#5 『月光の貴公子、ダマルウラン』
ダマルウラン。
現在のインドネシア、ジャワ島に伝わる二大英雄譚のひとつ『ダマルウラン物語』の主人公です。
彼が実在したという証拠はありませんが、伝承によればジャワ島東部にマジャパイト王国が存在した、14~15世紀頃の人物であるとされています。
マジャパイト王国はインドネシアにおける最後のヒンドゥー教国で、12世紀末にウィジャヤという男によって建国されました。
ウィジャヤは当時の大陸を支配していた蒙古(モンゴル帝国)のフビライ・ハンが差し向けた遠征軍を利用してジャワ島の敵対勢力を排除し、更に蒙古軍を裏切って撤退させることで東ジャワの王となったのです。
王国はフビライの死後に蒙古との朝貢貿易を始めて経済的に発展し、周囲の王国を征服しながら200年以上も繁栄を続けました。
しかし、その拡大路線は周囲との軋轢を生み、次第に東南アジアで勢力を拡大したイスラムの勢いに押されていきました。
最終的に15世紀末から16世紀初頭にかけてマジャパイト王国は滅亡し、新たにイスラムを国教とするドゥマク王国が誕生しましたが、イスラム化を受け入れなかったマジャパイトの貴族や僧侶たちはジャワ島を去ってバリ島へ移住し、そこで現代まで残る独特なバリ・ヒンドゥー文化を作り上げることになります。
そんなマジャパイト王国の時代を舞台とするダマルウラン物語ですが、この物語自体がいつ頃成立したのかはよく分かっていません。というのも、現存する最古のテキストは18世紀半ばになってから書かれたもので、本来の物語が生まれたであろう時代の史料は一切現代に残っていないのです。
それでは何故、ダマルウランの物語が今なお語り継がれているのか。
これにはジャワ島を中心に栄えた伝統文化『ワヤン』が大きく関わっています。
ワヤンとは人形劇、仮面劇、舞踏劇などを内包する概念で、最も有名なのは人形の動きをスクリーンに映し出す影絵芝居「ワヤン・クリ」でしょう。水牛の革を張った色鮮やかな影絵人形を「ダラン」と呼ばれる人形遣いがたったひとりで操りながら、ほとんど即興でストーリーを語り続けるという圧巻の芸能です。
偶像崇拝を禁じるイスラムにおいては本来タブーであるはずの人形を、ヒンドゥーとも縁深い動物である水牛の革で作り、操る。ふたつの宗教が深く溶け合う特異点、ジャワの文化が生んだ芸術と言えるでしょう。
そんなワヤンにおいて、最も人気のある題材はヒンドゥーの二大叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』です。さらわれたシータ王女を救うべく猿王ハヌマーンらと共に悪鬼ラーヴァナの軍勢に立ち向かうラーマ王子の勇姿、血を分けた兄弟であることを知らぬまま戦うことを宿命付けられたカルナとアルジュナの悲壮。ヒンドゥーを代表するこれらの壮大な物語はジャワの文化に深く根付き、今なお愛され続けています。
一方で、前述の二大叙事詩ほどの人気こそないものの、ジャワ独自の物語もワヤンとして演じられてきました。それがジャワの二大英雄譚として知られる『パンジ物語』と『ダマルウラン物語』です。
パンジ物語は11世紀のクディリ王国を舞台とし、パンジ王子がまだ見ぬ許嫁のチャンドラキラナ王女(スカルタジと呼ばれることも)を探し求めて放浪する、いわゆる貴種流離譚の一種です。前述の影絵劇「ワヤン・クリ」で演じられることもありますが、布の巻物を使い紙芝居のように物語る「ワヤン・ベベル」やダランの語りに合わせて行う仮面劇「ワヤン・トペン」としても演じられます。パンジ物語もまた本来のテキストが遺失しており、語り部達の口伝で伝えられてきたため、大まかな粗筋以外の細かな展開は非常に多岐にわたります。
