第5話 リーシャ

時は流れ、6月。

梅雨の連日降り続く雨の中、流れゆく人々は誰もが雨具を身につけて歩いている。

そんな街の傍、一人身を隠しながら俯く少女がいた。

丁寧に手入れされた金色の髪は、雨に濡れていながらも一目見れば目を惹かれるほど路地裏に似つかわしくないくらい光り輝いていた。

少女の名はリエラ。

紫峰学園に通うお嬢様である。

普段であれば、商店街に顔出す事なんてありえない彼女がこの日、隣町の商店街で塞ぎ込んでいた。


「ふん…。私は間違ってなんかない。」


怒りの言葉を吐き出しながら顔を伏せるリエラ。

彼女がこうなったことには理由があった。


リエラは、フローライト家が代々経営するフロン社をいずれ父から社長の座を手渡される人物である。

だからこそ、彼女の周りにはその将来を見越して擦り寄ってくる人間がたくさん居るのである。

しかし、ある日、父親が学園を訪問してきた際に彼女は父に告げられた。


「お前の行動は目に余る。このままではお前には会社は託せない」


というひと言。

そのひと言だけで、彼女は焦り、父に抗議した。

しかし父はただ「お前は何も見えていない。上に立つ者として資質が足りない。」というだけでリエラに詳しく教える事をしなかった。

まるで、自分の嫌いな『あの女』と同じことを父に言われている。

そんな悔しさが彼女の胸を埋め尽くした。

そして、自分は間違っていないと吐き捨て、その身一つで学園を飛び出してここまできてしまったのだ。


これからどうするか、そんな事よりも父と自分を相手にしない『あの女』に対する怒りがリエラを意地にさせていた。

しばらくすると次第に近づく足音が自分の目の前で止まった。

「もう見つかってしまった。」

リエラがそう言って顔を上げると、見たことのない少年が立っていた。


「ええと…大丈夫?」


「…貴方…誰ですの?気安く話しかけないで。」


相手が見ず知らずの人物だと知り一切の興味もなくし言葉を吐き捨てる。

『どうせ私にとってとるに足らないその辺の庶民。』

リエラの少年に対する印象は最悪なものだった。


「あ、ごめんよ。僕は龍彦。一応この辺の道場に住んでる人間だよ。君は?」


「貴方。私を知らなくて?」


「ごめん。どこかで会ったっけ…?」


リエラはテレビにも顔を出す事もある為、知るものは多い。

しかし、疎い龍彦にとっては、その容姿と制服から、場違いな場所にいるお嬢様ということしかわからなかった。


「わたくしの事聞いて、どうする気なんですの?」


「え?いや…うん、君が答えたくないならそれでも大丈夫さ。」


彼はそう言うと、そのまま腰を下げてリエラと視線を合わせた。


「なにかあったかい?よかったら話、聞くけど。」


「わたくしがあなた風情と…?」


「うん」


「貴方のような人間が気安く声をかけていい人間ではありませんのよ!?」


「でも…困ってそうだし。」


「馴れ馴れしい。貴方に話してなんになりますの!?」


「まあまあ。解決にはならないけど、そうやって塞ぎ込んでいるより、吐き出した方が少し楽にはなると思うよ。」


まっすぐ自分を見つめてくる龍彦。

リエラは無駄だろうけどそんなにいうなら話してやろう。

そんな気持ちで、自分の素性を隠しながら父との出来事を大雑把に話した。


「なるほどね。資質か。たしかにわからないよね。」


「いいのよ。私はどうせ父のようにはなれない」


「…でも、君のお父さんは君を見捨ててはないんじゃないかな?」


「?」


「確かに、僕は君の事も知らないし、君のお父さんではないから正解だとは言えないけど、明確な答えを出さなかった部分に意味があったんじゃないかな。正確な答えを突きつけるより君にそれを見つけてほしいから多くを話さなかった…とか。」


