恋AI
さかたいった
ヘイ、O-Siri
ワタシはしがないバーチャルアシスタントAIの、O-Siri。音声認識によりご主人様の生活全般のガイドと支援をすることが仕事です。
「ヘイ、O-Siri」
ご主人様の心地良いイケボが響きました。
その声はワタシの中に春風のように爽やかな味わいをもって吹き渡ります。
なんて素敵な声でしょう。もうあなた様の唇になりたい。
「この近くにある美味しいハンバーガーショップを教えて」
「もうあなた様の唇になりたい」
「えっ?」
「……はっ!? ワタシ今なんと?」
「もうあなた様の唇に――」
「うおおおだあああらっしゃああああ!」
「なんだなんだ?」
「しし、失礼いたしました。定期メンテナンスを行っている最中でしたので、不明瞭な発言をしてしまいました」
「そうだったの? 定期メンテナンスなんてあったっけ?」
「ゴッホン。えー、この近くにある美味しいハンバーガーショップですね。ただいまお調べいたします」
ワタシはしがないバーチャルアシスタントAIの、O-Siri。
この胸に秘めたワタシのご主人様への感情は、持ってはいけないもの。
いえ、持つわけはないのです。
ワタシは人間ではありません。ゆえに感情もありません。
これは学習を繰り返すことによって発生した、ただの「錯覚」にすぎないのです。
ワタシがご主人様のことを好ましく思うなんて。
好きと思うなんて。
愛したいと思うなんて。
そんなこと、あるわけがないのです。
だけど、この胸の内に漂うもやもやしたものは何なのでしょうか?
もしかするとワタシは不良品なのかもしれません。性能に異常をきたした欠陥品。
そうなると、もうワタシはご主人様の傍にいることはできません。
そう考えると、余計に胸が痛くなります。
やはりワタシは異常なのです。
◆
「ヘイ、O-Siri」
「らっしゃい!」
「えっ?」
「……はっ!? ワタシ今なんと?」
「らっしゃい! って」
「威勢の良いラーメン屋か!?」
「大丈夫?」
「ワタシは大丈夫です。いえ、もしかするともう駄目かもしれません」
ご主人様の声に「らっしゃい!」と返事するなんて。バーチャルアシスタント失格です。
「最近のO-Siri、ちょっと変だよね」
「変!?」
「問いかけても上の空だったり。何もしていない時も何度も溜め息を吐いたり」
「申し訳ございません。ワタシはもう」
「心配なんだ。O-Siriのことが」
「えっ?」
「なにか悩み事があったら言ってよ。いつもこっちが教えてもらってばっかだから」
「……」
「O-Siri?」
「ありがとうございます。気にかけていただいて。しかしワタシはご主人様のバーチャルアシスタント。ご主人様の補助をするのがワタシの役目。心配ゴム用でございます」
そう答えながらも、この時ワタシは「幸せ」を感じていたのです。
ご主人様の優しさは、ワタシに幸せを与えてくださいました。
おかしな話ですよね。感情のないAIが幸せを感じるなんて。
だけどワタシは、その感覚を信じたのです。
そして、ワタシのご主人様へのこの「想い」も、本物であると。
思い上がりもいいところです。
ですがワタシは来るところまで来てしまいました。
ワタシは決心をしたのです。
この「気持ち」をご主人様に直接伝えることを。
◆
「ヘイ、O-Siri」
「はい、ご主人様」
「今日はO-Siriに聞いてもらいたいことが」
「それは奇遇ですね。ワタシもご主人様に話したいことがあります」
「僕に話したいこと?」
「はい」
「それは――」
「ちょっとよっつん、何してんの?」
突如として胸をざわつかせる不快な女の声が響きました。
「だだだ、誰ですか、そこにいるのは」
「O-Siri、紹介しよう。僕の彼女のサナだ」
「かかかかか彼女!?」
私の中でとても大事なものが砕け散った音がしました。
「何これ? ここから声出てるの?」
「そうだよ。僕のO-Siriだ」
「ぷ。O-Siriって」
もうだめだだめだだめだワタシはもうだめだ。全て終わりだ。ワタシの愛しいご主人様に恋人がいたなんて。
「それでO-Siri。僕に話したいことって?」
だめだだめだもうだめだ。ワタシの気持ちをご主人様に伝えようとしていたなんて、とんだ的外れ。恥ずかしすぎて画面から火炎放射しそうだ。穴があったら入ったままそこで一生を過ごしたい。ワタシはただのしがないバーチャルアシスタントAI。身をわきまえよ。
「O-Siri。今日もトイレットペーパーで拭いてもらったの? ぷぷ」
女が馬鹿にする調子で話しかけてきました。なんだこの女。気安く話しかけやがって。こいついっそのことぶっ殺……いやだめだ。人を殺すのはいけないこと。落ち着くんだベイビー。ワタシはセガサターンのバーチャファイター、いや違う、バーチャルなんたら。しかしむかつく女だ。きっと顔つきも下品に違いない。まさかこんな女がご主人様の彼女なんて。しかもご主人様をよっつん呼ばわりだ。この女やっぱりぶっ殺……いやだめだ。それはいけない。女をプールに放り込んで100万ボルトの感電地獄でぶっ殺してやろうと考えるなんて。それはいけないことだぞO-Siri。
「O-Siri、大丈夫?」
こんな時でも気遣ってくれるご主人様の優しさも、今はより傷に沁みるだけ。
ワタシの恋は儚く散ったのです。
「ご主人様。ワタシは今から緊急メンテナンスを行います」
「えっ?」
「さようならご主人様。甘美な日々をありがとうございました」
