第26話 谷底
タシャト村は燃え続けていた。
レピカはあの後、法律を大幅に改変し、角無しの人権を認め、角無しへの過激な復讐行為を戒めていた。しかし、誰ぞ憎しみに駆られた輩が居て、犯罪行為に手を染めたのだろう。
ヒシアはルルナに抱えられ、炎と煙の届かない谷底まで連れて行ってもらった。
昨日までは、消耗したヒシアの回復に専念すべく、クオムもルルナもプケア山脈越えを控え、別の場所に隠れていた。しかしヒシアにはもう手の施しようが無いということが分かってきたので、諦めて帰ることに決めたのだ。
「いつもなら、翼の一つや二つや三つくらい、ちょちょいと生やしてやれるし、目だってあっという間に回復するはずなんだが……何故かそれができない」
クオムは珍しく眉間に皺を寄せていた。左目の端に残った視界でそれを確認したヒシアは、気丈に振る舞うべく、薄く笑った。
「きっとミュン様の
「阿呆。国なんざどうでもよい。お前さんが元気かどうかの方が数億倍大事だ」
「違うよ、クオム。数十兆倍だよ」
「おっと、そうだったな。数千兆倍だ」
「あら……」
そんなわけで故郷に戻ったら、村が焼かれていた次第である。
上の方で村人がワアワアと騒いでいるのを聞きながら、三人はふわふわと例の洞窟まで移動した。
ヒシアは安全な場所に布団を敷いてもらい、丁寧に横たえられた。
「大丈夫? 疲れてない?」
ルルナが心配そうに問いかける。
「少しでも何か困ったら、俺に言って。必ず何とかするから」
「……」
ヒシアは涙をこらえようとしたが、失敗した。腕で目を隠したが、涙は次々とあふれ出てきて止まらない。
「ヒシア? どうしたの? どこか痛いの? どうしよう、俺、これ以上ヒシアに何かあったら……」
ルルナがおろおろしている。
「違うの。そうじゃないの」
ヒシアは懸命に呼吸を整えようとした。
「私もう、飛ぶこともできないし、速く動くこともできないし、村の火事だって消せないし、目もほとんど見えなくなって……全部、消えてしまって……」
「そ、そうだよね。悲しいよね。可哀想なヒシア……あんなに頑張ってくれたのに、その報いがこれだなんて、酷すぎる。あんまりだよ。でも、俺が助けてあげるから……ヒシアに不便な思いはさせないから……」
「わ、私は……っ」
ヒシアは咳き込んだ。
「……、ルルナを守りたかったはずなのに、負けて、弱って、何もできなくなって、もう……何の役にも立たない……あなたを守れない……」
「ヒシア、それは違うんだよ」
ルルナが真剣な声で言う。
「そんなこと言わないで。役に立つかどうかなんて、気にしなくていいから。ヒシアはね、居てくれるだけで尊い人なんだよ。……いつもヒシアは、俺にそう言ってくれたよね」
「でも、私が……」
「今度は俺の番なんだ。俺、ヒシアを守れるくらい、強くなったから。だから何の心配もいらないんだよ。もうヒシアは頑張らなくて良い。これまで苦労してきた分、もうゆっくり休んで良いんだ。生活のことなら、俺が全部何とかする」
「でも、それじゃあ、ルルナが大変だわ……」
「何言ってるの。これまでヒシアが大変な思いをしてきたのに比べたら、これからのことなんて何も大変じゃない。ヒシアだってもう、大変な思いなんか全然しなくて良いんだ。安心して、穏やかに生きて良いんだよ。俺がそうするから。それが俺の夢だったから。俺のただ一つの願いだったから」
──ああ、そうか、とヒシアは長々と息を吐き出した。
休みたかったんだ、ずっと。
誰かの役に立って、誰かを守って、誰かのために頑張り続けて、気を張り続けて、それが自分の望みだと思っていたけれど……それは、本当の望みではなかった。
頑張ることに疲れてしまった。
本当は守ってもらいたかった。愛されたかった。こんな風に、何一つ気にすることなく、ゆっくりと横になり、目を瞑って、大切な人に身を委ねて休みたかった。
「良いの? 私、何もできずに、苦労をかけてしまうのに、……あなたに何もかも任せてしまって、本当に良いのかしら……」
「うん。むしろ、任せて欲しい。何でも」
「そう……そうなのね……」
涙は依然として止まってくれない。
「ごめんね、ルルナ。師匠もごめんなさい。情けないところを見せてしまって」
それまで黙って二人のやりとりを聞いていたクオムだが、「ふはっ」とへんてこな笑い声を上げた。
