エピローグ

青空へと続く螺旋

 ゆらゆらとゆれる無重力の中、ゆりかごで眠るように気持ちは穏やかだ。頭の中には心地よい子守唄が、螺旋を描くように流れ続けている。

 あの片目のカニバルとの対決から二日たった。ノアもタテガミも、疲れと安堵からか泥のように眠り込んだ。その眠りの中でノアは夢を見ていた。伝説の都ノアで、オメガの子守唄を聴きながらすくすくと成長し、やがて親元を離れ、この地上に移り住む夢を……。

 キメラの中の一人が言い出した。

『この星をカノンと名づけよう! ぼく達はカノンの民だ』

 カノンの民は地上に移り住んだ。いつしか故郷の都を忘れてしまっても、決して忘れないものがあった。それはエスペランサ博士の思想と、マザーアマルの希望、そしてあの子守唄。言葉や形では継承できないものを、彼らはその魂に脈々と受けついでいった……。

「ノア! ノア!」

 タテガミの呼び声で、ノアは目を覚ました。

「一体いつまで眠る気だよ。マザーが呼んでるぜ」

 ノアがマザーの居室へと向かうと、中ではネジ式とオメガが走り回っていた。

「おはようございます。ノアさん、気分はどうですか?」ネジ式がかけ寄ってくる。

「もう大丈夫よ。それよりふたりとも、何をそんなに忙しそうにしてるの?」

「サンプルの解析が終わりました。カニバルたちの持つ特殊な酵素を、打ち消す物質を発見できたのです! 現在、それを投薬できるよう調整しているところです」

「じゃあ⁉」

「ええ! カニバルは同じキメラを食べなくても、生活できることになります。もちろん、どうやってそれを彼らに投与するかはこれから考えなくてはなりませんが」

 嬉しい知らせだった。ネジ式とオメガは、各地に散って失われた他のロボット――仲間達を回収し、共にデータ解析をして、カニバルの治療に当たればきっとうまくいくに違いないと考えた。まるでさっきまで見ていた夢の、幸せな続きのようだ。

 エスペランサ博士の意志とマザーの希望。共に助け合い、補い合い、このカノンの地で互いに一つの平和の螺旋を築いていく、そんな一歩目を踏み出した気分だった。

「目覚めたようですね、ノア」穏やかな声が呼びかけた。

「今回のことでは大変感謝しています。あなた方がこの〝ノア〟を訪れなかったら、この星は、地球と同じ運命を辿っていたかもしれません」

 失った仲間のことが悔やまれる。ノアとタテガミは、涙で目をにじませていた。

「しかし不思議なこともあるものですね。忘れ去られた〝ノア〟に、その名を継承する少女が戻ったとき、再びカノンの十二の光の粒が調和の音色を奏でるとは……」

 マザーの言葉は抽象的だった。ガラスパネルに十二色の光の色が浮かびあがり、ゆっくりと回りながら一繋がりになっていく。コンピューターであるマザーの中に、エスペランサ博士の記憶が希望の未来を見せた。

 ひととき訪れた沈黙が、ノアにはマザーの涙に思えた。ネジ式とオメガは、ずっと忙しそうに動き回っている。それをほほえましく思いながら、ノアはマザーに尋ねた。

「マザー達は、カニバルの件が片づいたら地球に帰ってしまうの?」

「その必要はないのです」ゆったりとしたマザーの声が部屋に響く。

「マザー! それはまさか⁉」

 ネジ式が驚いて動きを止め、次の言葉を期待して待った。

「調査を続けるうちに、この星は荒廃後の未来の地球だと私は考えるようになりました。ハイパードライブに入った〝ノア〟のシステムが壊れるほどに、予測を遥かに超えた磁場が発生したのか。それがもし時空を超えた衝撃によるものだとしたら、説明がつきます」

「さしずめ、ノアさんもタテガミさんも、地球の新人類ということになるのですね!」

 ノアにとって、ここが未来の地球なのかどうかはさほど問題ではなかった。

 ただこれからもこの星で皆と共に暮らせる事実だけが嬉しかった。

「いいえ、私達はカノンの民。エスペランサ博士の意志とマザーアマルの希望と愛情を受けついで産まれた、互いに補い合って助け合うカノンの民よ」

 マザーは、「そうですね」と優しく答えた。大切なのはこれからの未来だ。ここが未来の地球だとしても、そうでないとしても。

 忘却の都、スペースシップノアの中央に位置する部屋の中心には、船上へと続く螺旋階段が備えつけられている。屋上へと続く階段をのぼり、扉を開いた先には、モヒが静かに眠る墓があった。一面に広がる緑の樹海が見渡せ、頭上にはすき通る青い空を真っ白な雲が流れていく。

 ノアとタテガミは蒼穹の空を見あげた。ふと、二人の間を優しい風が通り過ぎていく――その瞬間、地上から舞いあがった葉が風に乗り、螺旋の軌道を描いて、青空の中へと消えていった。《了》

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カノンの子守唄 虹乃ノラン @nijinonoran

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