第3話:再会

「開会式には間に合いそうに…ないな…」


女の子を送り出した後息を整え、ふらふらと自転車を押す龍彦。

そう言った矢先に体育館からは、マイクによって拡大された偉い人の開会宣言の声が響いている。

なんとか意識はあるが、ひどい喉の渇きと、目眩を感じており、彼自身ヤバい状況である自覚はあった。

だからこそ、早く自転車を止めて、助けを求めようと思った。

そして駐輪場。

自転車を止めて、荷物を持ち上げる。

自分の荷物がいつもの倍重い。

そして歩き出して数歩。

赤髪の人物が一瞬視界に入った時、宙に浮くような感覚を覚えた。

次に見えたのは地面。

自分が倒れたことすら自覚出来ないまま、彼の意識は黒く塗りつぶされた。


……


「うっ…」


目を開けた龍彦。

視界に映るのは白い天井と白いカーテン。

白いシーツのベッドで寝かされていた彼は自分がいま病室にいることに気づいた。


「目、覚めたの。」


ベッドの傍にいたのは見知らぬ赤髪の女性。

釣り上がったキリッとしたその目つきと風貌、そして服の上からでも目立つスタイルの良さから年上だと言うことを感じさせる。


「あの…貴女は…それに僕は一体。」


「貴方、駐輪場で倒れたのよ。覚えてない?で私が第一発見者。助けを呼んだのも私。」


「あー…。頑張って駐輪場に行こうしてたところまでは…」


「…貴方の学校の顧問の先生もさっきまでいたわ。親御さんはもっと先に来てたみたいだけど」


「…で、見ず知らずの貴女が残っているというのは…?」


「目の前で急に倒れられたから気になるでしょう…。それに私も今大会が終わってたまたま見に来たところ。長居する気はないわ。」


「大会が終わって…ってそうだ!試合は!?」


女性の返答に驚き、たまたま視界にあった時計を見つめる。

時刻は18時40分を指していた。


「もう、終わったわよ。全く。朝一から力尽きるなんて寝坊でもしたの?」


「あー…まあ、寝坊はした。したんですが…」


「ふぅん?」


「道中で困っている女の子を拾っちゃって。それで。」


「わざわざ乗せたの?自転車に。」


「はい。まあ、どこかプライド高そうでヒッチハイクみたいなこともできそうになかったし、辛そうだったから。つい。」


龍彦の言葉を聞いて女性は「はあ…」と息を漏らした。


「貴方、お人好しって言われない?」


「あ、うん…。結構。」


「…ま、いいわ。あのまま意識不明ってなってたら寝つきも悪くなりそうだったから、話せるくらいに回復してるなら心配ないわね。あとは看護師さんでも今後の話は聞くといいわ。呼んでくるから。」


