どういたしまして ②
自分の読む本は、しおりを綴じてもはみ出てしまう。
その法則が見つかってから、一週間くらいは経とうとしている。
しかし、僕はあることを発見した。
しおりがはみ出でしまう本は、僕が最近通い出した、あの古い図書館で借りた本に限るのである。
この一週間で僕は、あの図書館で借りた本と、自分で買った本や家にあった本など、あの図書館の本ではない本とを読んだ。
当然、普通に読むのではなく、実験的な面もある為、僕は一回の読書につき三回程、しおりを挟んでトイレに行ったり、自室から離れることをした。
その結果、分かった。
あの図書館の本ではない本は、しおりがはみ出ることはなかった。
逆に、あの図書館で借りた本は、全てしおりが、最低でも一回は、はみ出てしまった。
この法則を見つけて、自分はまた、あの図書館へ赴いた。
このしおりがはみ出てしまう原因を、追求する為である。
「あの、すみません」
僕は受付のお姉さんに声を掛けた。「はい」と返ってくる。
「あの、変なことを聞くんですけど、この図書館の本って、その……しおりが勝手にはみ出たりしますか?」
そんな質問をするが、僕は変人だと思われるのが少し怖かった。
普通に考えて、なんの質問をしているんだと言われるであろう質問である。
このお姉さんがそのことについて知らなければ、首を傾げられるだけだ。
しかし、そんなことはなさそうだった。
受付のお姉さんは考える素振りをする。眉間に少しだけ皺を寄せ、何かを探っているようにも見える。
「少々お待ちください」と言われ、受付のお姉さんは裏方に行ってしまう。
質問を返されなかったということは、少なくともあのお姉さんは、しおりが勝手にはみ出てしまうことに、心当たりがあったのだろう。そうでなければ、わざわざ裏方へ回ることなんてしないはずである。
一分もかからないくらいでお姉さんは戻ってきた。
そしてお姉さんの後ろには、館長がいた。
最近通い出した為、あまり見たことはないのだが、館長がこの図書館を見て回っているところを一度だけ目撃したことがある。
七十歳くらいの、この図書館と同じくらいの年齢だと思われる館長は、僕に「こんにちは」と穏やかな挨拶をしてくれる。僕も「こんにちは」と返す。
「受付の者から聞きましたが、しおりが勝手にはみ出てしまうと?」
「は、はい。そうなんです。この図書館で借りる本に限って、綴じたしおりがはみ出てしまうんです。なんでかなと思って、職員の人に尋ねようと思って来たんですけど……」
館長は何回も頷いた。頷きすぎではないかというくらい、頷いた。
館長にとってはらしおりがはみ出てしまう理由がよく理解できるのだろうか。
「この図書館によおく通っておった、女の子がおったんですよ。多分、小学校の低学年だったと思います。わたしが二十代の頃ですから、もう五十年以上は前になるかと思いますが、その頃のわたしは、この図書館に通っていた一人のお客でありました。ここにずーっと通っておったもんで、わたしと同じくこの図書館に通ってる常連客とは顔見知りになるんですよ。その顔見知りになった中に、その女の子もいたんです。寡黙そうな子でねえ、静かあに本を読んでいたんです。
その子と話すきっかけになったのは、ある本でね。わたしが読んでいた本が、女の子の好きな本だったんだろうね。あの寡黙そうな女の子が、その本を読んでるわたしに話しかけてくれたんだ。
『そ、それ……っ』って感じでね、緊張した感じだったけど、それは最初だけで、わたしと女の子はその本について、たくさん話をした。どの登場人物が好きだとか、どの場面が心に残っているかとか、色々ねえ。
それからわたしと女の子は出会う度に、互いの名前を呼んで、挨拶をするようになった。挨拶をしては、これから何の本を読むのか、どんな本を読んできたのか、お互いに紹介し合ったりね」
すると、館長が突然、顔を曇らせる。
今までの幸せな記憶を話していた際の表情とは、真逆と言ってもいいくらいの表情だ。
「わたしはいつものように、図書館に来て、いつものように、女の子と話すことを考えていた。でも、その日、女の子は来なかった。その日だけだと思っていたけど、来る日も来る日も、女の子は図書館には来なかった。
