想像力は、裏目に出る。

靫蔓

どういたしまして ①

 本を読むことは、僕が幼い頃から続いている、一貫性の強い趣味である。

 保育園へ通っていた頃から人一倍に絵本が好きで、園児たちが外の遊具で無邪気に遊んでいる中、自分は部屋の中で絵本を読みたがっていた。

 自分の通っていた保育園では外で遊ぶ時間がしっかりと割り振られており、その時間は外で遊ばなければならなかった為、僕にとってはそれが退屈で仕方なかった。

 ずっと建物の軒先で日陰に隠れながら、早くこの時間が終わらないかなと思っていた。

 小学校になれば、ひたすらに小説を読み耽った。

 図書室は、僕の唯一の居場所でもあった。

 周囲の児童は誰かと喋ったり、外で遊んだりすることばかりをやっていた。

 僕のように本を読む人間は、少なかった。その為、あからさまにみんなの輪から外れていた。

 でも、寂しく思うことはなかった。

 はなから人との関わりに、言うほどの関心はなかった。

 それよりも本で、作家の頭の中で創造された世界を旅することの方が、僕にとっては楽しかった。本を読むことこそが、僕にとっての最高の愉悦であることは、間違いなかった。

 今日も僕は、自室で本を読んでいた。森野秀彦の「ドック・ハイウェイ」である。

 今から約十五年前に発売された小説で、少女の街に突如として大量の犬が現れ、なぜそんなにも大量の犬が発生したのかを解き明かしていくファンタジー小説だ。

 この作者の本は現在中学一年生の僕が小学二年生の頃からずっと読んでおり、読む度に自分の全身が魔法色の油を目いっぱい浴びせられたかのような光沢を塗られる。

 そんな感覚がするくらい、この人の小説は幸せに満ちており、妄想をこれでもかという程に突き詰めている。きっと作者も、この物語を楽しく作ったことだろう。

 僕は今日も、その小説を読んでいた。現在は半分くらいまで進んでいる。

 目の前で、トイレの流れる音が聴こえる。

 用を足したらすぐにトイレから退散し、脇目も振らずに自室へと向かう。

 たった今自分は用を足していたが、面白い小説であればあるほど、読んでいる途中で用を足したくなるのは自分だけなのだろうか。

 体が愉悦を感じれば、尿意が迫ってくることが自分の中での愉悦を感じた際の反応であるとすれば、これほどに厄介なことはない。

 楽しさは継続して欲しいと誰しも思うだろうに、なんで必然的にその楽しさを断ち切らねばならない体を持ってしまったのか。自分の体はイマイチ訳がわからない。

 自室へと到着し、扉を開ける。

 引き戸である為、ガラガラというやかましい音が鳴る。

 その扉を閉めた辺りで、ちょっとした異変に気づいた。

 

 本のしおりが、はみ出ていた。

 しっかり閉じておいたはずなのだが、何かの弾みで外に出てしまったのだろう。

 本のしおりがページとページの間から出てしまうことなんて、よくあることだし、気にはしなかった。

 しかし、自分が読んでいたページが何ページであるのか覚えてはいないし、少々面倒くさくなる。しかしそれでも面白いから、読まなければ気は済まない。

 自分は一分から二分の間に、トイレへ行く前に読んでいたページを見つけ、早速読むことを再開した。


□□□□□


 僕は図書館に来ていた。前に読んでいた森野秀彦の「ドック・ハイウェイ」を読み終わり、借りていた図書館へ返しに来たのである。

 かなり年季の入った図書館であるが、実はこの図書館へは最近通い出した。それこそ、自分が一ヶ月前、中学へ入ってからである。

 小学生の頃は学校に図書室があって、その図書室は他校の図書室と比べてもかなり大きかった。

 その分収められている本も多く、小学生の頃は今よりも読むスピードが二分の一くらいに遅かったのもあり、小学生の頃の自分には小学校の図書室にある本で事足りていた。

 だから、あまり町の図書館へ通うことをしなかった。

 しかし、最近通い出してからというもの、この図書館を結構気に入っている。

 全体的に古く、本棚や受付や床も壁も、至るところが欠けていたり、割れていたり、汚れていたり、とにかくボロボロであるのだ。

 どうやらあえて、そういった経年劣化を残しているようで、改修は必要最低限の箇所しか行っていないようだった。

 そんな老齢なこの図書館が、僕は一瞬で好きになった。虜になったと言ってもいいくらいだ。

 これから先も、今日のような休日はできるだけ、この図書室へ行こうと決めている。

 それと、古い図書館であるが、空調も効いている為、過ごしやすかった。

 なので自分は、森野秀彦の「ドック・ハイウェイ」を返却した後、新たに気になる本を五分くらいかけては選び抜いて、席に座って読み始めた。

 休日であるが、来客は少なめである。自分が座っているこの席からは図書館全域が見渡せるが、この位置から数えて、おじいさんが二人、おばあさんが一人、親子が一人ずつ、若い男の人が一人と、五人である。

