本編
夜道を歩いていた。一人で歩く寂しい道だった。後悔に近い焦りを感じたのは、偏に帰りが遅くなったというだけではなかった。何か目の前に計り知れない物が立ちはだかって、帰るのを一々邪魔しているようだった。薄暗闇がのし掛かるように、辺りの景色を異常な物に変えた。悪いことが起こりそうで、気持ちがそわそわした。一人で帰るには余りにひっそりとして、心細かった。
気がつけば、辺りは竹林に囲まれていた。京都市の嵯峨の竹林の小径である。竹は土の中から節くれ立った
白い物を見たのは、丁度その時だった。今思えば、それは決して気付いてはいけない物だったのかも知れない。何だろう。白いそれは薄暗闇の中でぼんやりと光って見え、私にその存在を訴えていた。それが、おいでおいでと誘って揺れるのだ。足は自然に止まり、目は釘付けになった。よく見ると、白い手と足だった。土の中から人の手と足が突き出している。背筋に冷気を感じて、凍り付きそうになった。足は一本だったが、手は三本あった。手も足も竹と同じに痩せていた。死体が埋まっている。どこまでも落ちてゆく底知れぬ恐怖を感じながら、私は慌てて警察に通報した。
電話は遠く離れた場所から掛ければ、そこに電波が届くまで顕著に時間が掛かるくらいに、なかなか繋がらなかった。何度も電話を掛け直して、呼び出し音に耳を澄ませながらじっと待った。時にはどこに掛けたのか分からないふうに、お掛けになった電話番号は現在使われておりませんと携帯の向こうから、機械音に似た声が聞こえてきた。
それでも私は諦めなかった。諦められなかったのだ。この恐怖を誰かに伝えなければ、自分の中でそれが膨張して押しつぶされそうだった。やがて電話は繋がった。事件ですか? 事故ですか? 私は気持ちを落ち着かせ、たどたどしい声で死体を見つけたことを通報した。私の言い方が悪かったのだろうか、何度も同じような会話が繰り返された。私は喉の渇きを訴え、極度の緊張から声が嗄れて明瞭な声でしゃべれなかったことに後から気付いた。それでも会話を積み重ねていくうちに、ようやく用件を伝えることが出来た。
死体を見つけたのですね。そう。どうしてそんな単純なことが伝わらなかったのか不思議だった。もしかして何かが、私を邪魔しているのかと疑ったくらいだ。間もなく警官が到着した。警官の顔も青白かった。事情を聞かれ、そこでも何度も同じ事を繰り返すように説明した。
すぐに地面から突き出した手や足が検視された。が、これは地面に体が埋まっているもので、翌日明るくなって掘り起こすことになった。小さな町の大事件だから、私も他の町の者とその時立ち会うことになった。誰も死体を掘り起こすのは慣れていないから、異常な緊張が走った。数人の若い者がスコップを持って、慎重に土を掘っていく。土はそれが暴かれるのを嫌っているように硬く、なかなか掘り起こせなかった。それでも諦めず熱心に土を取り除いていく。少しずつだが白い手と足の先が現れてきた。
ところが、地面を掘り返してみると、手と足は異常に長く大木の根のように地中深くに伸びている。得体の知れない執念に取り憑かれたようにスコップを振り下ろして、どんどん掘った。掘り出した土が昔の墓に盛られた土くらいに小山を作った。土は掘れば掘るほど粘土を増し、手作業では限界を感じるようになった。みんな疲れていた。ただ作業を見守るだけの人の塊も、これまで感じたことのない気怠さを体全体に覚えていた。二メートル掘って先が見えなかった。
そこでみんなで話し合いが行われた。河原に忽然と現れた岩石に例えるほど、空気は重かった。三メートル以上の長さがある手や足があるだろうか。そこにいた誰もが、その手と足に不審な目を向けた。これは人間の体ではない。その手や足は蛇の体みたいに、ぐにゃりと曲がった。議論は続いたが、皆同じ事を繰り返して一向に進展がなかった。自分たちでは解決できないことを議論するのは、掘った土を釜で煮るようなことだった。みんな答えを出すことを、幽霊を見た子供くらいに恐れていた。それでも結論は最初から決まっているように、そこへと収束していた。そして遂に、これは掘り起こしてはいけない物かもしれないと結論付けた。それで私たちは、丁重にその手と足を地中に埋めることにした。それからもその奇妙な手と足を目撃したという人は現れたが、触らぬ神に祟りなしでやり過ごした。
一つ竹林を歩けば。 つばきとよたろう @tubaki10
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