青い空を抱いて眠る

淡島かりす

青い空を見れる日を

 かつてこの世界は灰色で、サージップ神の息子であるパルーシディが生まれつき長くて細い爪に塗料を埋め込んで、一つ一つに色を付けた。しかしパルーシディは空の色を塗るのを最後にしたので、青い塗料が足らなくなった。仕方なく残りの塗料を全て使った。だから空は青にも赤にも黒にもなるようになった。

 子供向けの神話にすら載っているような有名な話を、果たして無垢に信じたままの人間などいるのだろうか。ヨーラはそんなことを考えながら、宙を浮遊するタンクに狙いを定めた。所々へこんでいるが、まだ形は保っているそれは宙でゆっくりと回転している。

 ヨーラは手元のハンドルやボタンを操作して、まずは長いアームでそれを掴んだ。

「随分大きいな、それ」

 後ろを通りかかった同僚が感心したように言う。ヨーラは「まぁね」と操作の手は止めずに返した。彼女は別に同僚と不仲という訳ではない。作業中に余所見が出来るほど器用でないというだけだった。

「中身は?」

「この大きさだと爆薬か、食料か。前者ならまだしも後者なら破棄するしかないわ」

  チェック、とヨーラはいつもの取り決め通りに呟いた。手元のスイッチを弾くと、目の前に映し出されているアームとタンクが青白く光る。実物はここから遥か遠く、宇宙の中に漂っている。ヨーラたちの仕事は地上にある巨大な施設からロボットを遠隔操作して、宇宙に漂う「資源」を集めることだった。

 数百年も昔、ある国の独裁者の妄想により始まった戦争は、瞬く間に世界中に侵食した。不運に不運を重ねるかのように、いくつもの国がそれを止めようとしては巻き込まれていった。今から考えれば馬鹿馬鹿しいほどの不調和により世界は半分が焦土と化し、そして巨大なエネルギー波による攻撃が中空を飛び交った。

 そしてある日、世界は壊れた。三種のエネルギー波が原因だと言われているが、はっきりしたことはわからない。兎に角、事の始まりの独裁者が発射を命じた兵器が引き金だったことは確かである。

 様々な国の重力と磁場が乱れ、天も地も逆さになった。もはや戦争どころではなかった。彼らは国どころか己の身の心配をしなければならなくなり、逆さになったビルの屋上に押しつぶされたり、自分の足元にあるのが床なのか天井なのかを気にして歩かなければならなくなった。そして誰が宣言するまでもなく、戦争は終わった。

「偶にはいい資源を見つけたいところだけど」

 中身の分析を待ちながらヨーラは後ろを振り向いた。

「この前、仏像を見つけた人がいたって聞いたけど本当?」

「あぁ、本当だよ。かなりボーナスが出るだろうね」

「羨ましい」

 彼女たちの仕事は要するに数百年前に空に投げ出されてしまった物を回収して地上に戻すことである。といっても資源として使えるものが見つかるのは一日に一回あればいい方で、あとは大体ゴミだった。

「ゴミも沢山集めたらボーナス貰えないかな」

「……おい」

「冗談だって」

 相手が真剣な声を出したのを、軽口を咎められたと解釈したヨーラは慌てて取り繕ったが、相手はモニタの方を見ていた。そちらに視線を戻すと、分析結果が表示されていた。そこには食料でもなければ鉱物でも金属でもなく、ただ「人間」と表示してあった。

「まさか……コールドスリープ?」

 ヨーラは急いでアームを操作した。極稀にコールドスリープされた人間が見つかることがある。戦争の混沌期の中で、各国の富豪や有力者は戦争が終わるまでコールドスリープすることを選択した。しかし重力の乱れはその施設や装置も根こそぎ宇宙に投げ出してしまった。

「独立型装置なら救いがある。至急保護を」

「わかってる」

 自分よりも興奮している同僚を宥めて、慎重にタンクの切れ目を探す。もし人間なら、それも蘇生可能な状態だとすれば、仏像どころの騒ぎでは無い。タンクの側面にある僅かな切れ目を見つけた時、ヨーラは思わず長い息を吐いた。

「流石に今は開けられないけど、この状態なら地上に戻しても良さそう」

「どこの国の装置だ? わかるなら予め連絡しないと」

「こういうのは大体足の方に……」

 カメラを動かして、タンクの底面にあたると思われる部分をモニタに映し出す。最初はぼんやりしていたそれが次第に照準が合うと、ヨーラたちは息を飲んだ。

「ねぇ、これ」

「……嘘だろ」

 底面には中にいる人間の名前が刻まれていた。その名前にヨーラたちは見覚えがあった。正確に言うならば、その姓に。

 それはあの戦争を引き起こした独裁者と同じだった。

「生死不明の三女だ」

 同僚が唖然としたまま呟く。ヨーラは相手が存外歴史に詳しいことに感心しながら聞き返す。

「三女は戦争加担は?」

「まだ十五歳だった筈だ」

「なら蘇生しても罪には問われない」

「でも無罪放免とはならないだろうな。あの一族は酷く憎まれてる」

 ヨーラは黙り込んだ。もしこの中にいる人間が生きていたとして、自分に出来るのは然るべき手段で回収することだけである。その後の扱いが例えどんなに理不尽でも、何もすることが出来ないことはわかっていた。

「……三女は絵が得意だったらしい」

 同僚がモニタを睨むようにしながら呟く。

「青い空をよく描いた」

「詳しいね」

「暇つぶしに調べたことがあるんだよ。側近の証言だと三女は消息不明になる前にも絵を書いていたそうだ。現物は残ってないが、題名だけは側近の証言でわかってる」

「何?」

「青い空を見れる日を」

 画面の中はタンクと黒い闇しかない。

「あの国は戦争の終盤は毎日爆撃に遭っていたらしいから、空を見る暇もなかったのかもな。彼女は青い空を見れることを願って、コールドスリープに入った……とか?」

「ロマンチックだね」

 青い空を夢見てコールドスリープに入った少女は、今は閉ざされた闇の中にいる。戦争の真っ只中に、ただ空の夢だけ抱いて。彼女自身がそれを望んだのかはわからない。かの独裁者たる母親の命令なのかもしれない。どちらにせよ彼女は今は此処にいる。

「ねぇ、パルーシディ神の神話知ってる?」

「知ってるよ」

「あれ好きなんだよね。空が余り物の色だってところ」

「実際見たことないけどな」

 同僚は鼻で笑った。

「戦争が終わったあの時から、宇宙はゴミだらけで空はずっと灰色だ。パルーシディ神の爪にはインクの一滴も残ってない」

「だから彼女は今目覚めても青い空は見れない。そして私達もきっと生きているうちには青い空を取り返せない」

 アームのロックを解除する。タンクは少しだけ名残惜しそうにアームに触れて、そしてまた宇宙のゴミの中に紛れていった。

「青い空がない場所にわざわざ戻すことはないでしょ」

「……下手したら一生、身を隠して生きていかないといけないかもしれないしな」

「今のままが幸せ、とか言うつもりはないけどね。身も蓋もない言い方をすれば彼女に抗議する術は無い」

 彼女は青い空をどんな気持ちで見ていたのだろうか。灰色の汚い空を知らない彼女が、ヨーラには少しだけ羨ましかった。

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青い空を抱いて眠る 淡島かりす @karisu_A

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