 僕を入れると計六人しか、来客はいない。

 それが過ごしやすさの一つでもあった。この来客の少なさは、集中して本を読むのに打って付けである。紛れもなくここは、僕の居場所の一つとなることだろう。もはや、既に居場所となっている。

 

 しばらく読み進んでいると、またもや尿意が来てしまった。尿意には抗えない為、仕方なく自分は読んでいる本へしおりを挟み、一旦中断してトイレに行く。

 トイレもなかなかに古いものであるが、用を足す分には全く問題なかった。

 というか、老齢の図書館の割には随分と綺麗な方だった。こういった古い施設はしっとりとした冷気が佇んでいるトイレも多いと思うが、ここはトイレにまでしっかり空調が行き渡っており、用を足していて気持ちが良かった。

 改めてこの図書館の管理は行き届いているなあと、感心に耽る。

 用を足し終えて、僕は席へと戻った。

 

 僕はまたしても、異変に気づいた。

 本に挟んでいたしおりが、はみ出ていたのである。

 僕はしおりを挟む際、先日のことを意識した。

 先日も家で小説を読んでいた時、トイレに行って戻ってくると、しおりがはみ出ていた。

 自分は次、そんなことが起こらないように、今さっきトイレに行く前、本の読んでいたページに、しおりをできるだけ奥までぐっと挟んで、はみ出ることがないように対策した。

 なのに、また出てしまっていた。

 先日は自分の詰めが甘かったという認識で気にしなかったが、今日はしおりがはみ出ないように、ちゃんと意識をしたのである。

 その上で、またはみ出てしまっていた。

 席に着くものの、僕は本を読まずに、首を傾げる。

 本の周りを見て、本を持ってみて、中を開いてみる。

 しかし、しおりがはみ出てしまう要素は、何もなかった。

 ここにいる来客が抜いたのかとも一瞬思ったが、今いる人たちは、誰もそんなことをしそうではない。

 結局煮え切らないまま、自分は読書を再開した。今日はこの本を読み終えたら、新たに一つ本を借りて、家に帰った。


□□□□□


 僕が前、図書館へ行った際に借りた本を家で読んでいた時、お父さんとお母さんが外へ出掛けようと提案してきた。僕は本を読みたい気持ちもあったのだが、お父さんが映画でも観るかと言った為、映画を観れるのなら一緒に出掛けようと僕は決断した。

 まず百貨店で色々と買い物をしてから、三人で映画館へ行って、今話題の映画を鑑賞した。

 悪くはなかったという感じである。確かに話題になる理由は分かるのだが、面白さで言えば中くらいの位置にあった。しかし映画館で映画を観れた満足感に浸され、そういう細かいことは、後からどうでもよくなってきた。

 家に帰ると、待ち侘びたように自室へと行く。言うまでもなく、本を読む為である。

 外出する前に読んでいたあの本の続きが気になっていた。足取りはかなり軽快であった。

 

 思わず「あれえ?」と声が出てしまう。

 また、しおりがはみ出ていたのである。

 何かがおかしかった。

 僕は外出する前、しっかりとしおりがはみ出ることのないよう、極めて奥の方の、ページとページと間にしっかりと挟んで、ポロッとはみ出ることなんて有り得ないような位置に閉じていたはずなのだ。

 なのにもかかわらず、またはみ出てしまっていた。

 自分は納得のいかない顔で本を持って、しばらく静止する。

 本当に理解ができなかった。

 しおりがひとりでに、はみ出たとでも言うのだろうか。

 しかしそうでもなければ、しおりがはみ出ることなんて、考えられないのだ。

「なんなんだよ」

 釈然としない感じで、僕は呟いた。

 すると、後ろから何かにぶつかったような音が鳴る。

 僕はびっくりしてその方向を見たが、当然誰かがいる訳ではなかった。

 なにせ、ここは僕の部屋である。

 部屋の外から聞こえてきた感じの音ではなかった。

 そもそも、お父さんもお母さんも一階のリビングにいる。僕の部屋があるのは二階だ。

 部屋の軋む音にしては、なかなかに大層だなあと思う。

 パキッとかミシッとか、木の折れる音や擦れる音はよく聞くものだが、今僕の耳を通過したような、どかんと何かに当たってしまうような音は、聴いたことがなかった。

 不可解だったが、僕はかなり大きな、部屋の軋む音だと無理やり頷くことをした。

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