オガイモゴイ ❷
これなんて言うのと首を傾げるコウスケくんに、これはステゴサウルスだよと教えてあげる優輝が私たちの目に映っていた。
「優輝くんってほんと面倒見のいい子よねえ。コウスケ、しょっちゅう優輝くんに色々教わるらしいよ」
「そうなんだ。最近お兄さん化がすごいから、困ってる人は助けないと、みたいな使命感があるのかも」
そう言うとコウスケくんママは「頼りになるねえ」と羨ましがるように言う。
コウスケくんの自宅で度々行う茶話会は、優輝の優秀さを聢と窺うことができる。
コウスケくんママはうっかりさんで緩やかなコウスケくんを若干心配しているようだった。
このままで本当に大丈夫かしら。大人になったら社会についていけなくなるんじゃないかしら。
コウスケくんのことを想うがあまり、相当先の未来までもを憂うのがコウスケくんママだった。
そして私は、そんなことにはならないよ杞憂だよと言う係だった。
今の時点で将来の性格や気質が確定しているわけではない。
コウスケくんらしく、のんびりとすくすく育っていけば、きっと良い子のまま大人へなるに違いない。
コウスケくんママと私の座っているダイニングチェアの向かいには、それなりに大きなテレビがあった。
そのテレビの乗っているテレビ台には、思うがままに作ったのであろう可愛らしい粘土があった。
「あれ可愛いね」と微笑みながら私は指を差してみる。
「あれ、コウスケが言うにはキリンらしいのよ。でも、どこら辺がキリンなのかあんまり分かんなくてねー。脚すっごい短いし、首そんなに長くないし」
面白可笑しく言うコウスケくんママは息子の作品を下手っぴでやんなっちゃうといった風に表現するが、キリンを作ったつもりがキリンにはあまり見えない動物に仕上げてしまったコウスケくんのことが愛おしいのだろう。そのハツラツに笑った顔が愛情に溢れていた。
「……あのさ、ちょっと聞きたいことあるんだけど」
あまり気にすることはないと思うが、万が一優輝の聞く耳を立ててしまうことがないよう、声を抑え目にしてコウスケくんママへ語りかける。
「優輝が前保育園で作った粘土って見た?」
コウスケくんとよく遊ぶ優輝であるし、コウスケくんママが園へコウスケくんを迎えに来た際、偶然優輝の粘土を目にしている可能性があった。
「ああーっ、うんうん、見たよ前。でも、正直なんなのかあんまり分かんなかったけど」
コウスケくんママも一応優輝の耳へ入らないよう、配慮をして小声で話してくれている。
私はポッケからスマートフォンを取り出し、フォトを開く。そして、撮影した優輝の粘土をコウスケくんママへ見せる。
「ああーこれね。うんうん前見た。その時は優輝くんに聞かなかったけど、これってなんなの?」
「優輝が言うにはね、もぐららしいの」
コウスケくんママは驚いて、スマホの写真をかなり凝視する。
「もぐら……。これ、もぐらなの?」
私は首を傾げて「らしいんだけど」と返す。
「どうやっても、もぐらには見えなくない?」
私がそう尋ねると、コウスケくんママはしばらくスマホへ目を向けて「うん、確かに」と肯定した。
「珍しいね。優輝くんっていつも上手に粘土作るのに。私たちの知らないもぐらってことなのかな」
「一応調べてみたんだけどね、こんな形のもぐらはいなかったの。それどころか、多分他の動物でもこの形のはいないと思う」
優輝を疑うのはやはり心苦しかったが、どうしても気になってしまい検索アプリでもぐらの種類や変な形の動物を検索し、調べることをしてみた。
しかしやはり、優輝の作った粘土と似た形の生き物は存在しなかった。
冗談も嘘も滅多につくことのない優輝が、これまでの作品からは百八十度変わった志向のものを作り上げたこと、そしてこれをもぐらだと言っていることに、コウスケくんママもだいぶ驚愕にさらされているようだった。
「それでね、このもぐらの名前が、オガイモゴイって言うんだって」
「オガイモゴイ?」
「うん」
驚愕の上に疑問を上乗せするコウスケくんママは、人差し指と親指を顎へやった。
「ちゃんとそれも検索したんだけど、一件も出てこなかった。優輝が何かと勘違いしてるだけなのかな」
コウスケくんママへ向けていたスマホを自分に向け、家に持って帰ってきてから何度も首を傾げて見ていた優輝の粘土を再び写真で見て、やっぱりよく分からないなと思う。
「まあ、こういうこともあるんじゃない? 優輝くんだってかなりのしっかり者だけど、まだ六歳なんだし」
結局コウスケくんママも私と同じ理解の仕方で落ち着いたようだった。
「気にしなくても別にいいのかな」
スマホの画面を閉じて、テーブルへ突っ伏す寸前のような体制をとる。
これまでも気にすることはないと頭で判断するものの、心の方が気に掛かって仕方がなかった。
結局どれだけ大丈夫だ気にするなと内側へ語りかけようと、気づけばまた、焦るように優輝の粘土のことが気になってしまっている。
「どうなんだろうなぁ」
コウスケくんママは真剣に悩んでくれる。気にしないでいいでしょと誰にでも言えることをしないで、しっかり寄り添ってくれる性格が尊敬に値する
「関係あるか分かんないけどさ」
