第2話:柊まふゆという少女
人が多く賑わう街から少し離れた場所に、巨大な学校が聳え立っていた。
『紫峰学園』
初等部から大学部まで全ての施設が詰め込まれたこの学校は、世界で知らない人がいないほどの名門校だった。
誰もが憧れるエリート学校。
しかし、そこには裏の顔があった。
通う生徒の大半が著名人や富豪の子供達ばかりであり、残りはスポーツなどの成績から選りすぐられたエリートのみが通う事を許されていた学校であった。
当然、そうした生徒しか集まらない学校に発生するのはカースト制度。
財力のある家庭の子供の大半は勉学のためでなく、今後のビジネスの為の社交場として通っており、当然世間的に声が大きい者ほどカーストは上位となる。
逆に言えば、推薦で入学した一般の生徒は彼らから必要とされておらず、虐め問題が発生する事も少なくない。
教員たちは、殺伐とした校風をなんとかしたいが、時に権力を突きつけられることもあって手出し出来なかった。
そんな中、ある生徒がやってきた。
『柊まふゆ』という名の少女。
高等部からスポーツ推薦で入学してきた彼女は、小学生と見紛うほどの幼い風貌ながら、権力などを突きつけられても動じない人物であった。
一般の生徒でありながら、間違いは指摘し、邪魔をされても軽くあしらう彼女をいつしか同等の推薦組の生徒達は、彼女をリーダーのように扱うようになった。
その逆に、最も学園内でカーストが高い少女『リエラ・シャルロット・フローライト』をリーダーとして扱うカースト上位組。
まふゆとリエラが仲が悪い事もあって、いつしかその溝は目に見えて広がり、双方は完全な犬猿の仲となった。
そんな冷めきった日々の中、その日は総合大会当日だった。
荷物に嫌がらせをされることも、邪魔をされる事も慣れて嫌気がさしていたまふゆだったが、その日は様子が違った。
仲の良かった推薦組の友人に「相談がある」と導かれて訪れた先に仕掛けられていた古典的なトラップによって足を捻ってしまった。
騙されていたのだ。
「…っ!」
らしくなく、痛みに脂汗を流すまふゆ。
「ご、ごめんなさい。まふゆさん。こうしなきゃ、ウチは…家族は…」
「そう…。気を抜いて貴方を信じた私が馬鹿だった。」
まふゆがそう言うと走り出す女子生徒。
大方、弱みをつけ込まれたのだろうと理解はできた。
しかし、従ったところでどの道この学園での彼女の居場所は今後ないだろうと、まふゆは思った。
彼女はなんとか立ち上がり、集合場所に向かおうとするも足に力が入らない。
「あら〜。どこのご老人かと思いきや、噂の柊さんじゃないの。」
背後からわざとらしく間延びした声が聞こえる。
おそらく首謀者である生徒だろう、まふゆには二人分の笑い声が聞こえた。
しかし、まふゆは振り返らず一歩、一歩と歩く。
「ねえ、無視?」
「あっ、そっかあ。柊さん。今日は大事な大事な大会なのよね」
一人の女子生徒がまふゆを取り押さえる。
「…放せ。貴方達に構っていられるほど暇じゃないの。」
普段なら軽くあしらう相手だが、足の痛みが酷くまともに力が入らない。
しかし、こうしている間にも刻一刻と、出発時間は近づいてくる。
…そして…。
「あー、ごめんなさーい。柊さん。私達と遊んでるせいでバス出ちゃったって〜」
「お気の毒〜。」
二人組は、そう言ってまふゆを投げ捨てると用済みであるという風に、足早に去っていった。
バスが行ってしまった以上、自分の足で行くしかない。
たとえ、怪我をしていても。
推薦で入学したまふゆは大会で成績を残す必要があったのだ。
……
それから、しばらく。
まふゆは痛みに耐えながら歩いた。
しかし、どうやってもこのままでは間に合うわけがない。
「終わった…」
不意に出た諦めの言葉。
まふゆが今まで言葉にしてこなかった言葉だった。
そんな中、自分の横を通り過ぎた自転車がすぐさま音を立てて止まった。
顔を上げて視線を向けると、見知らぬ少年がこちらに向かってきた。
「何…?」
「君、大丈夫かい?こんなところに座り込んでどこか体調でも…」
腰を下げて目線を合わせてくる少年。
ひどい寝癖と、息を荒くして汗に塗れたその姿はまさに寝坊した生徒そのもの。
自身も遅刻しそうなのに、人に世話をやく彼を見てまふゆは「なんなのこの人…」と思った。
「君、足首が腫れてるじゃないか!挫いたのか?」
少年はすぐに腫れた足を見つけて、まふゆの足に持っていた保冷剤を当てがう。
「…放っておいて…」
最初に漏れた言葉は棘のある言葉だった。
本当はこんな事をいうつもりはなかったとまふゆも理解はしている。