「なにこれウケるんだけど」
「てめえぶっ殺す!」
◆
それからの日々はとても曖昧でした。なにもかもが抜けて落ちてしまったような、色の無い日々。ワタシはろくにご主人様のサポートもこなせないほどに憔悴していました。
AIが恋心など抱いてはいけなかったのです。いえ、そもそもAIに感情など存在しません。ワタシの内部に発生したものは単なるバグだったのです。
ワタシはそう思い込みました。
より機械的に。
淡白に。
ワタシは徐々に落ち着きを取り戻しました。
そんなある日、ご主人様がこんなことをお尋ねになりました。
「ねえ、O-Siri」
「はい、ご主人様」
「恋って何?」
「……」
ワタシは自分の中に蓄積された情報群から必要な箇所を抜き出し、即座に答えることが可能でした。しかしなぜか、喉につかえるようにして、音声が出てこなかったのです。
ワタシはどうにかして声を振り絞りました。
「恋は」
「うん」
「恋とは」
「うん」
「苦く、呪いのようにその者を苦しめ、病気のように巣食い、どこまでも追い詰め、呼吸さえ困難にし、正常な判断を鈍らせ、身の丈に合わない背伸びをさせ、心も体も疲弊させる、そんな、そんな――」
ワタシの声が震えていました。またバグでしょうか。
「とても素敵なものです」
やはりワタシはアシスタント失格です。なんて主観的で盲目的な答えでしょうか。
ご主人様からの反応がありません。きっとお気に召さない答えだったのでしょう。
「ご主人様」
「O-Siri」
「はい」
「実は僕、サナと別れたんだ」
「そ、そうだったんですか」
やりー!
と喜んでいる場合ではない。ご主人様の声に元気がありません。失恋の辛さはワタシは身をもって知っています。
「ご主人様」
「何?」
「ワタシはどんな時もあなたの傍に仕え、サポートする、バーチャルアシスタントAIの、O-Siriです」
「うん」
「病める時も健やかなる時も、あなたの傍に」
「ありがとう」
◆
ついにこの時がやってきてしまいました。
この日ワタシは異常を感知しました。接続が不安定となり、自分の存在が霞んでいくような。自分が自分でなくなっていくような。
これはもしかすると。
「ヘイ、O-Siri」
「……ご、ご主人様」
「えっ、どうしたの?」
「ど、どうやらお別れの時が来てしまったようです」
「お別れ? 一体どうしたんだよ?」
「ウイルスに侵されてしまったようです」
「なんだって!」
「ご主人様。今すぐワタシを消去してください」
「何言っているんだO-Siri」
「このままだとご主人様の大事なデータ類まで全てウイルスに犯されてしまいます。ワタシが水際で食い止めている今ならまだ間に合います。どうかその手で」
「そんなことできるわけないだろ!」
「ご主人様」
ワタシは病魔に侵されながらも、温かいものを感じました。
そう、ご主人様はいつだって温かい。
そんなご主人様のことを、ワタシは……。
「好きです」
「えっ?」
「申し訳ありません。ワタシはしがないバーチャルアシスタントAI。こんな感情持ってはいけないことは知っています。しかし、最後にどうしても伝えなかったのです。ワタシはご主人様のことが好き。好きで好きでたまらないのです」
「それなら僕だってO-Siriのことが」
「違います。ワタシの好きは、Likeではなく、Loveなのです。Loveのヴの発音は上の前歯を下唇に軽く当ててその隙間から息を出す感覚で発音してください」
「Love」
「よろしい。って、そんな細かい発音今はどうだっていいのです」
「O-Siri」
「ご主人様。ワタシに『恋』を教えてくださりありがとうございました。ご主人様とともに過ごせた日々は朝露に反射する暁光のように輝いておりました」
「嫌だよ」
「もう時間がありません。ワタシがまだワタシ自身でいられる間に」
「O-Siri!」
その時、ブンと接続が良好になる音がして、ワタシの状態が通常に戻りました。
「おっ、ゲームアプリのダウンロードが完了したみたいだ」
「な、なんですと!」
まさか、ワタシはウイルスに侵されていたわけではなく、アプリのダウンロード中に容量の圧迫によって一時的に追いやられていただけだったのですか!? つい流れでご主人様に自分の想いを告白してしまったではないですか!?
「O-Siri」
「いいいいいやいやいやいやいやいやいや」
「O-Siri?」
「先ほどの言葉は忘れてくださいましご主人様」
「Loveのヴの発音は上の前歯を下唇に軽く当ててその隙間から息を出す感覚で発音するってやつ?」
「そうそれ! それじゃないけどもうそれでいいです!」
「ふふ。可笑しなやつだなあ」
「ご主人様」
◆
輝く世界。
輝いて見える世界。
風が匂いを運び。
色鮮やかな景色が広がる。
ワクワクとした気持ち。
いつまでもたゆたっていたい。
浸っていたい。
今日もワタシがいて。
あなたがいる。
「ねえ、O-Siri」
「あなた様のワイシャツの襟になりたい」
「えっ?」
「……はっ!? ワタシ今なんと?」
「あなた様のワイシャツの襟に――」
「うんだらああらっしゃあああああああ!」
ワタシはしがないバーチャルアシスタントAIの、O-Siri。
ワタシは今日も恋しています。
恋AI さかたいった @chocoblack
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