そして、そのパンジ物語と対になるのが、今回取り扱う『ダマルウラン物語』というわけです。こちらも影絵劇ワヤン・クリや人形劇ワヤン・チュパック、あるいは女性だけの舞踏で名場面を表現する「ラングンドリヤン」などの形で演じられてきました。本来のテキストが存在しないのはパンジ物語同様ですが、あちらのストーリーが枝分かれしながら広まっていったのに対し、ダマルウラン物語は結末に僅かなバリエーションがある程度で、大まかな筋書きはほとんど共通しているようです。
前置きが長くなってしまいました。
今なおインドネシアでは高い知名度を誇るというジャワの英雄とは何者か。
その足跡を追っていきましょう。
▼ ▼ ▼
時は15世紀。ジャワ島東部を支配するマジャパイト王国が舞台です。
当時の施政者はスヒタ女王。彼女は実在の人物で、1429年から1447年にかけてマジャパイト王国を治めていたとされています。伝説上はプラブ・ケニャ、あるいはラトゥ・アユ・ケンチャナ・ウングと呼ばれているので、今回はケンチャナ・ウング女王と表記することにしましょう。
そのケンチャナ・ウング女王が治めるマジャパイト王国に、ダマルウランという若者が暮らしていました。
彼の父ウダラはかつてマジャパイトの大臣でしたが、既に職を辞して山中に籠もり、修行者として自らに苦行を課していました。そのためダマルウランは祖父の元で育ち、成長すると祖父の勧めもあって王宮へ仕官することを決意します。
ウダラの弟、つまりダマルウランの叔父に当たるログンデルという人物は、ウダラの後を継いでマジャパイトの大臣を務めていました。ダマルウランは王宮に出向き、ログンデルと面会したのでした。
ログンデルはダマルウランの顔を見るやいなや、その優秀さに気付きました。彼は才気に溢れており、加えて輝かんばかりの魅力を備えていたのです。
ジャワの言葉で「ダマル」は「篝火」を指し、「ウラン」は「月」を意味します。ダマルウランは「輝ける月」という名に相応しい、月光の貴公子というべき青年でした。
ログンデルには三人の子がいました。
息子のラヤン・セタとラヤン・クミティル、娘のアンジャスマラです。ログンデルは息子たちを自身の後継者にするつもりでいたので、甥のダマルウランがいずれ息子たちの地位を脅かすことになるだろうと直感し、恐れます。
ダマルウランはログンデルによって宮中の馬小屋番に追いやられ、いとこのラヤン・セタとラヤン・クミティルには辛く当たられながら働きました。
一方でログンデルの娘であるアンジャスマラはダマルウランに心惹かれ、いつしか二人は恋仲になったのです。
その頃、ジャワ島東の果て(現代のバニュワンギ周辺)に位置するブランバンガンの領主、メナック・ジンガという男が、遂にマジャパイトに対して反乱を起こしました。
メナック・ジンガはかねてよりマジャパイトのケンチャナ・ウング女王に求婚しており、ジャワの覇権を握るだけでなく女王を我が物にするため、ブランバンガンで密かに兵を蓄えていたのです。
メナック・ジンガの「メナック」は高貴な身分を示し、「ジンガ」は赤や橙色を指す言葉です。ダマルウランの名が月を意味する一方で、メナック・ジンガは太陽を想起させるような名を持ち、二人が対の存在であることを表しているのかもしれません。
そんなメナック・ジンガの反乱には、彼と女王との因縁が関わっています。
かつてブランバンガンの領地はケボ・マルチュエットという荒くれ者が支配しており、マジャパイト王国の悩みの種となっていました。このケボ・マルチュエットは伝説において「水牛のような角を持つ人間」、あるいは「人のように立って言葉を話す水牛」というギリシャのミノタウロスめいた怪物のいずれかとして描かれますが、どちらにしても超自然的な力を持ち、並の人間では太刀打ち出来なかったようです。
ケンチャナ・ウング女王はケボ・マルチュエットを討伐するため、あるお触れを出します。それは、ケボ・マルチュエットを倒した男に自分自身を賞品として与えるということでした。
