてくれる陽菜。陽菜と二人で、私はその後も天体観測を楽しんだ。この時間がずっと続けばいいのにと思いながらも、理性的になっているもう一人の私は、タイムリミットまでに伝えておきたいことを、陽菜の話を聞きながら整理していた。

「……さて、こんなところかな」

「ありがとう、楽しかった。前までは興味なかったんだけど、陽菜の話を聞いたら、星のことすっかり好きになった」

「ふふっ、そうでしょ。……でも、ちょっと喋りすぎちゃったかも。時間、見て来るね」

 立ち上がり、ここからじゃ暗くて見えない時計を、見に行った陽菜。すぐに「私が行くよ」と言ったのだけど、陽菜は聞こえないふりをして歩いて行った。

「……十時四十二分だって」

「……そうなんだ。楽しい時間は、あっという間に過ぎてくね」

 滲み出す焦りを押し隠して言った。過ぎていく時間が、陽菜が自殺するという事実の現実味を連れて来る。……星空を仰いで、何から伝えようかと考える私の隣、陽菜は話し出した。

「私ね、今まで眠るのが怖かったんだ。だって眠ったら、十回に七回くらいは、悪夢を見るんだもん。あの日を追体験する悪夢、見ず知らずの人に暴力を振るわれる悪夢、白い部屋に二人きりで、花菜に責められ続ける悪夢……本当に多種多様だけど、全てがあの日に関連する悪夢」

 掴んだ私の手を、自分の膝の上に置いて、優しく撫でる陽菜。

「……だけどね、さっきは悪夢なんか見ずに、本当にぐっすり眠れた。ほんの少しだけど、あの日のトラウマから自由になれたんだって、嬉しかった。ありがとう、葵」

 その笑顔は、私たちの頭上で輝く一等星よりも輝いていた。……だけど、これくらいのことで、陽菜が自殺をやめようとしないことは、知っている。

「……ねえ葵、こっち見て」

 私の頬に手を当て、自分の方を向かせる陽菜。その後に続く言葉はなくて、私たちはしばらくの間、無言で見つめ合っていた。

「……私の顔、忘れないでね」

「忘れたくても、忘れられないよ」

 真剣な表情の陽菜に、笑って返す。

「……私が死んだ後、葵には、この夏休みのできごとを忘れて、新しい恋人を見つけて、早く幸せになってほしい。だけど同時に、年を取っておばあちゃんになっても、私のことを憶えていてほしいし、他に恋人をつくらず、私だけを愛し続けてほしいと、心のどこかで思ってる。……矛盾してるよね」

 ――私はその時、生まれて初めて神頼みをした。

「私も、矛盾してるよ。陽菜の裸を見たって、私は少しも興奮しないし、私は男の子を好きになる人で、陽菜は私の好きなタイプには、全く当てはまっていないのに、私はこんなにも陽菜が大好きで、陽菜以外の人が待つ家に帰る自分の姿を、想像できない」

 ――陽菜から、全ての記憶を奪ってくださいと、星空に向けて強く祈った。

「二人とも、矛盾だらけだね。なんだか、運命を感じる」

 ――必要な知識は、私が全て教える。どんなことが起ころうとも、私が守る。もう立派なお姉ちゃんじゃなくていい。ただ、笑顔で生きているだけでいい。陽菜の使命はただ一つ、私の「宝物」でいることなんだから。

「そう、運命だよ。陽菜は、私の運命の人」

 ――私も陽菜も、一人っ子だったことにしよう。陽菜の右脚も、本当に先天性の病気だったことにしよう。ずっと前から、私は陽菜の恋人だったことにしよう。陸上選手に代わる新しい夢も、二人で見つけていこう。

「それが本当なら、生まれて初めて、運命を愛せる気がする」

 ――だけど、そんな奇跡は絶対に起こらない。陽菜は、夜空に輝く小さな星だ。その体は、私よりも一回り小さく、ギュッと抱きしめたら、全てを分かち合えたような気持ちになるけど、その心は、手の届かない遠いところにあって、私にはどうしようもないほどの巨大な絶望を抱えている。


「……昔ね、飼っていた犬が死んだ時、お母さんに言われたの。『生き物は、死んだら星になるんだよ』って。陽菜が死んだら、私、夜が来る度に星を眺める」

 私の腰辺りまでしかない柵の向こうでは、暗い海が静かに揺らめいている。十一時五十五分。あと五分で、夏休みが終わる。

「ロマンチックだね」

 陽菜が静かに笑う。その表情は、五分後に死を迎える人のものとは思えないほど、穏やかだった。

「……ごめん。やっぱり、いま言ったこと、嘘だ」

 ――陽菜にとっての自殺は、救いだ。それを止めるのは、陽菜のことを何も考えていない自分勝手な行動だ。

「えっ?」

 ――だけど私は、やっぱり陽菜の自殺を止めたい。私は、もう大切な人を失いたくないんだ。陽菜を本当に想っているのなら、取るべき行動は違う。わかってる、わかってるんだけど、やっぱり……自分の心を殺してまで、私は陽菜を想うことができない。