新たな話の種を撒いてくれるコウスケくんママに、私はうんうんと言って若干の前傾姿勢をとるくらいに耳を傾ける。
「こういう話信じるかな。由香ちゃん現実味のない話信じなさそうだから」
途端に嫌な予感が目の前を通り過ぎる。興味を持って自らその先を聞くことはできなかった。
「保育園のある場所って、昔は死体遺棄の場所だったんだって」
優輝を五年近く保育園に通わせているが、今初めてそのことを知った。
「他のママから聞いた話なんだけど、多分あんまり広まってる話じゃない。園の先生でも知らない人はいるくらいじゃないかな」
私は優輝の方を見る。お兄さんとしての自覚を胸に、コウスケくんを見守りつつ、ブロックで遊んでいる。二人とも同じ歳だけれど、やはり優輝の方が一つ上に見える。
その話を聞いてすぐに、優輝が心配になってしまった。
「それってほんとの話?」
「うん。噂じゃなくて本当だって私は聞いたよ。まあ、肝心の証拠はないらしいんだけど」
コウスケくんママは自分もその話を本当の話であるらしいと言いつつ、半信半疑な表情を醸した。それでは結局噂なのではないか。
「それって、戦時中とかの話?」
「うん、そう聞いた。戦時中だから死んだ人を弔ってる余裕なんかなくて、病気とか飢餓で死んだ人の遺体をまとめて土の穴に入れて、埋めたんだって」
思わず顔を顰めてしまうくらいにおぞましく胸の苦しくなる話であるが、その時代は仕方のないことだったのだろう。
「つまり、その死んだ人たちをまとめて土に埋めた場所が、園内ってこと?」
コウスケくんママは「そうなるかなあ」と自分も信じたくないような感じではあるが、肯定する。
「ま、て言ってもその優輝くんの粘土と関係があるのかは別問題だよ。確かに優輝くんにしては珍しいことだと思うけど、どこまでいっても園児は園児だから。子どもって急に変なこともするでしょ? コウスケだって最近になって突然胡座かき始めたんだからさ。なんでそれするのって聞いても、ちゃんとしたこと答えてくれないし。まあ本人なりの精神統一的な感じなのかもしれないけど」
私としても、優輝のことをいつまでも自分の理解に及ぶ範疇にいてくれる子どもとして見てしまっている節がある。コウスケくんママの言うように、優輝だって保育園児であるのだ。次は小学生になるんだし、今の時期が転換期とも言える。
「確かに、私の考えすぎだったのかもしんない」
「多分そうだよ。もしかしたらその粘土も、優輝くんが自分を表現しようとして作ったものなのかもしんないし。ほら、見方によってはさ、なんか芸術品っぽく見えてこない? あれ」
捉え方を変えればそう見えなくもない。あれが美術館の石像などの隣に置いてあったとしても、確かに違和感はなさそうだ。
「そうだけど、でも私はちょっと、不気味に思えて仕方ないや。どうやっても愛着を湧かせるのは難しそう」
またしても優輝の耳に入らぬように小声で話す。
「ママー、これほら」
すると優輝がやってきた。後ろには家来のようにコウスケくんがついている。さっきから二人して組み立てていたブロックのおもちゃが完成したようだ。
「……これはなに?」
私が尋ねると、優輝は「ほらあれだよあれ、えっとなんだっけ」と名前を思い出そうとする。
「あ、オガイモゴイ」
身体の表皮に電撃がひた走るように、鳥肌が立った。その鳥肌は優輝が持ってきたこのブロックのおもちゃを目にした瞬間から、立とうと準備をしているようだった。
「……コウスケくんと一緒に作ったんだよね」
「うん」
どう言えばいいのか分からなくて、何秒も沈黙を貫いてしまった。
優輝はコウスケくんと一緒に作ったと言っているが、二人の関係性を見る限り、恐らくは優輝が主導となってこのブロックのおもちゃを組み立てたのだと思う。
「コウスケくんも知ってるの? オガイモゴイ」
優輝の後ろにいるコウスケくんへ尋ねるが、コウスケくんは緩やかに首を傾げる。
「あんまり」
やはり、優輝が言っていた通りだ。
コウスケくんはよく分かっていなかった、と優輝は初めて私に粘土を見せてくれた時に言っていた。
ブロックのおもちゃは赤青黄緑とたくさんのカラフルな配色で組み立てられていた。
しかしやはり、その造形は優輝の作った粘土と同じく、不気味さを纏っていた。
粘土と同じくうねうねしている部分が多く、顔のような箇所もある。粘土の構造と全くと言っていいほど同じであった。
これほど様々な色が使われているのに、優輝が作ったあの粘土を見た時と同じ感情を抱いてしまっている。
「そろそろお昼にしようよ」
コウスケくんママが私へそう言ってきて、私はしばらく沈黙をしてから「そうだね」と返した。
ここでお昼ご飯を一緒にさせてもらうことをすっかり忘れていた。恐らくコウスケくんママは私のことを気遣って、その提案をしてくれたのだ。
私は依然として、優輝を心配の大いに募った目で見つめた。
優輝は至って純粋であるが、その純粋さこそが、私を心配にさせている根源であるのかもしれなかった。
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