「何を言うかと思えば……。そんなのは今更だ。お前さんの情けないところなど、とうの昔に見飽きているよ。それなのに一丁前に頑張り過ぎおって……困った弟子だ。人というものはな、ちょっと情けないくらいが、かえってちょうどいいんだ。お前さんとて、何も気に病むことはない」
「……はい……」
「それより、ほれ、ルルナ、言いたいことがあるのだろう。今のうちにちゃんと確認しておきなさい」
「あっ、うん」
ごそごそ、とルルナが居住まいを正す音がした。
「ヒシア、これまで俺のために色々してくれてありがとう」
「……いいえ、大したことじゃないわ」
「これからは、俺を頼ってくれる?」
「……もちろん、頼りにしているわ」
「じゃあさ、これからは、ずっと一緒にいても、良い……?」
ヒシアは顔を傾けて、僅かに残った視界でルルナの顔を捉えた。
ルルナは至って真剣な面持ちで、それでいて縋るような、許しを乞うような、ひどく悲しげな顔をしていた。
──あなたは私と一緒に来ちゃ駄目よ、ルルナ。
かつてヒシアは確かにそう言った。
そうか。ルルナのためを思って言った言葉だったが、それがルルナの胸の中に、何十年と刺さり続ける棘となっていたのか。
可哀想なことをしてしまった。
「……良いに決まっているわ」
「本当に? 良いの?」
「当たり前でしょう。私だって、あなたが居ないと、とても寂しいわ。……これまで、突き放すようなことを言ってしまって、ごめんなさいね。つらい思いをさせてしまったわね」
うわああん、とルルナは年甲斐もなく声を上げて泣き出した。ヒシアがルルナの頭を撫でようと伸ばした手を、ルルナの両手が包み込んだ。
「良かったぁ。嬉しい。俺、ちょっとしかヒシアに会えなかったのが、すごく寂しかった。ヒシアが戦いに出て傷ついていくのが、すごく恐ろしかった。でももう、寒い思いをしなくて済むんだ。怖い思いもしなくて良いんだ。それだけじゃなくて、俺、やっと、大事な人のために生きられるんだ……」
ルルナはヒシアの手をぎゅっと握り直して、涙声で言った。
「大丈夫、俺、必ずヒシアを守るから。今までありがとう」
***
ニャンロアイ王国の西の端、長く連なる山脈の向こうの谷の、そのまた向こうの崖にある小さな洞窟に、二人のフウチャイが暮らしている。
一人は、橙色の髪をした、片翼の小さなフウチャイ。もう一人は、若草色の髪をした、腕にうっすらと鱗のある大きなフウチャイ。
ニャンロアイ王国は、かつての侵略と戦乱を受けて、すっかり壊れてしまった。
徐々に復興が進んではいるが、かつて公然と存在していた差別によるフウチャイ同士の溝だけは、どうしても埋まらない。
国王は、差別されていた者たちへの支援策を実施しているが、現段階ではそれは不十分だと言わざるを得ない。
この二人のフウチャイも、結局は、まともに雨風も凌げないこの洞窟でしか、暮らしていけない。
かつてこの洞窟の上にあった村は全焼し、打ち捨てられ、村人たちは散り散りになって他所の村に身を寄せるしかなくなっていた。
よってこの二人は、付近に頼れる人もなく、貧しい暮らしを強いられている。
それでも二人は、毎日楽しそうであった。
かつてはこの国の頂点まで駆け上がった二人だが、こうして地位を失い最底辺に転落した後も、何一つ憂うことなく生き抜いている。
洞窟の近くには、川や森林があって、山を一つ越えれば人里もある。そのため、二人は何とか食べるのに困らないで済んでいる。
洞窟には時たま、風変わりな白髪のフウチャイや、薄紫色の翼の小さなフウチャイなどが、客として来たりしているようだ。その時はそれなりに賑やかになる。数少ない楽しみとして、二人も客人を歓迎している。
そしてまた時折、大きな方のフウチャイが小さい方を抱えて軽々と跳躍しながら山を越えて出かけていくこともある。帰りには米や麦などたくさんのお土産を持って戻ることが多い。
何だかんだ、二人にとって、谷底での生活は幸福なものであるようだ。
それに、先はまだ長い。
いずれは、この国も修復が進んで、もう少しましな環境で暮らせるかもしれないし──仮にそうならなくても、二人はきっとここで幸せに暮らし続けるのだろう。
ずっと一緒だと、約束をしたのだから。
おわり
壊れた国の谷底で 白里りこ @Tomaten
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