ある時ラジオを聞いた際、その女の子の名前がね、出てきたんだよ。その子の名前が出た後に、乗用車に跳ねられて亡くなったっていうのもね」
館長の言ったことで、なんとなく察しがついた。これ以上何か言われなくても、僕は多分理解ができていた。
「君の、借りた本のしおりがはみ出てしまう現象と、今は亡きその女の子が結びつくのか、正直なところ、分からない。これといった根拠は、ないんだ。
ただ、この図書館に一人のお客として通っていた頃、わたしの目にはね、あの女の子が、この図書館に通うお客さんの中で、一番本が好きということを感じたよ。わたしが図書館に赴くと、女の子は必ずと言っていいほど席に座っていて、じっくり本を読んでいた。誰よりも図書館に通って、本を読んでいたと思うんだ
信じがたいとは思うけど、わたしはなんとなくね、しおりのことも、そういう気がするんだよ」
館長の表情には哀愁が漂っていた。
その物悲しさはきっと、またその女の子に会いたいから、滲み出ているものなんだろう。
館長にとって、その女の子は幼い友人で、共通の趣味を持つ同士だった。
その女の子は館長によれば、僕くらいか、僕以上の本好きであるのかもしれない。
その女の子と顔を会わせていた館長が、しおりがはみ出る理由を女の子と結びつけてしまうのは、僕にもとても理解ができることであった。
「今も何処かに、その女の子はいるんでしょうか」
「どうだろうねえ。わたしにはもう、分からない次元のことだよ。
その子に何か、心残りのようなものがあるんなら、叶えてあげたいんだけどね」
そんなことを言う館長であるが、実際にはもう諦めている感じだった。
女の子に何かしらの心残りがあったとしても、僕も館長も、亡くなった人を目に映すことなんて、できるはずがない。
「類は友を、呼ぶんかねえ」
館長は突然、そんなことを呟く。
「わたしに君のことはほとんど分からないけど、君が本を好きということだけは、わたしにも分かるよ。よく、ここに来てくれているよね」
「あ、は、はい」
何故だか恥ずかしくなってしまう。
通っていることを認識されていると、どういう訳だが恥ずかしさがやってきてしまう。
「恐らくだけどね、わたしが見る限り、君はここに訪れるお客さんの中でも、一番本を愛しているんじゃないかなあと思うんだよ」
館長から放たれた言葉は、僕にとっては意外なものであった。
まさかそんなことを思われているとは、想定外だった。
「平日でも、かなりの割合で来てくれてるよね。休日なんかは、一日中ここにいてくれることだってあるじゃない。ほんとに嬉しいと思うよ。本以外の娯楽なんて、今の時代わんさかあるでしょう。でも君は、わたしからみれば、本の楽しむことに全力を注いでいるように感じる。本当に、本が好きなんだなあと思うよ」
どういった反応をすればいいか分からなくて、僕は「ありがとうございます」とお礼を言う。
「日頃からわたしはね、君があの頃の女の子と似ているなあと思うんだよ」
館長は微笑みながら、僕にそう言った。
「本に対する熱量といい、その物静かな雰囲気といい、似ているなぁってね。だから、君が本のしおりのことをついて尋ねてきていると、受付から聞いた時、女の子がやっているんじゃないかって、すぐに思ったよ」
館長からそう言われ、僕は考える。
「そうだとすれば、なんで僕に、その子はそんなことをするんでしょう?」
館長は考える素振りをする。
「君の本に対する愛情が、その子の目を引いたんじゃないかなぁ。挟んだしおりはここ最近ずっと、はみ出ているのかい?」
「はい。僕がこの図書館で借りた本は、必ず一回はしおりが勝手に出てしまいます」
館長はまたしても、考える素振りをする。
「もしかしたら、その子は君に、何かをして欲しがっているのかもしれないね」
館長はそう答え、僕は何故だかそんなに驚かなかった。
女の子が僕に対して、やって欲しいことがある。
他の人ではなく、僕にやって欲しいこと。
読書をこよなく愛する僕にやって欲しいこととは、なんなのか。僕は考える。
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