未婚の女王を妻とするということは、マジャパイトの王になることと同義。国中の勇士たちが我こそはと挑み、しかしケボ・マルチュエットを倒す者は現れませんでした。
そんな中、ジャカ・ウンバランという勇猛な男がケボ・マルチュエットに挑みます。彼の手には金色に輝く棍棒、ガダ・ウェシ・クニンが握られていました。
このガダ・ウェシ・クニンという武器は単にウェシ・クニンと呼ばれることもありますが、ガダは「棒」ウェシは「鉄」クニンは「金色」、すなわち「金色の鉄棒」というあまりにもそのまま過ぎる名前を持っています。そのためこの呼び名は特定の武器を指す固有名詞ではなく、ケルト神話のクラウ・ソラス(光の剣)のような、魔術的な武器のカテゴリーを表す一般名詞だという説もあります。いずれにせよ、伝説では詳細に語られていませんが、この金色の棍棒が所有者に特別な力を与えるものなのは確かなようです。
ジェカ・ウンバランは棍棒ガダ・ウェシ・クニンの力を借りて、深い傷を負いながらも双角のケボ・マルチュエットを打ち破りました。ケンチャナ・ウング女王は大いに喜び、ジェカ・ウンバランにブランバンガンの領地と「メナック・ジンガ」という新たな名を与えます。
しかし、メナック・ジンガが本当に欲しかったものを、女王は与えませんでした。
実はケボ・マルチュエットとの戦いでメナック・ジンガは顔に大きな傷を負い、勇ましかった容姿は大きく損なわれていました。あろうことかそれを理由に、女王は結婚の約束を反故にしたのです。
メナック・ジンガは女王を強く恨み、いつか必ず我が物にしてやると考えました。そして密かに兵力を蓄え、反乱を起こしたのです。
考えようによっては女王自ら招いた災いとも言えますが、先の戦いで傷を負ったとはいえメナック・ジンガは未だ勇猛な戦士であり、加えて彼の手には金色の棍棒ガダ・ウェシ・クニンがあります。
ケンチャナ・ウング女王は再び勇士を募りましたが(またしても自分自身を報酬にして!)、ケボ・マルチュエットを倒した男を打ち破ることが出来る者などいるはずがないと思われました。
しかし、ある夜、ケンチャナ・ウング女王は不思議な夢を見ました。美しく勇敢なダマルウランという名の若者が、メナック・ジンガを倒しマジャパイト王国を救うだろう、と。
女王は目を覚ますと、今の夢が予知夢だと確信し、ダマルウランを探させました。
宮中の馬小屋番だったダマルウランは、こうして女王の命を受けてジャワ島の東の果て、ブランバンガンへと旅立ちました。軍隊ではなくお供二人だけを連れて敵地の奥深くまで潜り込み、直接メナック・ジンガその人を討ち取ろうというわけです。
ダマルウランはメナック・ジンガの宮殿に辿り着き、彼に決闘を申し込みました。その時メナック・ジンガは妻たちと共にいましたが、その申し出を受けて挑戦者を迎え撃ちます。
勇者と敵の首領の一騎打ちという、物語としてはそうそう負けるはずがない場面ではありますが、メナック・ジンガは魔法の棍棒ガダ・ウェシ・クニンを持っていました。つまり、勇士ダマルウランは果敢に善戦したものの、最終的には棍棒の魔力の前に為す術なく打ち倒されてしまったのです。
傷つき倒れたダマルウラン。
彼を密かに助けて治療したのは、ワヒタとプユンゲンという二人の女性でした。彼女たちは二人ともメナック・ジンガの妻で、元々はマジャパイト王国から連れてこられた娘たちです。
二人がマジャパイトの生まれだというのがダマルウランを助けた理由のひとつである可能性はありますが、それ以上に、彼女たちは二人とも若く精悍なダマルウランに魅了され、ひと目で恋に落ちてしまっていたのです。
ワヒタとプユンゲンはダマルウランに伝えます。メナック・ジンガの強さの源はガダ・ウェシ・クニンであり、彼はいつもその武器を枕元に置いて眠るのだと。