そう言って、彼女は荷物を持って立ち上がると、龍彦に背を向けた。


「あ、あの!助けてくれてありがとうございます。その、せめて名前だけでも。」


「…柊しぐれ。たまたまだったから礼の必要はないわ。」


そう言って彼女は扉を開けて立ち去った。

『柊しぐれ』。

その聞き覚えのある名前を龍彦は思い出す。


「今のが、天才姉妹の姉か…。とんでもない人が助けてくれたもんだな…」


再び横になった龍彦。

ただ、少し引っかかる部分があった。


「あれ?あの時、開会式の時だったのに…」


なぜあの場に、知名度のあるしぐれがいたのか。

その答えはわからぬまま、やってきた看護師の処置を受けることとなった。


……

………


あの日から1週間。

後日無事退院した龍彦は部員達の注目を受けることとなった。

どうやらあの日助けた女の子は天才姉妹の妹『柊まふゆ』だったらしい。

寝坊や、大会当日に病院送りになったことに関してはあまり咎められなかった。


そして日曜日。

龍彦は目覚めて、身支度をすると道場に立っていた。

学校のない休日は、朝から自分でできる程度の稽古をするのが彼の決まりだった。

しかし、この日、稽古を始めようとしたタイミングで、母親に声をかけられた。


「お客様がきてるよ」


「客?僕に?約束した覚えはないけど…」


「女の子が玄関で待ってるわ」


女の子。

龍彦にとって自分を訪ねて訪れる女の子の友人なんて身に覚えがなかった。

何かの間違いじゃないか。

そう思いながら恐る恐る玄関に向かうと、あの時送り出した小柄な少女『柊まふゆ』が立っていた。


「あっ、君は…」


「こ、こんにちは…」


小さな身体の彼女は、その背の丈の半分程度ある紙袋を両手で握りしめて恥ずかしげに答えた。


「柊…まふゆさん。だよね。わざわざここまで?」


龍彦はそう言いながら彼女の足元に視線を向ける。

包帯が丁寧に巻かれている様子から、まだ完治はしていないようだった。


「…ちゃんとお礼できなかったし、すこし謝りたかった…から。」


「ええと、お礼はともかく…謝る?」


「念押ししてくれたのに。あの後、すぐ病院に行かなかったから…。」


「あー…。うん。知ってる。怪我をしてるのに凄い試合だったって聴いた。」


「だ、だからごめんなさい…」


「気にしてないよ。それにそこまでしなきゃいけなかった理由があったんでしょ?じゃなきゃ普通の人なら根を上げてる。」


苦笑いを浮かべてそう話す龍彦をみて、まふゆは安堵した表情を浮かべた。


「あ、あの。これ。せっかくだから。」


龍彦に向けて紙袋を差し出した。


「いいのかい?僕、そんな大したことは…」


「ううん。感謝。してるから。…それ、美味しいかはわからないけど。」


紙袋を受け取った龍彦。

中には、華やかな色をした包み紙に包まれた箱が入っていた。


「…せっかくだったら上がって行きなよ。まだ足完治してないのに無理させるのも悪いし。」


龍彦がそう言った直後、背後から母親が現れ、


「そうそう。この子に女の子が尋ねてくるなんて初めてのことだから。気にせずゆっくりして行って!」


と言った。

それを聴いたまふゆは、少しだけ口角を吊り上げ「では少しだけ…」と言って靴を脱いだ。


向かった先は道場。

龍彦曰く、自分の部屋は気まずいしあげられるような状態ではないらしく、それならばとまふゆの提案もあってこの場所が選ばれた。


「…いいね。」


「そう…かな?柊さんの家の道場の方が設備含めて良さそうな気もするけど。」


「うちは…空気が重いから…。出来ればあの場にはあまり居たくないって思ってしまうの。…それに比べてここは暖かくて、凄く、いい。」


壁際に腰を下ろした二人。

龍彦の持つトレーにはお茶と、まふゆが持ってきた饅頭が乗せられていた。


「朝から稽古?」


「んー、まあ、そうと言えばそうなんだけど、目覚めの軽い運動…かな。休みの日の日課なんだ」


「真面目、なのね」


「まあ、そうやって育ってきたからやってるだけで褒められた事ではないよ」


まふゆと龍彦はそれからお互いのことを話した。お互いの家のことから、なぜあの日怪我に至ったかまで、出会ってさほど間もない二人だが、口を開くたびに互いの壁によるぎこちなさは次第に消えて行った。

すると、何かに気づいたまふゆがすっと立ち上がり、対面の離れた位置にあった『もの』まで歩き、それを手にとった。


「これ、何?」


まふゆが持ち上げたものは本。

…漫画本であった。


「あー、休憩中に読もうと持ちこんだ漫画だよ」


「漫画…」


「もしかして。漫画を読んだことないの?」


「…うん。」


まふゆは今まで、剣道や家の武術の稽古、そして勉強ばかりしてきた人生だったと言っていた。

厳しい母親に育てられ、恐らく縁がなかったのだろうと龍彦は思った。


「これ…読んでいい?」


「え!?いや、読むのはいいけど…。でもかなり少年ものだよ…?『マッスルプリンス』」


まふゆの手にはマッスルプリンスと描かれた文字と、筋肉隆々の男性が描かれた漫画が握られていた。


「面白いんでしょ?」


「僕は好きだね。」


「なら読んでみたい。」


「…わかった。ならとりあえず1巻を持ってくるよ」


そう言って部屋に戻り、マッスルプリンスという漫画の一巻を手にとって、それを道場の隅にちょこんと座るまふゆに手渡した。


……


「あっ。あれ?もうこんな時間?」


まふゆがたまたま時計に視線を向けると時刻は14時過ぎ。

彼女は昼ごはんも食べることを忘れて漫画に熱中していた。

まふゆの反応を見て、龍彦も読んでいた漫画を閉じた。


「凄い集中して読んでたみたいで、声をかけても反応がなかったからそのまま読んでもらっていたんだけど…まずかったかな…?」


「いいえ、私はいい。いい…けど、人様の家で…こんな…」


すこし慌てたような仕草を見せるまふゆ。


「いいよ。それだけ楽しんでもらえたなら僕も満足だ。」


「…うん。面白かった。続きが今も気になるくらいに。」


「そう?ならまだ読んでいく?」


「いいえ、流石にこれ以上は。」


「そうか。なら、貸してもいいけど…」


「…たとえ寮でも、借り物が必ず無事という保証はできない…。」


「そっかあ。じゃあ…また来るかい?」


龍彦の提案に目を丸くするまふゆ。


「…いいの?」


「あらかじめ連絡くれたら家にいるよ。」


「…是非…!」


少し大きく返事をするまふゆ。

彼女は感情が顔に出にくいだけで、言葉や仕草でそれがわかるような子だと龍彦は今日一日で理解した。

それから、龍彦はまふゆの付き添い駅まで歩くと、小さなその背中を見送った。




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