「私、陽菜と一緒に自殺する」

「……何を言ってるの? ダメだよ、絶対にダメ!」

 私の肩を掴む陽菜は、噴火する火山のような激しい表情をしていた。

「どうして?」

「好きな人に死んでほしくないからだよ。当たり前でしょ?」

「それ、こっちのセリフだから」

「……葵は、私を苦しめたいの? 好きだって言ったのは、嘘だったの?」 

 風が音を立てて、私たちの間を吹く。視界の端の海が、大きな波を立て始める。

「嘘じゃないよ。だけど、陽菜がいない世界を生きる苦しみに、私は耐えられそうもないの」

「なにそれ? いっつもかっこつけてるくせに、弱虫じゃん。私は五年も耐えてきたんだよ?」

 声を震わせて私を罵倒する陽菜。その姿は、羽をむしられた鳥のように痛々しくて、私の心は、酸をかけられたようにヒリヒリと痛んだ。

「……私は、陽菜みたいにはなれない。弱虫でごめんね。だけど、やっぱり私は……」

「自殺なんてさせない、絶対にさせないから!」

「じゃあ陽菜は、自殺をやめて、ずっと私を見張ってないといけないね」

「…………」

 私のその言葉に、陽菜は押し黙った。どんな気持ちなのか判別できないくらい、色々な感情が混ざった陽菜の目。ナイフのように鋭い視線が、私の目を貫いている。お互いの顔を見つめ合っているというより、お互いの心を見つめ合っているような感覚だった。

「……本当に、いじわるだね」

 私たちが無言で見つめ合っていた時間は、せいぜい三分間くらいだろう。だけど、その三分間は、私の人生の中で一番長い三分間だった。

「私の苦しみをわかってもらいたくて、この自殺を止めないでほしくて、あんなにたくさん話したのに、まだわかってくれないんだ」

 私の目を貫いていた視線が、重力に負ける。陽菜は、自分の足元を見つめている。

「だから、私は陽菜の自殺を止めないよ? 自殺したいなら、すればいい。そしたら、私も後を追うけどね」

「……そういうところだよ。そういうところが、いじわるで、何もわかってないの!」

 陽菜の両目から、大粒の涙が堰を切ったようにぽろぽろと落ちる。その声は、怒鳴り声というよりも、悲鳴のようだった。

「葵が思っているよりもずっと、私は葵が好き。本当は、自殺なんてしたくない。ずっと葵と一緒にいたい。だけどそれ以上に……」

「わかってるよ!」

 陽菜がパッと顔を上げ、急に大声を出した私を見つめる。……私は、陽菜をさらうように抱きしめ、その頬を伝う涙を手で拭った。


〈勇気っていうのは、あればいいってものじゃない。勇気がなさすぎるのもダメだけど、過剰な勇気は、かえって失敗を招いてしまう。……いいか、葵。人生には、『きっとここが、運命の分かれ道だ』と直感する時が、何度かある。人が本当に勇気を出さないといけないのは、その時だ〉

 ――小さい頃の記憶、お父さんの膝の上で聞いた少し退屈な話。

〈その時の、その一瞬の選択で、それからの何年も何十年も続く人生は、大きく変わる。一生、誇りに思えるような選択をするのか、一生、後悔し続けるような選択をするのかは、その人次第だ。……多少、無鉄砲でもいい。自信も根拠も、後付けすればいい。葵は、後悔しない選択をするんだぞ〉

 ――この話を急に思い出したのは、きっとここが、「私の運命の分かれ道」だからだろう。


「……自分の家で暮らして、あの日のことを思い出すのなら、私の家で暮らせばいい。人とすれ違うのが怖いなら、学校になんて行かなくていいし、社会にも出なくていい。私が周りの大人を説得する。私が陽菜を養う」

