オガイモゴイ ❶

 つい二ヶ月前に年長さんとなった優輝が、先日六歳になった。

  何かと甘え上手な側面のある優輝だけれど、年長さんになって、歳も保育園では最年長になったからか、近頃はその甘え上手な性格が落ち着いてきている。

 

 優輝なりに責任感があるのかもしれない。

 優輝のいる年長クラスの隣は年中・年少クラスと続いていて、優輝の話を聞く限り、よく交流もするらしい。

 自分よりも一つ二つ年下の子たちと接しているうちに、自分はお兄さんなのだという自覚が芽生えつつあるのかもしれない。


「優輝ー、お手て繋がないの?」

 保育園からの帰り道、私は優輝と左側がサツマイモの畑になっている道を歩いている。

 ほんの少し前まで手を繋いで帰っていたのに、最近は繋いでくれないどころか、優輝が先陣を切って誇らしげに私の前を歩いている。

 

 優輝の抱える責任感は、私を危険から守護するところにまで及んでいる。

 なんで手繋いでくれないのと度々尋ねるものの、らいおん組だからとしか言ってくれない。

 優輝がお兄さんとして胸を張ってくれることは嬉しいのだけれど、少し寂しさも伴う。

 以前までは私から有無を言わさずに、優輝自ら手を繋いでくれていたのに、今となってはすっかりである。

 

「ゆうきもう六さいだよ。六さいはね、おててつながないんだよ」

「えー、繋ぐ子もいるよ? かんなちゃんはママと手繋いでたでしょ?」

「かんなちゃんはこどもだもん。ゆうきはもうだいぶねおにいさんだよ」

 

 どれだけ説得を試みようと、無理そうである。あの小さくてフニフニのお手てをもう容易には触れられないと考えると、やはり残念の部分が大きい。

 家でもそうなのだ。隙を見て優輝の右手、あるいは左手を狙ったことがある。でも、今となってその行為は、優輝のプライドを傷つけてしまうことになる。

 それをやって、ぼくおにいさんだもん! と怒鳴られたことがある。ちょっと手に触れただけでも、ムスッとされる始末である。なので、最近の私はかなり寂しい。

 

「あ、えっとね、まって」

 優輝が黄色い通園カバンのファスナーを開けて、中をガサゴソと漁る。

 優輝はお兄さんでありながら、わざわざ立ち止まらないと物を探すことができない。ながら探しは危険性もはらんでいるため、私としてはその感じを是非とも保ってほしい。

 

 しばらくの間待っていると、優輝は通園カバンの中からあるものを取り出し、「ほらこれつくったの」と言う。

 どうやらそれは、粘土のようだった。

 保育園ではよく粘土をやっていると、優輝からも保育園の先生からも窺う。

 優輝は度々園内で作った粘土を自宅に持って帰ってきては、逐一これ見てと私へ報告してくる。

 いつもだったら家に帰ってから見せてくるのだけれど、今日に限っては帰っている最中にどうしても見せたかったようだ。


「へえー、すごいね」

 優輝の粘土は、他の園児が作るものと比べてもかなり上手い方だ。

 保育園で何度か園児の作った粘土展覧会が開かれるけど、その中で賞を設けるのならば、金賞をとったっていいくらいに優輝の粘土技術は高い。

 よくここまで作れるなと感心してしまうくらい、優輝は粘土で物を作ることが上手いのだ。

 象を作ったならば、説明されなくとも象だと分かる。

 毎度優輝の作る粘土は、五歳六歳にしてはリアルでちゃんと細部まで作れている。

 度々優輝の作る作品に感心させられるから、将来は手に職系の専門的な仕事が向いているのではないかと思ったりもする。


 でも、今回に関しては、よく分からなかった。

 優輝が見せてきた粘土は、なんとも歪な形をしていた。

 どこもかしこもが歪んでいる。

 生き物なのか、そうでないのかすら判断がつかない。

 生き物であると仮定した場合、見たところ腕かなと思しき長細い部分は、にゅるにゅると波形のようになっている。

 

 しかし、脚の部分はよく分からない。

 にゅるにゅるの腕のような部分以上に、波形のものがここぞとばかりに入り乱れている。

 絡まった太い紐のように、長太いものが交錯している。

 頭部のようなものもあるが、これも普通の形ではない。

 人間のような丸かったり四角かったりする感じの頭ではなく、全ての側面が出っ張っていて、でこぼこだ。

 これが何らかの生き物であったとしても、どこぞの惑星からやってきた未確認生命体としか判断できなかった。

 