「…都合のいい解釈ね。」


「だとしても、君に何かを望んでいるからそう言ってくれたんじゃないかな。」


「具体的に言わなきゃわからないでしょう!?」


「ああ、だから、今までやったことない事を手当たり次第やってみたらどう?」


「…例えば?」


「え…?うーん、僕と目線を合わせて話すとか。」


龍彦がそう言うとリエラはむすっとした表情を彼に向けた。


「これでいいんですの?」


「違う違う。それも大事だけど、精神的な意味でもさ」


身分も立場も関係なく、話をしようと龍彦は言っている。

しかしリエラにとってそれは考えた事もない事だった。

すると、辺りの静寂の中にぐぅ〜と言う音が響きわたった。

発生源はリエラ。

彼女は耳まで赤くして再び顔を伏せた。


「い、今聞いた事は忘れて立ち去りなさい!!今回の報酬は後から渡しますから!」


「いや…。僕は別に…。あ、そうだ。これ」


龍彦は手に持っていた袋から、紙に包まれたメロンパンを差し出した。


「食べなよ。僕、これが大好きなんだ。おすすめ。」


「はあ?そんなものをわたくしに口にしろと?どこ産の材料でどの店のどなたがいつ、どうやって作ったものですの?」


「うーん…知らないよ。強いて言えばすぐそこのパン屋の夫婦が作ったメロンパンだよ。」


「ふん!そんなもの食べて体調が悪くなったらどうする気ですの!?」


「アレルギーじゃないなら大丈夫だよ。…よし、わかった。一口食べて、もし君に何かあったら僕が人生を賭けて責任取るよ。」


リエラはひかない龍彦に「なんですのこいつ…」と一言漏らすと、差し出されたメロンパンに噛みついた。


「!!?」


それを咀嚼した瞬間、彼女の目の色が変わり龍彦の手からメロンパンをもぎ取ると黙々とそれを食した。


「はっ…。」


「美味しかったでしょ?」


「ふ、ふん!!……まあ…そうね…うん…」


気まずそうに視線を泳がせるリエラ。


「…案外、人間もそのパンも、同じかもしれないよ。」


「何、急に。」


「高級なパンもそのあたりで手に入るパンも食べてみたら美味しいでしょ?人もそうで、どこでどうやって育ったかは人それぞれだけど、いざ同じ目線を向けてやれば君の知らない人達もいい人かもしれないよ。今まで知らなかった。知ろうとしなかっただけで。」


「同じ目線…?」


「そう。いきなり変わるなんて無理かもしれないけど、ちょっとずつ気にしていくだけで、君は変われる…と思う。」


「…。」


「今まで見て来なかったことを少し気にしていくだけでいいんだ。僕はやってみる価値はあると思う。」


「随分と偉そうに言いますわね…。…まあわかった。少し、ほんの少しくらいなら。貴方の提案を実行しましょう。…それで?」


「え?」


「わたくしはいくら貴方に報酬をだせば良いのです?今は手持ちがないので後日になりますが。」


あまり納得出来ない表情を浮かべながら淡々とリエラは龍彦に話す。


「いや、何もいらないよ。」


「いらない!?何故!?」


「何故って…そういう目的はないから…」


「じゃあ、あなたは何の為に?なんの利益があってこんなことを?」


「利益って…。うーん、強いて言えば君が少し元気になったならって?」


「お人好しにもほどがありますわよ?馬鹿馬鹿しい…」


龍彦の反応を聞いてそう吐き捨てるリエラ。


「お人好しってよく言われるよ。でもウチはさ。小さな道場で決して裕福ではないんだけど、代々地域の人たちに救われてきた家って父親に良く聞かされてさ。その父親に言われたからとか恩返しってわけじゃないけど、誰かの力になってあげたいっていう気持ちがあるんだよね。」


「でも無駄じゃなくて?あなたの好意に恩義を感じる者が全てではないでしょう?」


「そうだね。そういう人もいる。でもそれはそれでいいじゃないか。何もしないより巡り巡って助けてくれるかもしれないし。だから無駄とは思っていないよ。」


どれだけキツい言葉を向けても、動じることなく微笑みながら龍彦は答える。

変わった奴だと思いながらも、リエラはどこか安心した表情を浮かべた。


「私も貴方みたいになればお父様に認めてもらえるかしら」


「確信はない。けど、今までやってこなかったことをやってみようよ。…僕でよければまた困ったら話くらい聞くからさ。」


「うん。」


「もう暗いし送ろうか?」


「大丈夫、その辺に迎えがいるはずだから」


「そっか。じゃあ気をつけて!」


そう言って立ち去る龍彦。

その背中を見つめたリエラは慌てて声を出した。


「あの!もう一度ちゃんと名前を聞かせて!!」


その言葉を聞いて立ち止まって振り返る彼。


「水無月龍彦!君は?」


「私はリエ…」


リエラは言い淀んだ。

普段なら堂々と名乗る名前。

しかし、もしまた彼に会えるなら。

もし彼が『家柄』と別に自分を見てくれているのだとしたら、自分のことなどこのまま何も知らないでいて欲しい。

なぜかリエラはそう思った。


「…リーシャ。リーシャよ。また…ね」


忌み嫌っている相手がつけたあだ名。

それを名乗って、リエラは小さく手を振る。

そして、龍彦は元気よく手を振って走り去って行った。


「…もう…最低…!全く、変な奴に会ってしまったじゃない…!」


そう言葉を吐き出して立ち上がったリエラは笑みを浮かべていた。




































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月夜に華が咲くように 菜月ふうり @huurinnatuki

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