 陽菜は呆然として、私の目を見つめている。零れ落ちていた大粒の涙は、目の縁でピタリと止まっていた。

「添い寝して寝かしつけるし、うなされている時は、『大丈夫』って言って優しく起こすし、あの風邪薬のCMが目に入らないよう、テレビもつけないし……」

 思いついたことを片っ端から挙げていく。そう、自信も根拠も、後付けすればいいんだ。

「陽菜が退屈しないようにゲームとか漫画もたくさん買うし、たくさんお話するし、たくさんデートするし、それに……」

 ――密着した二人の体の隙間から、手を伸ばし、陽菜は私の後頭部に手をかけた。

「……だから、かっこつけすぎだって。弱虫のくせに」

 やれやれという風に笑った陽菜は、一拍置いて、目を閉じた。私もつられて、目を閉じた。そして、それから更に数拍……予想はついていたのに、やはり私は、不意に唇に触れた柔らかいものに驚いて、目を開けた。

「葵は、これを恥ずかしがらずに目を開けてやってるんだ……」

 顔を赤くした陽菜が、しみじみと言う。そういえば、陽菜からのキスは、これが初めてだった。

「自殺は、諦めるよ。言っとくけど、葵の説得で心を動かされたとか、そういうことじゃないから。……死にたいっていう気持ちよりも、葵に自殺してほしくないっていう気持ちの方が、大きいと判断したの」

 陽菜があまりにも平然と言うから、私の脳みそは、少しの間、機能を停止した。

「……あれ、嬉しくないの?」

「嬉しい、よ? なんと言うか、その、言葉が出ない」

 黙って脳を再起動させている私を、陽菜は「変なの」という目で見つめていた。

「……陽菜、もう夏休み終わったと思うけど、本当に飛び降りないの?」

「うん、飛び降りないよ」

 脳内に溢れかえっていたガスみたいな「幸せ」が、徐々に固体化して、心の底にゆっくりと溜まっていく。

「……本当の本当に?」

「本当の本当に」

「…………」

 ガスが消え、クリアになった脳みそは、「これは夢じゃない」と私に告げている。 色々な感情が、間欠泉のように噴き上げてきた。何も言えなくなった私は、もう一度、陽菜を力の限り抱きしめた。

「ちょっと、苦しいって」

 そう言いながら、陽菜は私の体を押しのけようとするけど、私はこのまま一ミリたりとも離れたくなかった。少しでも離れたら、陽菜がどこかに行ってしまうような気がして、怖かった。

「……やっぱり、陽菜の死に場所は、こんな冷たい風の吹くところじゃないよ。陽菜は、百歳くらいまで健康に生きて、温かい光が差し込むベッドの上、私に手を握られて旅立つの」

 私がそう言うと、陽菜は全身の力を抜いて、私に体を預けた。その時の感覚は、恋人を抱きしめているというよりも、子供を抱きしめているような感覚に近かった。全身に感じている陽菜の温かさと感触が、「私は一生、この人を守って生きていくんだ」という使命のようなものを私に告げた。

「……勘違いしないでね。一生、自殺しないってわけじゃないから」

 強気な口調で言う陽菜だけど、その声は涙で少しくぐもっている。

「葵に自殺してほしくないっていう気持ちが、死にたいっていう気持ちよりも小さくなったら、私は迷いなく自殺するよ?」

「わかってる。明日、さっそく引っ越しの準備をしよう。私の部屋の向かいに、広い空き部屋が……」

「それ、本気だったの!?」

 陽菜のすっとんきょうな声で、私たちを酔わせていたロマンチックな雰囲気は壊れた。

「えっ? もちろん本気だよ」

「……いやいや、それは流石にやめておくよ。その代わりさ……これからは、私の好きなタイミングで、葵の家にお泊りしていい?」

 少し申し訳なさそうにしている陽菜。陽菜と一緒に暮らそうと本気で思っていた私は、少し拍子抜けした。

「そんなことでいいの?」

「あとは、生活の中で感じた小さな苦しみを、葵に逐一話すから、面倒くさがらずに、ちゃんと聞いてほしい。そして、優しい言葉を投げかけてほしい。……家族には、こんなお願いできないの。少しでも元気な姿を見せないと、お母さんも、お父さんも、きっと壊れちゃうから」

 陽菜の語気が、段々と強くなる。どうして、今まで言ってくれなかったんだと思いながら、「わかったよ」と優しく答える。

「……最後に、もう一つ。私、これからは車椅子を使うことにするよ」

「えっ? どうして?」

 唐突な宣言に驚いて、私は声を漏らした。

「健康な体に、あの頃の夢に執着していた今までの自分と、決別したいの。これからの私は、これまでの私とは違うから」

 ――嵐や津波にも負けないような、絶対に揺るがない意志を宿した目。その時の陽菜は、目の前にいる私だけではなく、未来を見据えていた。

「わかった」

 何か気の利いた言葉を投げ掛けようと思ったけど、陽菜のかっこいい姿にドキドキしている心臓が、頭の回転を邪魔した。こういう胸が締めつけられるようなトキメキを、陽菜に感じたのは、それが初めてだった。

