もちろん、踏んでくれてもいい
あかいあとり
もちろん、踏んでくれてもいい
金的を蹴り上げられるたび、僕は宇宙の深淵を覗き込む。痛みとともに思考のすべてが吹っ飛ぶあの感覚は、それ以外に表現のしようもない。
「付き纏うなって言ってんだろうが、この変態野郎!」
女子高生にしてはいささか荒めの口調は、日頃から自分の性別について悩んでいるからこその、荒巻なりの世間への反抗なのだろう。
性自認が何であろうと荒巻は荒巻で、僕の大事な妹分――あるいは弟分であることに違いはない。だから無理して口を悪くすることはないんだよ。兄貴風を吹かして諭した瞬間、股間から脳天までカァンと突き抜けるような、あの独特の激痛が再度走った。
「うるせえんだよ! はじめから男に生まれた榊に、何が分かる!」
僕は君よりひとつ歳上なのだから、できたら先輩をつけて欲しい。痛みに股間を押さえながら途切れ途切れに訴えるが、取り合ってはもらえなかった。
見た目だけなら美少女の荒巻が、髪とスカートを揺らしながら、何度も何度も僕の股間を蹴り上げる。痛い、と叫ぶたび、「俺にはついてねえんだから分かんねえな」と歪む荒巻の表情に、ぞくぞくした。
身体的には力負けするはずのない相手に、金蹴りひとつで支配されるこの快感。モノがついているがゆえの優越感でもあり、ついているからこそ感じざるを得ない劣等感は、クセになって久しい。
脂汗を呼び起こす激痛と吐き気は、軽く意識が飛ぶほどキツかった。悶絶しながら転がるうちに、全身を巡っていた激痛は腹と睾丸にじわじわと収束し、しっとりと響く鈍痛に変わっていく。
体育館の中央で、気付けば僕はひとりだった。
のそのそと起き上がり、震える手でスマホの監視アプリを起動する。赤い点が示す荒巻の現在地は、部室棟。帰宅部の上、ろくに友だちもいない荒巻には、間違っても縁のない場所だ。
「……呼び出しになんて行かない方がいいよって言ったのに」
知らないアプリを入れたままにしておく警戒心のなさといい、話があると言われたら馬鹿正直にひとりで出向くところといい、ハリネズミのように刺々しい態度をするくせして、荒巻にはどうにも抜けたところがある。
僕がしっかり見守ってあげなくては。
鈍痛を訴える股間を右手で押さえつつ、僕はよろよろと部活棟へと足を運んだ。
放課後の部室棟というものは、穴場である。部員たちはグラウンドに出ているし、空き教室をわざわざ見回る教師もいない。古く汗臭い部室が告白やデートに向いているかと聞かれると微妙なところではあるが、少なくとも、人に見られたくない行為をするのにうってつけであることは間違いなかった。
「離せ!」
「うるせえよ、
人が人をどつく音は独特だ。見ずとも分かる、暴力の匂いが部屋の外まで漂ってくる。
女のうめき声が聞こえた。荒巻の声だ。囃し立てるように、何人分もの下品な笑い声が続く。
「ざまあみろ。人の彼氏盗っておいて、澄ました顔してた報いだよ、荒巻」
「知らねえよ。俺は男に興味はないって、何度も言ってんだろ。愛想尽かされたのを人のせいにしてんな、性格ブス!」
「はあ? あんたさ、自分の立場、分かってる?」
キャットファイトの気配。ぜひとも拝見したい。荒巻が自分の身体性別を疎んでいるのは知っているが、女相手にためらいなく本気で手を上げられるところを見るにつけ、荒巻が女として生きてきた歴史を感じて、僕はたまらない気持ちになる。
どきどきしながら扉に耳を当てる。しかし、すぐに他の男子生徒の声が割って入ってきたので、心底がっかりした。
「俺、俺って言うけどさあ、荒巻ちゃんは女じゃん。男だって言うなら、俺の腕、剥がしてみろよ。できねえだろ、なあ?」
「やめろ!」
「……今の時間帯なら、誰も来ないよな。ちょーっと痛い目見せてやってもよくねえ? 分からせてやろうぜ?」
「嫌だ……!」
荒巻の声に恐怖が混ざった。解釈違いである。
僕は男と女の間で不安定に揺らぐ荒巻が大好きだが、こういう揺らぎは望んでいない。荒巻は強くて、生意気で、乱暴もので、――そして誰より金蹴りがうまい。そうあるべきなのだ。
扉から十分に距離をとった僕は、思いっきり助走をつけて、締め切られたドアに飛び蹴りを喰らわせた。古いプレハブ小屋の扉だけあって、バキッと派手な音を立てたそれは、気持ちいいくらい綺麗に吹っ飛んでいく。
ヒーローになった気分で場に踏み込むと、床の上で鼻血を流している荒巻と目が合った。
「榊……なんで……」
「僕は君のストーカーだからさ。どこまででも付き纏うよ」
「キショい」
荒巻の目に力が戻る。手を差し出したが、乱暴にはたき落とされた。ひとりで素早く立ち上がった荒巻は、掴みかかってきた男子生徒をきっと睨みつけると、鋭く足を振り上げる。
カァンと気持ち良く響く鐘の音が、聞こえた気がした。
股間を押さえた男子生徒が地に沈む。きっと今彼は、宇宙の深淵を覗き込んでいることだろう。いいなあ、と眺めたところで、がしりと手首を掴まれる。
「えっ、荒巻……?」
さては逃避行のはじまりかと胸を高鳴らせたが、当然のようにそんなわけはなかった。ガラの悪そうな男子生徒たちに向けて、荒巻は容赦なく僕の背を突き飛ばす。
「仲良く消えろクソども!」
そんなぷよぷよじゃないんだからと突っ込む間もなく、ぶつかり合ってまごつく僕らを尻目に、荒巻は走り去る。
さすが荒巻。そんな君が大好きだ。
殺気立つ生徒たちに愛想笑いを向けつつ、僕は愛に殉じる覚悟を決めた。
荒巻。君が女性的な装いを嫌うのは知っている。けれどどうか、僕が無事に帰れたその暁には、一度でいいからヒールを履いて、僕の金玉を蹴って欲しい。
もちろん、踏んでくれてもいい あかいあとり @atori_akai
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