第九章

オメガの子守唄

 音なきアラームの点滅の中、ノアの目の光は一つの決意を心に誓ったように力強かった。そんなノアの内なる決意をタテガミもネジ式も感じとった。

「ノア……」

「もし、カニバルも一緒に私たちの祖先がここで共同生活していたのなら、私たちの祖先はとっくに彼らに食いつくされてたはずよ」

 思いの外冷静なノアに、ネジ式は驚いた。

「つまり、何が言いたいのですか?」

「オメガよ。きっと彼なら、カニバルを一時的におとなしくする方法を知ってるはずだわ! ねえ、ネジ式、背中のネジを回せばオメガも動くのよね? 扉を開ければ、カニバルはまっすぐこっちへやって来る。私がおとりになるから、タテガミはオメガの所まで行って、動かして一緒に戻ってきて」

「それじゃあノアが持たない! 絶対だめだ!」タテガミは強く反対した。

「タテガミがおとりになっても、私にはカニバルをかわしてすりぬける自信はないもの」

 俊敏性の高いタテガミだからこその作戦だった。

「適材適所……ですか」

 タテガミはそれでも納得がいかない。

「それに……」ノアは、モヒの木刀を手に取ると、かわりに持っていた銃を床に置いた。

「私が行ったとして、オメガを連れて戻ってきたとき、もしタテガミに万が一のことがあったら……私は本当にカニバルに復讐してしまう。でもそれは……きっとモヒの願いじゃないわ」

 モヒの勇気を踏みにじりたくない。ノアは答えを見つけ出していた。

 ノアは、復讐の連鎖を断ち切ろうとしていたのだ。

「ノア……」

「ノアさん! ……よし! やりましょう! ノアさんは私が全力で守ります!」

 三人は決断し、心を一つにした。扉の向こう側では開かない扉に叫び疲れたカニバルがいらだちまくっている。ネジ式は扉のパネルまで進み、扉を開ける準備をした。

「タテガミ! カニバルは左目がつぶれてる! 隙を作るから左側からぬけて!」

 カニバルの行く手をさえぎっていた扉が開かれる。

 ノアは握りしめた骨笛を頭上で大きく回しながら飛び出し、カニバルの右目に向かって投げつけた。突然の襲撃に油断していたカニバルは、右目を庇って、咄嗟に体を丸めた。

 その一瞬の隙に、タテガミがカニバルの脇を駆け抜けた。

 カニバルは、牙をむき、よだれを垂れ流しながらノアとネジ式に向かってくる。タテガミが通り過ぎたことには気づいていない。

 ノアが力強く叫んだ。

「決着をつけよう!」

 その手には、モヒの木刀がしっかりと握られていた。

 タテガミは全力疾走した。廊下を駆け抜け、階段を飛びおりると、あまりの勢いで止まらずに壁に激突してしまった。額から血をにじませたまま、さらに階段を飛びおりて長い廊下を走っていく。早くノアの所に戻らないと! 痛みも疲れも息切れも、今は何も感じない。タテガミはただ集中して、戻ることだけを考えながら必死に走った。扉をけ破り、オメガにかけ寄って背中の大きなネジに手をかける。

「動け! 動いてくれ!」

 長い間眠っていたオメガのネジは、とてもひとりの力で巻けるものではなかった。ボキボキとタテガミの手からにぶい音が響く。力を緩めることなくネジを回し続けるが、巻き切ったときにはタテガミの両手の骨は完全に折れてしまっていた。

 眠りから目覚めたオメガが辺りを見渡し、途切れた記憶をたどる。

「おまえの大事なカニバルが暴れてるんだ! 一緒に来て力を貸してくれ!」

 目の前で、自分が愛情をかけて育てたキメラの末裔が叫んでいる。しかも一刻を争う様子で。全貌はわからずとも、オメガにはそれが緊急事態であることが分かった。

「行きましょう!」

 モヒの眠る部屋の前では、カニバルの激しい攻撃を死に物狂いでかわすノアとネジ式がいた。戦うにはあまりにも廊下は狭い。

「中へは入らせないわ!」

「モヒさんの元へは決して行かせません!」

 安らかな眠りを邪魔させたくない。ふたりはなんとしてもカニバルを阻止したかった。

 ノアの体に痛々しい爪痕があった。同じようにネジ式にもノア以上の傷痕ができていた。

 ノアはしつこく襲いかかる爪をモヒの木刀で必死に防いだ。しかしカニバルの力を受け止めるにはあまりにもノアは非力だった。体ごと弾かれて壁に打ちつけられる。頭を強く打ったノアは朦朧として、体の自由がきかなくなり倒れこんだ。

 カニバルは容赦なく止めをさそうとした。助けようとしてネジ式が飛びこむと、ふりおろされる爪にネジ式の体が当たり、カニバルの狙いが外れた。爪はノアの体を少しだけそれ、ノアの右腿に深くつきささった。痛みでノアの意識がさらに遠退いていく。

「ごめん、タテガミ。持たなかったわ……」

 ノアの腿から爪をぬき、カニバルが再びノアの心臓目がけて止めをさそうとしたその時、その体を何者かが後ろから羽交い締めにして、「やめなさい!」と叫んだ。オメガだった。

 カニバルが暴れて叫ぶ。頭が割れそうなほどの声にノアたちは顔を歪めた。

「タテガミさん、準備を!」

 オメガが叫ぶ。タテガミは科学者の誰かが使っていたヘッドフォンを持ち、羽交い締めにされているカニバルの耳に装着した。

 オメガはカニバルにしがみついたまま、ヘッドフォンを押さえつける。

「ノア! もう大丈夫だ!」 

 タテガミはノアにかけ寄ると、折れた指でノアの体を抱きかかえた。

「ミュージック、カノン、再生」

 オメガがカノンを再生する。それは、ネジ式が初めに聴かせた音楽だった。ノアたちがカノンに反応を示していたのは、オメガによる子守唄として、祖先からその遺伝子に脈々と刻まれていたからだ。

 カニバルは、次第に暴れるのをやめ、右目から涙を流し、天井を仰いだ。

「お…おれ……を……とめ…て…くれ……」

 このとき、初めてカニバルは言葉を話した。コントロールできない暴走を止めてほしいかのように……。ノアは最後の力をふり絞り立ちあがる。指が食い込むほど強くモヒの形見を握りしめるノアを、タテガミが折れた指で支えた。

「止めてあげるわ」

 ノアはふりかぶり、強烈な一撃をその顎に叩きこんだ。カニバルの意識は失われ、膝から崩れ落ちると、そのまま床へと沈んでいった。

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