バベル

真花

バベル

 初日の今日は、作業を終えた現場作業員に突撃取材をする。

 現場から三人が固まって出て来たので、カメラと音声を従えて急ぎ足で近付く。男三人組は私の姿を認めて足を止めた。もしくは、カメラと音声が大きく構えているからそうしたのかも知れない。中央にいる小太りの男にマイクを向けずに、名刺を出して声をかける。

「ちょっといいですか?」

 男は私を見て、名刺を見て、カメラを見て、音声を見た。そっちじゃないよ、私は名刺をぐっと押し出す。男の左にいた背の高い男が、名刺を受け取りなよ、と助け舟を出してくれた。男は名刺を手に取り、書いてある文字を一文字ずつ読むようにゆっくり目を動かした。男の右にいたガッチリした男が、横から覗いて、あの夕方のニュースの? と私に訊くから、そうです、と答えた。真ん中の小太りが名刺から視線を私に上げる。

「そうですか。それで、何ですか?」

 小太りもガッチリも長身も、見るからに疲れていた。疲れていたが興味を持っていた。こっちに興味を持たせた時点で取材出来る確率は半分を超える。釣りで言うならば餌に食いついたぐらいのフェーズだ。迅速かつ慎重に釣り上げなくてはならない。私がしたいのはその後の調理と料理の提供なのだから。

「この建設物、通称バベルの現場で働くあなたに取材をしたいのですが、よろしいですか?」

「俺? こいつじゃなくて?」

 小太りは長身を指差す。長身からは、僕なら取材を受けますよ、と言う気配が漂っている。ガッチリも乗り気だ。三人まとめて釣り上げよう。だが、最初は小太りだ。乗り気な獲物は多少放置していてもちゃんと食らいついて来る。

「はい。あなたです」

 私はマイクを構えようと準備する。まだ上げない。釣り竿みたいだ、本当に似ている。小太りは長身の顔を見て、ガッチリの顔を見て、私の顔を見る。

「何で?」

 見た感じ色々喋りそうに思ったから。もっと言えば口を滑らせて面白いインタビューにする「素材」を提供してくれそうだから。パッと見でする人物評定が当たることも外れることもあるが、何も基準がないよりはマシだ。

「インスピレーションです。何か思うことがおありになるんじゃないかと」

 小太りは、はは、と笑う。左右の二人と順番に顔を見合わせて、三人ともが、はは、と笑い直す。小太りがまるで半歩前に出たかのように圧力を強める。それは不敵で、不遜で、怖いものなどない悪童のような半歩だった。私は圧に負けて少したじろぐ。だが、少しだ。本格的に負けてはいない。こんなところで負けるようでは取材なんて出来ない。小太りがナマズのように口元で笑う。釣れた。

「いいよ。取材受けるよ。で、何が訊きたいんだ?」

 私はマイクを上げる。小太りはちょっと嬉しそうにマイクを眺める。テレビに出ることに喜びを感じているようだ。やりやすい。名前と年齢、職業を最初に訊いてから本格的な取材に入る。三間将吾みましょうご、四十七歳、バベル現場作業員。

「ここではどんな作業をされていますか?」

「普通の建築作業だよ。朝にはラジオ体操をするし、安全の指導もある。昼休みや休憩はしっかりあって、いい現場だよ」

「この建物が何て呼ばれているかご存知ですか?」

「バベルだろ?」

「それではなくて、もっとあだ名的なもので」

「知らないね」

 その顔は知っている顔だ。だが絶対に言わないつもりだ。現場作業員がこの呼び名で呼んだら、キャッチーだったのに。私は切り替えて、次の質問に進む。

「この建物の目的を知っていますか?」

「世界一高い塔を作ることだろ? それくらいは知っている」

「では、どうしてそんな高い塔が必要なんですか?」

「俺達はその日割り当てられた仕事をする。それだけだ。最終的にこの仕事が何になるかは、世界一高いと言うだけで十分だ」

 三間は隠しているのか。それとも本当に知らないのか。私は賭けに出ることにした。恐らく、三間は似たような質問をしてもはぐらかすか知らないかだから、時間の無駄になる可能性が高い。だから、こっちから情報を突っ込んで、ところてん式に吐き出させる。

「バベルは、『欲望の塔』と呼ばれています。その目的は天に届くこと。信じられないことに、バベルの施主は天に至ろうと、つまり、神になろうとしているのです。これについてどう思われますか?」

 三間は、へっ、と吐き捨てるように声を漏らす。長身とガッチリの視線が冷ややかに私を穿つ。横の二匹の魚はもう釣れなそうだ。だが、三間は釣れている。まだ逃さない。三間がマイクに顔を近付ける。

「そんな上の事情は知らない。俺達は安全に確実に今日の分の仕事を終えられるかだけを考えているんだ」

「その上の人のやろうとしていることの、片棒を担いでいるんですよ?」

「それが嫌ならとっくに辞めている。あんた、何がしたくてこの取材をしているんだ?」

 その言葉と共に、三人が一枚の大きな岩になったかのように見えた。私は潰されるのか。いや、重みは感じるが相手もそこまではしようとはしていない。違う。今のところだけだ。マイクとカメラで作られた砦に、取材を受ける相手に対する確固たる優位性に、岩の重圧でヒビが入った。私達と男達の間にあった高低差がなくなる。脅かされる感覚に、背中に冷たいものが走る。自分の顔が引き攣るのが分かる。私から絞り上げられるように声が出る。

「……すいません」

 だが、私は頭は下げるがマイクは下げない。このピンチは同時に「素材」を手に入れるチャンスだ。三間はマイクに向かってはっきりと言った。

「あんたのジャーナリズムは何だ? まさか、お茶の間の不満を満たすための動画を作るとかじゃないだろうな?」

 私は息を呑みそうになる。それを堪えて首を振る。三人分の六つの目が私に刺さっている。こっちだって三人なのに、私は孤軍でしかない。

「そんなことはないです」

「勝手に覗いて、勝手に編集して、勝手に解釈する、そう言う番組には辟易しているんだ。あんたが違うならよかったよ」

 三間はマイクから顔を離して、名刺を私に押し返した。長身もガッチリもそれを合図に歩き出し、三間も一緒にそのままいなくなった。私は追いかけることが出来ずに、その場に立ち尽くす。マイクを構えたままだった。何人もの現場作業員が私達の前を通過して行った。やっと見た自分の名刺は、半分に折られていた。


(了)

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