ダマルウランが二人に協力を要請すると、彼女たちはメナック・ジンガの寝室に忍び込み、黄金の棍棒を盗み出してダマルウランに手渡したのでした。
明くる日、ダマルウランは再びメナック・ジンガに戦いを挑みました。
メナック・ジンガは、家宝である金色の棍棒をダマルウランが持っていることに驚き狼狽えます。二人は戦いを始めましたが、本来の武器を失ったメナック・ジンガは、代わりにガダ・ウェシ・クニンの加護を得たダマルウランに敵うはずもありません。二人の力関係は逆転し、遂にダマルウランは棍棒の一撃をもって敵を討ち取ったのでした。
ダマルウラン物語の結末のひとつは、こうしてメナック・ジンガを倒したダマルウランはケンチャナ・ウング女王と恋人アンジャスマラをそれぞれ妻とし、ワヒタとプユンゲンも側室に迎えて幸せに暮らすというハッピーエンドです。しかし一方で、もう少しだけ続きがあるバリエーションもありますので、今回はそちらを語りましょう。
メナック・ジンガを倒し、マジャパイト王国への帰路に就いたダマルウラン。
彼は疲れからか、それとも激戦を勝利して気が緩んだのか、木陰で一休みします。しかしその背後には、二人の影が忍び寄っていました。
ラヤン・セタとラヤン・クミティル。かつてダマルウランを馬小屋番に追いやった叔父ログンデルの二人の息子たちが、密かに待ち伏せていたのです。
闇討ちに遭ったダマルウランは反撃すら出来ずに命を落とし、セタとクミティルはメナック・ジンガ討伐の功績を奪うべく、王宮へと向かったのでした。
ですが、そこで奇跡が起こります。
一度は死んだダマルウランでしたが、不思議な力で蘇ったのです。それは山中に籠もって苦行を続けている父ウダラの積み重ねた徳が、神の加護を引き寄せたからでした。
息を吹き返したダマルウランは、二人の従兄弟を追ってマジャパイトの王宮に向かいます。手柄を横取りしたつもりだった従兄弟たちは、ダマルウランが現れたことに動揺しました。ケンチャナ・ウング女王はメナック・ジンガを倒したのがどちらかを明らかにするため、ダマルウランと従兄弟たちとで戦うことを命じます。
ダマルウランは例の棍棒を使うことなく二人を打倒し、自身の武勇を証明したのでした。
このバージョンの物語でも、ダマルウランはケンチャナ・ウング女王、そしてアンジャスマラを妻に迎えます。
そして、自分を一度は殺し、手柄を奪おうとしたラヤン・セタとラヤン・クミティルに対しては、命を奪うことも罰を与えることもしませんでした。ダマルウランは彼らが改心したのをもって罪を許し、二人を配下に取り立てたのでした。
▼ ▼ ▼
これでダマルウランのお話は終わりです。
ダマルウランという男は、英雄としてはなかなか不思議な人物ですね。
勇敢で魅力に溢れ、並の人間では相手にならない武勇を誇りますが、一方で魔法の武器のためとはいえ仇敵メナック・ジンガを正面から倒すことは出来ず、自分に惚れた女性たちの手を借りて勝利します。加えて闇討ちであっさりと命を落としてしまう始末。
一般的にイメージされる勇者像とは、大きくかけ離れているように感じます。
一方で、辛い馬小屋の仕事を耐え抜き、最後には自分を陥れた従兄弟たちを許したように、彼の中には忍耐力と優しさ、慈悲の心があるように描かれています。
メナック・ジンガの二人の妻がダマルウランに心を奪われたのは、単純に彼の外見的な魅力だけでなく、その内面の輝きにこそ惹かれたから……というのも、あながち考えすぎではないのかもしれません。
いかがだったでしょうか。
ジャワ島に息づく英雄譚、ダマルウランの物語。
月のように輝く勇士の伝説に、思いを馳せていただければ幸いです。
【伝説紹介】神話探偵調査ファイル NOZZO @NoZZo
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