しかし、自分の今の状況からそっとしていて欲しかった。
「できるわけないよ。とりあえず病院に行こう?折れてたら一大事だ。」
「…嫌。この大会…私はいかなきゃいけないの。貴方もこのままでは遅刻。早く行って。」
そうは言っても、もうこの脚では先に進む事も引き返す事もできない。
これは彼女のプライドからでた強がりでしかなかった。
すると、少年は少し考えると「よし」と言い。
何かを決意した表情でまふゆを見つめた。
「…わかった。大会に行きたいんだね。」
「え、ええ。」
まふゆの返答を聞くと彼は荷物ごと彼女を持ち上げて、自転車の後部に乗せた。
「な、何をする気!?」
「僕がこのまま君を連れていく。ギリギリだけど僕も君も間に合って、ハッピーエンドだ!でも顧問の先生にちゃんと話してすぐ病院にいくんだよ!?」
「えっ、ええ?」
少年はそう言ってペダルを漕ぎ出した。
二人分の体と荷物。
ペダルにかかる重みもかなりのものだろう。
それでも彼は走った。
時折自分を鼓舞する言葉や声にならない声を漏らすその姿を見ながら、まふゆは静かに彼にしがみついた。
そして、体育館前。
「はあ…はあ…、開会式までにはまだ…6分あ…る。は…早く…行くんだ…。」
少年は力尽きたようにハンドルに向かって突っ伏した。
「で…でも」
尋常じゃない汗の量。
自分のためにここまでしてくれた彼をまふゆは見捨てられないでいた。
「いい…から、なんとしてでも…ここにきたかったんだろう?…早く!」
「…わかった。ありがとう。」
まふゆは、再び痛みを耐えながら歩いた。
先程とは違いゴールが見えることで、なんとか前に進む力は湧いてきた。
そして、会場で整列した部員たちの中に紛れ込み、ギリギリ彼女は開会式に間に合うことができた。
周りの生徒が響めく中、それに動じる事なくまふゆはふと気づいた。
「名前…聞いてない…」
……
………
それから暫く、まふゆは手当を受けて周りの静止を振り切って無理矢理試合に出場した。
個人戦のみの出場の彼女は怪我をしているというハンデを負いながらも次々と勝ち進み、この次の大会への出場権も獲得していた。
しかし、準決勝。
そこまで上り詰めた彼女は圧倒的な力の前に敗れてしまう。
その相手は『柊しぐれ』。
自分の一つ上の姉であった。
「何…その怪我。私なんて怪我していても余裕って事?…ふざけないでよ…」
敗れたまふゆに対して言葉を投げつけるしぐれ。
まふゆは、何も言い返す事もできずその背中を見送った。
ゆっくりと立ち上がったまふゆは、客席を見つめた。そして、あるものを見つけた彼女はそこへ向かって歩き出した。
……
………
「…あ、あの!」
退散する準備をしていた生徒に声をかける。
しかし、そこは自分の母校ではないため、生徒たちは驚きの表情を浮かべてまふゆに視線を向けた。
「おい。アレ…」
「柊まふゆ…!?」
「なんでウチに!?」
「あ、あの…ええと。」
話しかけたはいいが、妙な注目を受けて上手く言葉にできない。
すると、一人の青年が生徒たちを鎮めて、彼女の前に立った。
「どうも、柊まふゆさん。僕はこの碧明高校剣道部部長の東山です。…して、ご用件は?」
「あの、今日の大会、遅刻した生徒はいませんでしたか?」
部員たちの中に『彼』がいない事を確認してまふゆはそう言った。
「遅刻…。ああ、もしかして水無月ですか。水無月はいま病院にいます。」
「えっ!?」
「熱中症で外で倒れてたみたいです。大会当日に張り切りすぎたんでしょうかね。」
「ち、違います!私のせいなんです!彼は私のために無理をして…」
部長の東山はちらっとまふゆの足に撒かれた包帯を見て、少しだけ納得出来たような表情を見せた。
「わかってます。彼が真面目でお人好しってくらいは我々も理解してますよ。」
「そ、そうですか。」
「彼には我々の方から伝言しておきましょうか。貴女が礼に参られたと。」
東山の言葉に対して、頷こうとしたまふゆ。
しかし、見送ってくれた彼の姿を思い出して、自らを制止させた。
「…いえ、私が直接お礼を言いたいの…です。」
東山はすこしだけ驚いた表情をみせた。
「…わかりました。では彼の名前だけを。『水無月龍彦』。水無月道場って言う小さな道場に住んでますよ」
「…みなづき…。…ありがとうございます。」
彼の名を聞いたあとまふゆは小さくお辞儀をして、その場をゆっくりと立ち去った。
(水無月龍彦…。)
その後、彼女は彼の名前を忘れないように何度も心の中で呟いたのだった。
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