「これってなに?」

 どれだけ見ても分からなかったから、やむを得なく優輝に尋ねる。 

「えっとね、これはね、オガイモゴイっていうの」

 まさか優輝の口から、一度も聞いたことのないフレーズが出てくるとは思ってもみなかった。

 まだまだ幼い優輝であるものの、私の理解が及ばない時、優輝はちゃんと説明してくれる子である。

 しっかりと相手を配慮できる子であるため、優輝がふざけているわけではないはずだ。

 しかしながら、どれだけ考えてもよく分からないものだった。

 

「オガイモゴイ? なんなのそれ」

 首を傾げて優輝へ問う。

 ひょっとして、保育園で流行っているヒーローものの敵の名前だろうかと思う。

 園内では児童たちのごっこ遊びが盛んで、特にそういった日曜日の朝にやっている子ども向け番組のごっこ遊びをよくやっていると聞く。

 その無骨な響きからそう判断し、優輝がそう言ってくれることを期待する。

 

「オガイモゴイはね、たぶん、もぐらさんだよ」

「もぐらさん? もぐらさんって、動物のもぐらさん?」

 こくりと優輝は頷く。普段から嘘をつくような子ではないし、優輝の中ではそのオガイモゴイとやらが、本当にもぐらという認識になっているのだろう。

「オガイモゴイっていう名前のもぐらさんがいるの?」

 優輝は「んーと」と考える素振りをする。すぐに肯定してくれない時点で、そうではないのかなと察する。

「それはね、たぶんちがう」

 どうやら優輝もよく分かっていないようだった。

「どうぶつさんのずかんみたけど、なかったから」

 私は優輝に「そっか」とだけ言う。

 

 六歳の優輝が作った作品に文句をつけるつもりはない。

 ただ、どう見ても、このうねうねとした形の粘土が、もぐらに見えることはなかった。

「ゆうきがね、みつけたの、これ。オガイモゴイ。みんなオガイモゴイ知らないし、えっとね、あれあれ、しんしゅ、しんしゅ」

 優輝は何ら普通のことのように言う。

 生き物の新種を六歳児が見つけたのならば、それはそれはさぞかしビックニュースになることだろう。

 しかしやはり、今まで発見されてこなかった生き物だと割り切っても、これがもぐらに見えることはなかった。

 

「ほんとにもぐら?」

 優輝を疑うようなことはあまりしたくなかった。

 これまでも優輝を疑うことだけは、なるべく避けてきた。

 幼少期に親から認められない経験を積んで良いことはあまりないという意識があったから、たとえ優輝と接する上でうーんというようなことがあっても、できる限り認めてあげていた。


 しかし、これに関しては、さすがの私も首を縦に振って、もぐらだねそうだねと言うことは不可能だった。

 なんというか、優輝が作ったこの粘土を、もぐらや別の動物で表現することは、憚られるような気がした。

 

 そんなものではない。

 そんなものよりも、もっと。

 

「優輝は、この形のもぐらさんを見たの?」

 優輝はこくりと頷く。

「どこにいたの?」

 優輝は「んー、つちのなか、かなあ」と当たり前のように言う。

「コウスケくんとおすなばほってたらね、でてきたの」

「じゃあ、コウスケくんもこのもぐらさん見たの?」

「ううん。なんか、コウスケくんよくわかってなかったし」

 優輝はその粘土を大事そうに抱えて、相変わらず先陣を切って私の前を歩いている。

 友達のコウスケくんとはいつも仲良く遊んでいる優輝だが、そのコウスケくんには優輝の言うこの歪な形をしたもぐらが見えなかった。

 

 まさかね、という思いが強かった。

 優輝がこれまでに、幽霊が見えるだとか、そういう体験をしたことはないはずだった。

 あるとしたら、私に必ず話してくれるはずである。

 保育園であったことは私から聞かなくとも全部話してくれる子だし、好奇心の旺盛な優輝がそんな経験を話さないはずがない。

「ママー、これもタナにかざってね」

 優輝はそう言うが、私は素直にうんとは言えなかった。

 

 しかし、優輝だってまだ年長さんなのである。

 責任感が伴い始めて著しく成長は感じるものの、まだまだ子どもの段階だ。

 子どもなのだから、こういう不思議なものを作ったって、別におかしくはない。

 しっかり者の優輝だから、普通の園児よりも少し見る目を高くしていたのかもしれない。

 優輝だって間違えることはあるのだ。

 きっと何か勘違いをしてしまっただけで。

 そう思って、私はそれ以上探るようなことをしなかった。

 ただ、優輝は異様なまでに、その不気味な粘土を、大事に大事に持っていた。


 

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