「さて、寒いからもう部屋に戻ろうか」

「あっ、うん。そうしよう」


 暗い足元に気をつけながら、ホテルの明かりを目印にして、歩いて行く。私の手を握る陽菜の力は、心なしかいつもよりも強かった。

「本当におんぶしなくていいの?」

「うん。私をおんぶしてる時の葵、すごく辛そうだし、おんぶされてると、葵のかわいい顔がよく見えないからね」

 そう言いながら、私よりも早いくらいのペースで歩く陽菜。

「……あっ、そういえば、陽菜はこの温泉旅行のことを、家族になんて説明したの?」

「あー、確かに話してなかったね。まず前提として、家族と立てた予定では、私は明日、家族と一緒に自殺することになってるの。そして、葵はそれを知っている。だから、私との最後の思い出を作ろうと、この温泉旅館を予約してくれるんだけど、夏休み最後のこの日しか、部屋が空いてなくて、仕方がなく今日になった……みたいな感じで説明した。遠慮するお母さんとお父さんを説得するの、大変だったよ。葵は、どうやってこの温泉旅行を実現したの? 両親に協力してもらうの、大変だったでしょ?」

「そんなに大変じゃなかったよ? 最高の思い出を作って、陽菜に生きたいと思わせて、自殺を止めるって言ったら、二人ともすぐ協力してくれた」

 あっさりと答えた私に、信じられないというような顔をする陽菜。

「それで、葵の両親は納得したの? 失敗した時のことは、考えてなかったの?」

「うん。だって私、高城葵だもん」

「……ふふっ。葵ってさ、ほんとに自信家だよね」

「まあね。人の何倍も努力してきたし、実際、それが結果にも表れてるから」

「女の子同士でこうして付き合っていることに、何も言わないのも、自信があるから?」

 そう訊きながら、陽菜は私の方に体を寄せる。

「うん。異性同士で付き合うのが普通だっていうのも、所詮は私以外の人間が決めた常識だからね」

「かっこいい……けどさ、私以外の前では、あんまりそういう言い方しないでね。あと、葵が正しくて相手が間違っている場合でも、あんまり怒りすぎないこと」

 何を思ったのか、急に説教のようなことを言い始めた陽菜。宗助にもそんなこと言われたなと思いながら、私は陽菜の話を適当に聞いていた。

「お説教?」

「うん、お説教」

 陽菜の表情は、思ったよりも真剣だった。

「自分が悪いくせに、怒られたら逆上して暴力を振るうっていう人は、案外たくさんいるからね。……葵には、私みたいな思いをしてほしくないの。それに、葵は政治家になりたいんでしょ? 失言は、命取りになるよ?」

 心から心配してくれているのが、手に取るようにわかった。適当に聞いてごめんねと心の中で謝りながら、次からは絶対にしないと心に決めた。

「わかった。気をつけるよ」

「まあ、葵は『掛川陽菜大好き星人』だから、私に心配させないためだったら、長年の癖でも一瞬で直せるでしょう」

 ニヤニヤしながら言う陽菜を見て、私はいつもの日常が戻ってきたことを、今更のように感じた。

「いいや、確かに陽菜のことは大好きだけど、私はちゃんと地球人だよ」

「嘘だあ。だって、夏休みの間、仲良くしてただけで、命をかけられるほど私のこと好きになったんでしょ?」

「……改めて言われると、確かに私ってヤバいかも。本当に『掛川陽菜大好き星』に生まれたのかな?」

「そうだよ。ちなみに、私は『高城葵大好き星』出身」

 少し時間を置いて冷静になると、私は自分たちの会話のバカらしさに、思わず吹き出してしまった。すると、私につられて、陽菜もお腹を抱えて笑った。


「……幸せだね」

 ひとしきり笑った後、やっと真顔に戻った陽菜が、ポツリと呟く。

「そうだね、とっても幸せ。だけど、ここが頂上ではないよ? 『あの日』のトラウマを、二人で一つずつ克服していく度に、私たちは、もっともっと幸せになっていくんだから」

 もう戻ることはないと思って出てきたホテルに、私たちはこうして傷一つない体で入っていく。

「……葵のことだから、『トラウマ克服特別合宿』みたいなことしそうだけど、それはやめてね。ゆっくり、一つずつ克服していきたいの。だって、時間はたくさんあるでしょ? 人生百年時代。私たちも運が良ければ、あと八十五年くらいは生きられる。『夏休みが終わるまで』なんかとは、比べ物にならない。私たちは、『人生が終わるまで』一緒にいるんだから」

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夏休みが終わるまで てゆ @teyu1234

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