【KAC/甘くないお仕事SS8】明日は新たなる旅立ちの時

滝野れお

明日は新たなる旅立ちの時

「ねぇキア? ラウルさん、仕事辞めたんだって?」

「突然よね。故郷のお母さんが倒れたって聞いたけど、キアは知ってたの?」


 お昼休みの使用人食堂。

 いつものように食事をしながら、侍女たちの噂話が始まった。


「ううん。あたしもさっき聞いたばかりだよ」


「そう、残念ね。キアのこと気に入ってくれてたのに」

「ホント。彼、積極的だったわよね。みんなで遊びに行く約束も、彼の提案だったんでしょ?」

「そうそう!」


 同僚の結婚祝いの合コンで知り合った三組の男女。

 無理やり連れて来られたキアに、同じく数合わせで参加したはずのラウルが何故だか積極的に誘いをかけて来た。

 そんな彼にキアは胡散臭さを感じていたし、正直なところ強引な誘いに辟易してもいたので、彼が故郷に帰ってくれたのは大歓迎だった。


「あのね、あたしも明日から出張でしばらく留守にするから」

「え、そうなの? 確かキア、春にもおつかい行ったよね?」

「もうすぐナヴィア王国の王子様が来るのに、残念ね」

「……え?」


 侍女仲間の言葉に、キアは思わず目を瞠った。



〇〇



 その夜。

 キアが大量の蜂蜜バター二度焼きパンラスクを作っていると、イザックが厨房に入って来た。


「……こんなに菓子を作って、荷造りは出来たのか?」

「わっ、リベリュル隊長! これはですね……隊員の皆さんのおやつです。も、もちろん出張の準備も出来てます!」


 キアは慌てて背筋を伸ばし踵をそろえたが、イザックの顔は直視出来なかった。

 先日、上司であるイザックに抱きつくという無礼を働いてしまって以来、キアは彼と目を合わせることが出来ない。あの時の彼は、不機嫌な顔で遠くを見ていた。あんな顔はもう二度と見たくなかった。


「えっと、もともと荷物は少ないですし、オーギュストさんから頂いた新しい侍女服もちゃんと入れました!」

「そうか……なら良い」


 話は終わりかと思ったのに、イザックはなかなか厨房を出て行かない。

 シンと静まり返った空気に耐え切れず、キアは口を開いた。


「そ、そう言えば……ナヴィア王国の王子様が来るって侍女たちが噂してましたけど、どなたが来るのですか? まさか……」


「ああ。そのまさかだ」


 キアはうっかり顔を上げてしまった。

 イザックの眉間に一筋の縦皺が刻まれるのが見えたが、もう目を逸らすことは出来なかった。


「やっぱり、ケニー様が来るんですね! もしかして、今回の出張は、あたしが黒狼隊の侍女だとバレない為ですか?」


「……そうだと言ったら、おまえは不服か?」


「いいえ! とんでもございません。あたしもケニー様にはいろいろ嘘をつきましたから、会っても良心が咎めると言うか、罪悪感を覚えると言うか……とにかく、万が一にも顔を会わせるのは避けたいです!」


「そうか」


 イザックの眉間から縦皺が消えた。


(あれ? 意外に大丈夫そう?)


 キアがホッとしていると、イザックが穏やかな表情を浮かべたままキアに近寄ってきた。

 彼は作業台の手前で足を止めると、キアに向かって両手を伸ばしてきた。


(えっ? なに?)


 イザックの両手が目の前に迫ってくる。

 カチンと固まったままキアが反射的に目をつぶると、硬質な何かが顔に触れた。

 両方の耳にイザックの冷たい指先が触れて、するりと離れてゆく。


「これは?」


 キアは目の前にある、鼻と両耳で支えられた何かに手を触れてみた。


「これは、東のカーン共和国から渡って来たメガネと言うものだ。貴族より、商人の間で流行っている視力を補助するための道具だが、顔の印象が変わる。役に立つから持っていろ」


「はい。ありがとうございます!」


 キアがお礼を言うと、イザックは満足そうに頷いて踵を返した。

 そのまま出て行くのかと思って見送っていると、彼は厨房の扉の前で足を止めた。


「そうだ。あまり知られていない事だが、グランウェル王国には、魔物と魔物を退治する魔法騎士がいる。向こうへ行ったらあまりウロチョロするな。俺の目の届く範囲にいろ」


「まっ……魔物?」


 耳慣れない言葉にびくびくするキア。

 彼女の様子に笑みを浮かべて、イザックは厨房から出て行った。


 近づいたようにも見える二人の距離は、まだまだ遠い。




【KAC2024「甘くないお仕事」連作SS】 おしまい


※読んで下さりありがとうございました✨

 初めてのKACで、久々の「甘くないお仕事」。楽しかったけど難しかったです💦

 お粗末さまでございました<(_ _)>ペコリ



 




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